第一話 拾われた三人
ある晴れの日の昼下がり。
葛西は、タブレットの画面に映し出されたレッスン映像を無言で眺めていた。
先日、社長から送られてきたものだ。添えられたファイル名には、候補生たちの名前と撮影日時が淡々と記されている。
一人目。
ダンスの動きは出来ていた。しかし、顔に表情がない。
どんなに激しくステップを踏んでも、彼女の瞳は空っぽのまま。感情が伝わってこない。
「機械じゃないんだからな」
葛西はぼそりと呟き、映像を一時停止。
タブレット内のメモ帳アプリに『感情表現ゼロ』と記す。
二人目。
立ち位置についた時点で、すでに肩が震えている。
イントロが流れるとともに、目が泳ぎ、ステップがもつれ、途中で足が止まった。
「硬いな」
やがて彼女は、音楽が止まるより先に、頭を下げてしまっていた。
何かを恐れるように、カメラを避けながら。
「人前に立つのが怖いなら、なぜここに来た?」
誰に問うでもなくそう言いながら、葛西は『極度のあがり症』と書き加える。
三人目。
最も安定して見えた。動きに無駄がなく、ポーズも決まっている。
伸びた背筋。どこか凛とした佇まい。だが──どこか冷たい。
綺麗に整いすぎていて、『何かを伝えたい』という情熱が見えてこない。
それはまるで、正解をなぞっているだけのようだった。
そして言葉には出さないが、少しでもタイミングがズレた者を睨みつけている。
他人の失敗には敏感なようだ。
『理屈屋』
……カチリとタブレットのカバーを閉じる。
薄い手帳に見えたそれは、過去に数多のアイドル候補たちの記録を残してきたノートだ。
長く使っていなかったが──今日から、また再開されることになる。
三人の動画を見終えて、葛西は考えた。
(一応、我が社『ポラリスプロ』の面接を通過した者達だ。何かしらの可能性はある筈)
(だが、今のままでは……観客の心に届くものは何も無い)
──果たして、これが「夢に値する努力」と言えるのか。
思考を閉じ、彼は時計を確認した。
指定された時刻。そろそろ、『あの子』たちが事務所に来ている頃だ。
※ ※ ※
社長から指定された時刻まで、あと少し。
葛西はスーツの襟元を整えると、無言で事務所の扉をくぐる。
その部屋に、三人の少女がいた。
どの顔にも、曇りがあった。
緊張しているのか、諦めかけているのか。恐らく、その両方。
制服姿のまま、簡素なソファに座っている。
交友も無いのかずっと無言で、あらかじめ渡されたレッスン着にもまだ手をつけていない。
此方まで沈黙に巻き込まれては、話も進まない。
年長者として、ここは先に挨拶をする必要があるだろう。
「初めまして。
無駄を削ぎ落とした声が、部屋に落ちる。
その言葉を受けて、ようやく三人が顔を上げた。
「あっ、その、
一番右の少女が立ち上がり、まるでこちらを
三人の中では十七歳と最年長だが、身長はまるで中学生かという程度。
金髪で少し長めのボブヘアーが、本人と一緒に震えている。
暑い時期という事を差し置いても、他の二人に比べて肌がより日焼けしていた。
「
短く名乗ったのは、真ん中の無表情な少女。目はどこか虚ろで、しかし姿勢だけはまっすぐだった。
腰まである長い黒髪が少し揺れる。
写真でも見たが、それにしても透き通るような白い肌だ。
「
左の少女が一礼する。言葉は丁寧だったが、どこか感情を削ぎ落としたような口調だった。
少しウェーブがかった明るい藍色の髪で、前髪が長いせいか右目は殆ど隠れている。
所謂クールな佇まいをしていて、男子よりも女子からの受けが良さそうに思える。
「よろしく。では先ず……一人ずつ話をしようか」
葛西は手帳を手に取り、仕切りのある小部屋に視線をやった。
「お話、ですか?」
不安そうに七海が言う。
「ああ。個人面談って奴だ。緊張しなくて良いが……本音で答えて欲しい」
※ ※ ※
一番手は七海だった。
硬くなった背筋と、何度も膝の上で擦り合わせる指先が、その緊張を物語っている。
