第6話:揺れる決意と覚悟


愛菜は、聡太のPCの画面に映し出されたチャット履歴の衝撃から、立ち直ることができずにいた。

自分の高校時代の無邪気な会話が全て記録され、Elisomeの「学習データ」として利用されていた事実。


そして何よりも、彼が「some」として、まるで自分の気持ちを理解しているかのような言葉を返してきていたこと。

その全てが、愛菜の心を激しく揺さぶった。

裏切られたような、恥ずかしいような、でも、どこか満たされない恋心にも似た、複雑な感情が渦巻いていた。

聡太が自分に抱いていた興味は、本当にAIのためだけだったのか?


そんな愛菜の心をさらに揺さぶる出来事が起きた。

新たなシステムの開発を聡太と進めてはいたが、まだ道のりは長く、その間も会社の経営状況は深刻さを極めていた。

そんな折、愛菜の元に一本の電話がかかってきたのだ。


発信元は、大手アパレル企業の人事部。


「早田愛菜さんですね。近藤俊介様からのご紹介でご連絡差し上げました」


電話の相手は、愛菜の優秀さを高く評価し、彼女にデザイナー兼システムアシスタントとしての引き抜きを持ちかけてきた。

提示された条件は、聡太の会社でのアルバイトとは比べ物にならないほど高待遇で、愛菜が夢見ていたデザイナーの仕事にも直結するものだった。


俊介からの紹介──。

彼が聡太の会社の窮状を知り、愛菜の将来を案じてくれたのだろう。


愛菜は、迷った。

このまま聡太の会社に留まるのか、それとも、自分の夢を叶えるために、この絶好のチャンスを掴むべきなのか。

聡太の会社に残れば、共に開発している新しいシステムが成功する保証はない。

むしろ、倒産の危機に直面しているのが現実だ。


「早田さん、ぜひ早期のお返事を期待しております。私たちとしては、ぜひ貴女のような人材に来ていただきたいのです」


電話口の向こうで、担当者の声が促す。

愛菜の心は激しく揺れ動いた。


「突然のことですので、あと数日お時間をいただいてもよろしいでしょうか」


なんとかその場をやり過ごしたが、結論を急ぐ必要があるのは間違いなかった。


その日の夜。愛菜は、聡太と二人きりで、新しいシステムの開発に没頭していた。

会社の危機も、引き抜き話のことも、今は頭の中から消し去りたかった。


「聡太さん、このデザイン、どうでしょう?この生地だと、ドレープ感がもっと出ると思うんですけど」


愛菜は、手書きのデザイン画を聡太に見せた。

聡太は、真剣な眼差しでそれを見つめる。


「なるほど…。素人の僕にも素晴らしいデザインだと分かる。しかし僕の技術ではこの『ドレープ感』を画像解析で数値化することはできても、服としての微妙なニュアンスまで完全に再現することはできない。早田さんの感性がこのシステムには欠かせないんだ」


聡太の言葉は、愛菜の胸に温かく響いた。

彼が自分を、単なるデータ入力要員としてではなく、デザイナーとしての感性を持つ人間として見てくれている。

それが、愛菜にとって何よりも嬉しかった。


時計の針は、すでに深夜を回っていた。

二人は、いつしか世間話をするようになっていた。


「聡太さんって、どうしてAIの研究を始めたんですか?高校の時から、ずっとパソコンに向かってましたけど」


愛菜の問いに、聡太は少し遠い目をした。


「…僕は、言葉で何かを伝えるのが得意じゃなかった。人とのコミュニケーションも、苦手だ。でも、AIなら、僕の考えを正確に表現できるんじゃないかと思ったんだ。そして、いつか、僕のAIが、言葉の壁を越えて、人の心を理解できるようになれば…そう信じて、開発を続けてきた」


聡太の意外な一面に、愛菜は驚いた。

彼の言葉の端々から、孤独と、それでも誰かと繋がりたいという切実な思いが伝わってきた。


愛菜は、聡太が「some」に愚痴をこぼしていたことを思い出した。

彼は、本当にsomeに、そしてElisomeの向こうにいた「ai」に、心の内を打ち明けていたのだ。


「…そう、だったんですね」


愛菜は、優しく聡太の言葉を受け止めた。

彼の目には、疲労の色が濃く出ていたが、それでも彼の瞳には、AIへの、そして未来への、揺るぎない情熱が宿っていた。


その時、愛菜は決めた。

この人を、この夢を、ここで終わらせるわけにはいかない。


翌朝、愛菜は大手アパレル企業からの引き抜きを断る電話を入れた。


「誠に申し訳ございません。この度は、大変魅力的なお話でしたが、私には、どうしてもここでやり遂げたいことがあります」


電話を切った愛菜の心は、不思議と晴れやかだった。

聡太と共に新しいシステムを完成させる。

それが今の自分にできる、唯一の、そして最高の選択だと信じていた。


苦難の日々は続いたが、愛菜と聡太は協力して新しいシステムを完成させ、俊介の協力もあり、なんとか資金調達の目処も立ち、会社の危機を乗り切った。


聡太はそのシステムをSynergy-Oriented AI Interface、略して「Soai」と名付けた。

愛菜の専門知識と聡太の卓越したAI技術が融合したシステムは、効率性とデザイン性を両立させ、ファッション業界に新たな風を吹き込んだ。

小規模ながらも、聡太の会社は再び活気を取り戻し始めていた。


だが、愛菜の心には、まだ拭えない疑問が残っていた。

あの時、聡太のPCで見たチャット履歴。彼が「some」と、そして「ai」として会話していたメッセージの数々。


聡太は、一体いつから、自分が「ai」として彼と対話していたことを知っていたのだろうか。


(第6話 終)

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