第三話 百合様がみてる

 イベントスタッフさんに迷惑をかけたことを謝罪して、わたしたちは会場を後にした。

 気を失って倒れてしまったこともだし、イベントの会場で騒ぎを起こしたこともある。麻衣まいは、わたしのスペースに置いてあった荷物を片付けてくれていたし、更にわたしを家まで送ってくれた。

「リリフェスも終わったことだし、しばらくムリしないでゆっくりしなね」

「うん……。今日は麻衣にも迷惑かけてごめん。いつもありがとね。ほんと助かってるよ」

「いいよ別に。茜音あかねには、また新作を描いてもらわなきゃだからね!」

 麻衣はそう言って、微笑んだ。帰ろうと背を向けようとした瞬間、そうそう、と補足した。

悠乃ゆのさんも心配してたよ。ほんとに一度連絡しておいたほうがいいよ」

「そ、そうだね……」

 そうか。麻衣はいなかったから、わたしと悠乃さんがキスをし合ったことを知らない。いったい、どんな風に声をかければいいというのか。

 とにかく、いろんな疲れを流すために、家に帰ったらまずはゆっくりとお風呂に入ることにした。


 熱いお湯に浸かってぼんやりしていると、イベントでのことが頭をよぎる。

 ――なんで、あんなことしちゃったんだろう。

 悠乃さんの顔と、唇。柔らかかった。吐息を感じた。

『お返しです』

 悠乃さんの声を思い出して顔が熱くなるのは、お風呂のせいだけではない。

 わたしは顔を湯船に沈め、声にならない叫び声をあげた。泡はわたしの感情と同じく形にならず、水面に弾けていく。

 黙らせてやる、なんて言って。わたしは、キスをしたかっただけなんじゃないか?

 悠乃さんの研究本に書かれていたことを思い出した。

『ここでは「手をつなぎたい」「キスをしたい」といった身体的接触への欲求を根拠に恋愛感情と判断した。』

 恋愛感情。わたしは悠乃さんに対して抱いているのだろうか。

 のぼせる寸前でお風呂を上がった。ほかほかの体で髪を乾かしながら、部屋でスマホをちらりと見てみると……。


 ユリッターの通知がものすごい数になっている。よく分からないメンションがたくさん付いている。それに、過去のブルームや上げたイラストの引用も多数。

 ――何だろう? 何かバズったのかな?

 反応を見てみると、衝撃のブルームが目に飛び込んできた。


『今日のリリフェスでとんでもないことが起こった! #リリフェス2025 #リアル百合』


 それは動画付きだった。スマホで撮ったらしい、少し手ブレとノイズの入り混じった映像。人だかりの向こうに、二人の女性がイベント会場で言い争っている。――わたしと、悠乃さんだ。顔はよく見えないが、知っている人が見たら明らかに誰か分かる。口論の内容は途切れ途切れになっていて聞こえにくい。そして、わたしが悠乃さんに掴みかかって、その……キスをした。瞬間、どよめきが起こり映像は乱れ、動画は終わった。

「な、何これ……っ!?」

 誰かがこんな瞬間を勝手に撮って、世界に晒してしまったなんて――。

 髪から水滴がぽたぽたとスマホに落ちたが、わたしは画面を見たまま動けないでいた。


 わたしと悠乃さんがイベント会場でキスするところを盗撮されて、その上ユリッターにアップロードされている――。

 心臓が不吉に脈打つ。のぼせかけた頭から、冷たく血の気が引いていく。わたしは周辺の反応やブルームを追ってみた。


『詳細情報求む。誰か見たやついないの?』

『何これ、ディープフェイク?』

『これ私も見た、ガチだよ』

『本人の許可取ってるのか?』

『え、口論からのキスって何??? 尊すぎない???』

『100万回いいねしたい』

『この二人は付き合ってるの? いや付き合ってなくてもおいしいけど』

『百合イベントでまさかのリアル百合、これは推せる』

『は???? なんで私はこの場にいなかったの?』


 さらに、拡散は広がって海外の百合ファンにまで届いてしまっているらしい……。


『This is Japanese yuri culture(これがジャパニーズユリカルチャーだ)』

『Wait, is homosexuality allowed in Japan? (待って、日本で同性愛は許されてるんだっけ?)』

『I don’t understand Japanese, but my soul understood the love.(俺は日本語は分からないけど、魂で”愛”を理解できたよ)』


 わたしは呆然と、様々な反応をただただ見ていることしかできなかった。そのとき、電話の着信が入った。麻衣からだった。

「ちょっと、ユリッター見てる!? これどういうこと?」

「いや……わたしもまだ状況が……」

「二人のアカウント特定されてるよ。鍵かけといたほうが良いかも。悠乃さんのアカウント見た?」

「あ、そうだ。ブロックしてるんだった……」

 悠乃さんのアカウントのブロックを解除すると、彼女が動画投稿元に返信したブルームが表示された。


『あなたの行為は肖像権の侵害です。私の映った動画を無断で撮影・公開することは許されません。今すぐに削除してください。従わない場合は、法的手段に訴えることも検討します。』