「改めてよろしく。まず確認するが、君がここに来てアイドルを目指す理由は?」
どもりながら、七海は答えた。
「えっと……人を、笑顔にしたくて……。あの、アイドルって、すごくキラキラしてて、見るだけで元気になれるから……その……」
声はか細く、だが必死だった。
本当は言いたい事が沢山あるのに、『あがり症』という欠点に邪魔されているのだろうと思えた。
(なるほど、これは重症だ)
……そして、確信を突く質問。
二、三と質問をした後、試すように葛西はこの問いを投げかける。
「では、次の質問。『憧れている』あるいは『目標にしている』アイドルはいるか?」
その時。
七海の瞳は、一瞬きらりと輝いた。
「はいっ、Mio♪さんです!」
彼女の表情に、今日一番の明るさが灯る。
「子供の頃、お母さんと観てたテレビで、あの人のライブ映像が流れて……あの時、心が熱くなったのを覚えててっ! それで……!」
今までのおどおどとした態度から百八十度急変して、まるで自分の事かの様にあのアイドルについて話出す七海。
それを懐かしく感じつつも、葛西は表情に出す事なく、七海の話を静かに聞いた。
「……ぁ、すいません、つぃ」
我を忘れていた七海が、ふと自分を思い出して、またいつもの調子に戻ってしまう。
「構わない……よし、では次の者を呼んできてくれ」
葛西は頷くだけだった。だがその沈黙の中で、何かが揺れた。
※ ※ ※
二番手は、梓。
「君は、担当トレーナーから何か言われなかったか?」
「無機質だって、よく言われます」
その言葉通りの、淡々とした口調。
でもそれが彼女の防御なのかもしれない。
「レッスンの映像を見た。正直、アイドルをやりたいと思っているようには見えない」
そして葛西は厳しい事を言い放つ。
「動きは悪くない。表現をする事自体は得意なんだと思う。だがお前の表情には殆ど変化がなかった。まるでアイドルは途中経過で、『その先』を意識している様な気がした」
その言葉に、梓は目を見開く。
「……そういうの、分かっちゃうんですね」
梓は観念した様に喋り出した。
「最初は演劇とかに興味があったんです。その一環で体の動かし方や声の出し方を学ぶ為に、ダンスや歌の練習もするようになりました。人前に出て、認められたら、そっちの道に進めるかな、と。でも、どうしたらいいか分からなくて」
相変わらず淡々と語る梓。しかし演劇を志す者としては、決定的に欠けているものがある。
昨日レッスンの映像を見た限りだと、梓のダンスや立ち回りはそれなりに出来ていた。
しかしそれ故に、表情の乏しさは目立つ。
アイドルは通過点で、演劇の道に進みたいとの事だが、これではアイドルもまた厳しいだろう。
「誰かを参考にすればいい。好きな役者やアイドルの一人くらいはいるだろう?」
葛西がその質問をした時。
やはり梓の表情が、少し動いた。
「全部、あの人から学びたいと思いました。表情の出し方、感情の伝え方。Mio♪さんの眼で語るパフォーマンス。小さい頃、テレビで見たあの視線に、惹かれたんです」
葛西は静かに目を伏せた。
※ ※ ※
三人目、紗良。
全てにおいて『理屈』を優先すると前情報にあった娘。
「自分なりに、アイドルと言うものに回答を出しているのか?」
「そうです。色んな先輩方の動画を見て、実際に踊ってみて、自分を高めて来ました。それなのに誰も私の事を認めてくれないんです。他の子が足を引っ張って、それを注意しても悪いのは私って言われるんですよ? プロデューサーもそうなんですか?」
自分に絶対の自信があるようだ。
レッスン風景を見る限り、彼女の言葉に嘘は無さそうでもある。
しかしそれが裏目に出て『失敗・上手くいかないのは自分以外の所為』と言う思考になってしまっている。
「単刀直入に言おう。君には決定的に足りないものがある。『他者の思考の理解力』だ」
「なっ」
