第20話 失われぬ声

 リュネの告白が終わったところで、カイルがふうっと息を吐いた。がたりと椅子が揺れ、部屋の空気が少しだけ緩む。

 まだすべて飲み込みきれていないのだろうが、彼の目は理解しようと揺らいでいるのが分かった。リュネは立ち上がり、ハーブ水をカップに注ぐ。


「だからあんたは、そんなに選択することにこだわってたんだな」

「そうね……今度こそ、自分で自分の道は選ぶって、決意したの」


 揃いの器。差し出し、受け取られる。リュネはそれを一口飲み、その冷たさが残ったままの口で言葉を並べた。


「そしてね、わたしはまた選ばないといけない」

「……なにを」

「ここから、出ていくことを」


 カイルの動きが止まる。琥珀色の目がまたたいて、カップが乱暴に机を叩いた。


「なんで急に……まさか」

「そう。バレちゃったの。ルシアンお兄……ルシアン様に。わたしの、正体」


 彼の動揺を表したように、ろうそくの炎がちぎれそうに揺れる。リュネは、口角を上げたまま続けた。


「セレスティアの記憶を持つわたしは、アルノ家にとって排除しなければならない存在だわ。だから必ず、殺しにくる。その時、この村に迷惑をかけたくない」


 それは、心からの本心だ。まだ育ての老婆が生きていた頃、魔女見習いだったときからリュネを愛し、育んできた村のことは、とても大切だから。

 

 大いなる力を持つリュネを迫害せず、優しく広く受け入れてくれた人たち。老婆が亡くなった後も『魔女さま』と呼んで慕ってくれる人たち。


 その人たちの生活を、奪う可能性があること自体、リュネにとっては耐えがたい。


「わたしは魔女だから。大好きな人たちを危険に晒すような真似なんて、できない。しちゃいけないわ」

「……それが、お前の意思か」


 カイルは、まっすぐにリュネを見つめる。痛いくらいに、一直線に。

 その輝きが眩しくて。リュネは視線をくい、と躱して、つぶやいた。


「……ええ、そうよ。だって、そうしないとみんなが」

「みんなとかじゃなくて!」

「じゃあどうすればいいのよ!?」


 大声に驚いていたのは——他でもないリュネ本人だった。眉間にしわを寄せ、それから信じられないといったふうに口を押さえる。


「この村の人たちを巻き込んだら……わたしは、本当にわたしを赦せなくなる……アルノ家に抗ってまで押し通すことなんて、わたし」

「抗えよ!」


 今度の大声は、カイルだ。リュネは体を跳ねさせて、おそるおそる顔を上げる。長い前髪を乱暴そうに振り払い、カイルはリュネを射抜くように見つめていた。


「……選ぶことから逃げるなよ。あんた、散々言ってきたじゃねえか」

「逃げるなんて」

「いーや、あんたは逃げてる。自己犠牲って手段にな」


 ふっ、とカイルが息を吐く。それから、ゆらりと体を前に傾け、リュネのことを見上げるように顔を上げた。雷に撃たれたみたいに、その視線が突き刺さる。


「おい、リュネ。あんた、後悔したんだろ。自分で自分の道決めなくて。今また、同じこと繰り返そうとしてんぞ。アルノの野郎どもに、また人生曲げられてんだぞ。気づけよ。目ぇ、逸らしてんじゃねえぞ」

「カイル……」

「いいじゃねえか。ここに居たいなら、居ろよ。アルノの奴らが殺そうとしてくる? 村人に迷惑がかかる? 上等じゃねえか。あんたに抗う意思があるなら、着いてくるやつは必ずいる……俺みたいにな」


 カイルの手が、リュネの拳に重なる。温かくて、じんと溶けるような温度。

 ひとが、生きている温度。


「だから、自己犠牲なんてやめろ。嫌ならちゃんと嫌って言えよ。もし、それを世界中の奴らが赦さなくても……俺は、あんたを赦すぞ。リュネ」


 リュネは手を引かれ、椅子から転がる。その身体を、カイルがしっかりと抱きしめた。固く、固く、強い意思を込めるように。

 

 あんたを赦す。

 その言葉が、何回も何回も、頭の中で響いている。


「……それ、ほんとう?」

「信じられなくても、そうする」


 あんたが、そうしたように。


 リュネは、カイルの背中に怖々と腕を回した。二人の距離がゼロに近づく。体温が混ざり合うように温まる。


(……わたしは、赦されるの?)


 ずっと赦しを与えてきた。そうすれば、いつか過去の自分を赦せると思って。小さな悪事も、大きな揉め事も、猶予を与え、知恵を与え、時には金や物品を与えて、選ばせてきた。

 選ばなかったセレスティアの贖罪をしているのだ、と思って。


(誰かに赦されるのって……おばあちゃま以来なのかなあ……)


 もう、遠い昔だ。昔過ぎて、どう受け取ればよいのか分からないほど。


 けれど。けれど、もし、信じてもいいのなら——。


 リュネは、カイルの肩に頬を寄せて息を吐いた。その肩がほんの僅かに震えていることに気づいて、顔を上げる。が、それを遮るように、カイルの手がリュネの頭を寄せた。

 

「……カイル?」

「あのな、リュネ」

「……なあに」

「もう分かってるだろうけど、俺はアルノの人間だ」

「……うん」


 黒い髪に金の瞳。それは、アルノ家の人間が持つ特徴だ。セレスティアも、ルシアンも同じように。

 初めて出会ったあの夜。怪我をして現れた日からずっと感じていた疑問。彼はアルノ家の生まれにして、あの家に強い復讐心を抱いていること。


 その箱が、解かれようとしている。


「でもな、偽物なんだ」


 カイルの手に力が入る。リュネは洗いざらしのシャツの背をそっと撫でた。

 偽物。その単語に、彼の強い感情が込められていることは明白だった。


「……どういうことなの」

「生涯、言うつもりはなかった……けど、あんたが秘密を明かしたのに、俺だけ黙っているのも悪いだろ」

「ねえ、カイル。無茶は」

「無茶なんかじゃねえ。あんたの選択に応えたいっていう、俺の選択だ……だから、どうか、聞き届けてくれよ」


 すう、とカイルが息を吸う。身体が膨らんで、それからゆっくりしぼむ。震えはもう、止まっていた。


「——俺は、アウレリオ。アウレリオ・ド・アルノ。アルノの名前を与えられた、ただの飾り人形だった」


 風が窓を揺らす。がたがたと強い揺れは、まるでアルノの長い冬を思い返すような温度をしていた。

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