 悠乃さんの強い抗議のブルーム。そして、全体に向けた注意喚起のブルームを複数回投稿していた。

 わたしも、あのアカウントに対して抗議したほうがいいんだろうか。でも、きっとわたしには悠乃さんのように上手くできない。怖くなってきたので自分は鍵アカウントにした。例の投稿をしたアカウントはとりあえずユリッター公式に通報したが、適切に処置してくれるのか、それがいつになるのかは分からない。


 ユリッターが気になって何も手につかず、しばらく見ていたら百合アカウント以外にもかなり浸透してきたようで、否定的な反応が増えてきた。

『オタク女子って注目されるためになりふり構わないところあるよな』

『百合オタとして恥ずべき存在』

『リアルと創作の区別はつけようね(^_^;)』

『炎上商法だろ。通報した。』

『イベントでイチャつくやつ邪魔なんだよ 消えて欲しい』


 目の奥が熱くなってくる。どうしてここまで言われないといけないのか。見たくない。見ないほうが良いのは分かってる。でも、わたしの指はスクロールするのを止められなかった。


 さっきから心臓はずっとドキドキしっぱなしだけど、自傷行為じみたユリッターのタイムラインを追うのが止められない。わたしがあんな場所でキスしたのが悪いんだ。悠乃さんは悪くない。悠乃さんが傷つけられているのが、耐えられない。


 動画投稿元のアカウントはずっと反応がない。悠乃さんは、自分の抗議のブルームに対してつけられた、無関係なアカウントからの心無いリプライに対して律儀に返信を続けている。

『公共の場でキスしておいて被害者ぶるの草 晒されるのが嫌ならやらなきゃいい』

 →『公共の場にいるからと言って、盗撮されることを許しているわけではありません』

『宣伝になってよかったじゃん むしろ感謝するべき』

 →『結果的に宣伝になったとしても、肖像権やプライバシーを侵害することは許されません』

『尊いって言ってもらってるんだから良いのでは?』

 →『善意であっても、プライバシーを侵すことが許されるわけではありません』

『これが侵害になるなら防犯カメラで街を見張ることもできないですねwwww』

 →『防犯カメラの映像は不特定多数に公開されるわけではないので、まったく別物です』


 ――悠乃さん、なんて強いんだろう。悪意の書き込みに対して、毅然とした態度で返信している。全部わたしのせいなのに。


 悪意のあるブルームは、増え続けていた。

 イベント会場でわたしが麻衣と一緒にいるところを見た人が、「二股だ」「節操なしのビッチ」などと根も葉もない噂を広めた。鍵アカウントにしたわたしのことを、「ユリノキ(悠乃さんのアカウント名)を盾にして自分は閉じこもってる」「やましいところがあるから隠れてる」と邪推する人もいる。悠乃さんとわたしに対する、酷いセクハラの書き込みもいくつか見た。悠乃さんとわたしがキスするところをイラストにする非常識な絵描き。それどころか、もっと過激な行為をするイラストまで描かれて拡散されている。

 目に入る一つ一つの心無いブルームが、少しずつ脳みそを削り取っていく。

 そのとき、わたしのスクロールする指が止まった。

 それは悪意に満ちたものではない。激情に任せて書かれたものでもない。淡々と静かに、しかし重く、わたしの心にのしかかった。


『こういう百合営業って、当事者からするとすごく迷惑。レズビアンの存在が話題作りの道具にされてるみたいで、正直、嫌悪感しかない。』


 数秒、呼吸するのを忘れて、冷たい血液が体を巡った。内臓が針で刺されるような、鋭い痛みが走った気がした。


 ――違う。わたしは当事者を踏みにじるつもりはなかった。

 ――何言ってんの? 『つもり』なんか関係ない。

 ――百合を創作するのも、百合営業するのも、同性愛を消費するのは同じでしょう?

 ――悪意でわたしたちを百合扱いして面白おかしく囃し立てるのと、「尊い」なんて言って百合創作をするのと、何が違うの?

 ――わたしだって、このユリッターの向こう側にいる人たちと同じなんじゃないの?


「ごめんなさい……」

 伝わるはずもない言葉を口にする。そもそも、伝えたところで罪は消えない。

 吐き気がする。被害者ぶる資格なんか、わたしには無い。今までやってきたことの、報いを受けてるんだ。

 スマホを手放し、ベッドに潜り込んだ。お母さんが夕飯に呼びに来たけど、何も食べたくない。胃がキリキリと締め付けられるので、空腹を感じなかった。

 そのまま消え入るように意識を失い、悪夢の中へと沈んでいった。

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