第二章 すべては振られていた

 雨は止んでいた。


 だが、空は晴れてはいなかった。雲は低く、街はぼんやりと濁った色をしている。人の顔も、建物も、音も、すべてが濁っているように見えた。


 凪は、ぼんやりと街を歩いていた。


 もう何も考えずにはいられなかった。あの音──カラ……ン。サイコロの音。昨日、鏡の前で“投げてしまった”あの瞬間。あれは妄想か、それとも何かの象徴なのか。


 足元の舗装道路に、雑に吐き捨てられたガムが貼り付いている。そのすぐそばで、小学生の男の子が急に走り出し、交差点で立ち止まった。


 そして──凪の目に見えた。


 サイコロ。


 男の子の右手が空を振り、見えない何かを放つ。何も持っていないのに、サイコロだけが跳ねる。


 ──カラ……ン。


 次の瞬間、男の子は飛び出した。クラクション。ブレーキ音。母親の悲鳴。


 だが車はぎりぎりで止まり、少年は無傷だった。


 通行人たちは安堵のため息をつく。何事もなかったように、それぞれの行動に戻っていく。


 凪だけが、その場に立ち尽くしていた。


(あれは……“走る”っていう出目だった……?)


 あの子は自分の意志で走ったんじゃない。あの瞬間、出目に従っていた。そうとしか思えなかった。


 どれだけ注意しても、どれだけ思慮深くても──出目ひとつで、死ぬかもしれない。


 凪の喉が乾いた。コンビニに入り、ペットボトルの水を取る。そのとき、隣の棚にいた青年が急に棚を倒した。


 「っ……す、すみません!」


 慌てて謝る青年。その動きも、言葉も、ぎこちない。だが凪の目には、また見えていた。


 ──サイコロの跳ねる軌道。


 青年は、手を振っていた。何も持っていなかった。けれど──


(“倒す”って出たんだ……)


 凪は震えた。


 これまでの人生、どれほど“偶然”を見過ごしてきたのか。

 誰かの失敗、誰かの成功、誰かの笑顔、誰かの死──

 それらすべてが、“サイコロ”によるものだったとしたら?


 通りに出ると、ビルの上階から紙がひらひらと舞い降りてきた。広告チラシだ。


 風もないのに、不自然な動きで、凪の足元に落ちてくる。


 拾うと、こう書いてあった。


 「人生は出目で変わる」


 そう印刷された、まるで占い商品の広告だった。

 凪は笑った。笑ったまま、空を見上げた。


 空は、やはり濁っていた。


 その濁った空のどこかに、**この世界を振っている“何か”**がいる──そう感じられてならなかった。

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