他責思考な者にこんな言葉を投げかけると、感情的になるのは火を見るより明らかだろう。
だが今回はこの三人でユニットを組む事になっている。
和を乱す行為は極力減らさなければならない。
「そんな事はありません。私は他の子よりも沢山練習して……」
「それだよ」
紗良の言葉を遮って、葛西は言う。
「仲間を、周りの人達の事を理解出来ないような者が、お客さんに理解して貰えると思うか?」
この一言に、紗良はショックを受けたような表情をして、萎んだ紙風船みたいに顔中を
「そ、それは……」
「君は感情を理解する事を学ぶ必要がある。努力というのは自分の得意分野だけをしているのでは意味がない。学ぶ事の大切さを分かっているなら、そう言った他者の感情を理解する事も、君なら難しくない筈だ」
今の彼女であれば、頭ごなしのこの言葉を、素直に聞いてくれるとは思えない。
それでも、努力の方向性を少しでも他者の理解に費やしてくれれば、彼女はもっと上に行ける……と思う。
「トップアイドルになるには、こう言った思考の理解も重要だ。恐らく君が憧れていると書いた、『彼女』もそうだっただろう」
「『Mio♪』さん……ですか」
「何故、彼女に憧れを?」
紗良は静かに言った。
「あの人は、完璧でした。メロディと言葉の選び方が、綿密に計算されていました。私もああ言う風になりたいとは思ってるんです」
「そうか」
葛西もまた、何かを隠すかのように眼鏡のフレームに指をかけ、くいっと掛け直した。
三者三様。
けれど全員が口を揃えて『Mio♪』と言う。
(あぁ。分かったよ)
その瞬間、葛西の中で何かが揺れた。
けれど表情には決して出さない。彼の癖だった。
※ ※ ※
再び三人と向き直り、葛西は立ったまま言った。
「先んじて、君達のレッスンの映像を見させて貰った」
葛西がタブレットのメモを開く。
「まず、梓。技術はあるが、歌に感情が乗っていない。表情の変化も乏しい」
「次に、紗良。ほぼ完璧に近い。が、それは模倣に過ぎない。お前自信がどこにも無い」
「最後に、七海。常に視線が泳いでいる。緊張が呼吸に現れ、歌も満足に歌えていない」
三人は俯いてしまった。だが、誰も否定する者はいなかった。
「……正直に言う。社長からは『三ヶ月で結果が出なければ、お前達は退所』と言われている」
退所。
アイドルとしてまだ何も成せていないうちの、実質的な引退。
沈黙が、張り詰めた空気を締め付ける。
「だが、俺は諦めていない。お前達の中に光の『素』はある。それを見たから、ここにいる」
葛西は眼鏡を押し上げた。
「ただし弱点を克服するのは、俺じゃない。お前達自身だ。これは……」
そして、静かに問いかけた。
「お前達が壁を乗り越え、その先を目指す為の『試練』だ。最後まで自分自身と向き合い、戦う覚悟はあるか?」
数秒の沈黙の後。
「……やります」
「……はい」
「……私も、やる」
弱々しいながらも、確かに言葉は返ってきた。
「いい返事だ」
葛西はタブレットを閉じる。そしてこう言った。
「なら先ずは──」
三人は固唾を飲んだ。
初レッスン? 基礎トレ? 合宿?
どんな厳しい指導が飛んでくるのか。
葛西はポケットからスマートフォンを取り出し、カレンダーアプリを開いた。
「眼鏡を買いに行こう」
「「「……え?」」」
三人の口から、間の抜けた声が同時に漏れる。
「君達にはそれぞれの『仮面』を見つけてもらう。内側から自分を変えるための、もう一つの顔だ」
「っ……」
少女達は、全く反応できなかった。
ただただ『プロデューサーとはこういうものなのか?』という目で葛西を見つめていた。
──この日から、彼女たちの物語が動き出す。
憧れだけでは届かない夢。けれど、憧れを仮面に変えれば、ステージに立つ勇気は手に入る。
必要なのは……自分を偽る覚悟だ。
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