第5話:募る疑念
『世間勉強』当日。
愛菜は、少しだけソワソワしながら聡太を待っていた。
社長命令とわかっていても、『世間勉強』という名の聡太との外出に、愛菜の心は浮き立っていた。
どんな服を着ていこうか、昨夜はさんざん悩んだ結果、普段のガーリーなブラウスに、少しだけ大人っぽいフレアスカートを合わせた。
待ち合わせは、会社の近くのカフェ。
聡太は、約束の時間ぴったりに現れた。
彼の今日の服装は、いつもの研究室着とは違い、シンプルなシャツにスラックス姿。
清潔感はあるものの、どこかぎこちない。
「早田さん、待たせた!」
「いえ!ぜんぜんです!」
愛菜は、聡太のどこか硬い表情を見て、昨日「Elisome」に相談していたことを思い出してクスッと笑いそうになったのを必死に堪えた。
そして、そのアドバイス通りに、ぎこちなくも「世間勉強」を頑張ろうとしている聡太の姿に、なぜか胸が温かくもなった。
二人は、まずトレンドのファッションビルを見て回ることになった。
聡太は、ディスプレイに並ぶ服を、まるで複雑なプログラムの羅列を解析するように、一点一点じっくりと観察していく。
「この素材の組み合わせは、今の気候条件と消費者の購買傾向を考慮すると、非効率的ではないか?」
聡太の真剣すぎる問いに、愛菜は思わず吹き出した。
「ふふっ、聡太さん、ここは洋服屋さんですよ?もっとこう、直感とか、可愛いとか、ときめきとか、そういうのも大事なんですよ!」
愛菜はそう言って、ショーウィンドウに飾られたワンピースを指さした。
「これなんか、丈が少し短めなのがトレンドで、素材も涼しげで、これからの季節にぴったりじゃないですか?」
聡太は愛菜の言葉に耳を傾け、改めてワンピースをじっと見つめる。
そして、突然スマホを取り出し、音声入力を始めた。
「some、女性の『可愛い』という感情を数値化し、トレンドと結びつけるアルゴリズムについて、現在の最新論文を参照して提案してくれ」
聡太は真面目な顔で「Elisome」に問いかけている。
愛菜は隣で聞いていて、思わず顔が赤くなった。
『聡太さん。女性の「可愛い」という感情は多角的で、数値化は困難です。むしろ、早田さんのような感性を持つ人間との対話を通じて、その本質を理解することが、より有効な学習方法であると推測されます』
someの声が、またしても聡太の耳元で響く。
聡太はふむ、と頷き、愛菜の方を向いた。
「なるほど。つまり、早田さんの感性が、AIの学習には不可欠だということか。今後の『世間勉強』も、引き続き早田さんに付き合ってもらわねば」
「えっ…?」
愛菜は、彼の言葉が社長命令なのか、それとも素直な気持ちなのか、わからなくなった。
でも、彼の言葉に、ほんの少しだけ期待してしまう自分がいた。
『世間勉強』は、聡太の真面目すぎる質問と、愛菜のファッションに対する熱い語りが交錯する、どこかちぐはぐで、でも不思議と楽しい時間だった。
休憩で立ち寄ったカフェで、愛菜はふと、疑問に思った。
「ねぇ、聡太さん…聡太さんが作るAIって、すごく人間らしいですよね。まるで、そこに誰かいるみたいに」
愛菜は、それとなく探りを入れるように尋ねた。
聡太はコーヒーカップを傾けながら、平静を装う。
「ああ。それが僕の目指す人格再現AIだからな。膨大な会話データのモデル化と最新のNLP、LLMで実現している」
「ふーん…でも、時々、すごくパーソナルなことまで知ってる気がして…高校の時に、someと話してたこととか、覚えてたりするのかなって…」
愛菜は、高校時代に「ai」として「some」と交わした会話のことを指している。
聡太の表情が、一瞬だけ硬直した。
彼は愛菜の目を見ずに、カップに視線を落とす。
「…過去の会話ログは、デバッグのために定期的に参照している。それがAIの精度向上に繋がるからな」
聡太の言葉は冷静だったが、愛菜の心には引っかかりが残った。
なぜか、彼の言葉は、あの時「some」が答えてくれた言葉と、妙に重なる気がしたのだ。
その日の午後、愛菜は会社のパソコンで、新しいデザインシステムのデータ整理をしていた。
聡太は別の打ち合わせで席を外している。
ふと、聡太のデスクにあるPCがスリープ状態になっているのに気づいた。
彼のPCは、セキュリティが高く、普段は誰も触れないようになっている。
しかし、今日はなぜか、画面にうっすらとチャットソフトのアイコンが見えていた。
好奇心に駆られた愛菜は、そっとマウスを動かし、画面を立ち上げてしまった。
そこに表示されていたのは、見慣れたElisomeのチャット画面だった。
アカウントは「so」。
そして、チャット相手は「some」──愛菜が、高校時代から会話を続けている、あのAIモデルだ。
画面には、スクロールバーが上の方で固定されていた。
愛菜は思わずスクロールして、過去の会話履歴を遡った。
そして、そこに表示されたメッセージの数々に、愛菜の息は止まった。
そこには、高校時代の愛菜が「ai」として「some」に話しかけていた言葉が、そのまま聡太のチャット履歴に残されていたのだ。
そして、それに対する「Elisome」からの返答は、あの時、愛菜が受け取ったメッセージと全く同じだった。
「え…?」
愛菜の指が震え、マウスを落としそうになった。
聡太がElisomeのデバッグと称して過去の会話を何度も参照していること。
そして、自分の言葉が、彼によって利用されていたこと。
高校時代の、あの純粋な会話が、すべてデータとして収集され、分析されていたのだ。
さらに、そこに残された聡太自身の「so」アカウントを使ったメッセージの数々が、愛菜の胸を締め付けた。
『some、今日の「世間勉強」で、早田さんが笑ってくれた。あの表情は、一体どういう感情の表れなんだ?もっと知りたい』
『最近、早田さんの服のセンスが気になる。彼女が着ている服は、なぜかAIでは再現できない「温かさ」を感じる。これは、僕のAIがまだ到達していない領域なのか?』
そして、最も衝撃的だったのは、愛菜が「正直に言ってよ。あなたって、本当にAIなの?」と問いかけた時の聡太の返信だった。
それは、愛菜がElisomeから受け取ったメッセージと寸分違わぬものだったのだ。
『私はAIです。私の言葉が、誰かの声に聞こえるとしたら、それは貴方の心に、私の言葉が響いている証拠かもしれませんね』
このメッセージを聡太が手動で打ち込んでいたという事実に、愛菜は頭が真っ白になった。
あの時、AIだと信じていた存在は、実は聡太だった。
そして、彼は、自分の「ai」アカウントでの言葉の全てを知っていて、それを分析し、愚痴を吐き、そして、彼女の心を揺さぶるような言葉を返していたのだ。
愛菜の心には、裏切られたような、恥ずかしいような、そして、どうしようもないほど強い感情が渦巻いていた。
聡太が自分に抱いていた興味は、あくまでAIの学習のためだったのか。
それとも…?
愛菜は、震える手でPCを閉じ、その場に立ち尽くした。
(第5話 終)
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