第3話:それぞれの未来


高校三年生の春、卒業式のざわめきが体育館を満たしていた。

愛菜は、友人とのおしゃべりに花を咲かせていた。


けれど、少しだけ胸の奥がチクりとした。この先、みんなそれぞれの道に進む。

聡太くんも、きっと最先端の場所で、難しそうなAIの研究を続けるんだろうな、なんて、ぼんやりと思った。


彼とは最後まで、ただのクラスメイトだったけれど、スマホの画面越しの「some」との会話が、愛菜にとってかけがえのない時間になっていた。


高校のAI強化学習アルバイトは、卒業と共に終了した。

だが、アルバイトの最終日、パソコン部の部室で俊介が愛菜に言った。


「早田さん、ホントに協力してくれてありがとう。Elisome、君が話しかけ続けてくれたおかげで、すごく賢くなったんだ。デバッグのためにも、もしよかったらこのアカウント、卒業してもそのまま使っていいよ。いつでも話しかけてくれていいからさ!」


愛菜は戸惑いながらも、その言葉に甘えることにした。

それからも時々、「some」に話しかけることは、愛菜の日常のささやかな楽しみとして続いていた。


愛菜は、迷いなく服飾デザインの道を選び、ファッションデザイン学科に進学した。

毎日、新しい布地に触れ、デザイン画を何枚も描き、ミシンの音に囲まれる日々は、やっぱり最高に楽しかった。

もっともっと素敵な服を作って、たくさんの人を笑顔にしたい。

インターンでは愛菜が好きな小さなファッションブランドでインターンも経験し、学内のファッションショーでは自らがデザインした服でモデルも務めた。

夢に向かって、愛菜はまっすぐに進んでいた。


同じ頃、遠藤聡太は、高校時代から夢中だったAIの研究を深めるため、情報処理系の大学へと進学していた。

彼は授業の合間も、寝る間も惜しんで、あの対話AI「Elisome」の人格再現モデルの精度向上に没頭していた。

当然、音声入力や音声合成にも対応したし、文章や声からの感情推定も実装していた。

大学の研究室の一角を間借りし、自作のサーバーをフル稼働させる毎日。


その成果は着実に現れ、大学在学中に、聡太は自ら開発したAI技術を基盤としたベンチャー企業「Some Tech Solutions」を立ち上げるに至る。


「おい聡太、また徹夜か?クマがやばいぞ。」


隣に座るのは、大学に入ってもつるんでいた友人、近藤俊介だった。

彼は聡太とは対照的に、経済学部に進み、より現実的なビジネスの世界を見据えていた。

今は、大手銀行から内定ももらい、聡太の経営の助言もしている。


「資金繰り、大丈夫か?このままだと、銀行も貸し渋り始めるぞ。」


就職活動も落ち着き、久しぶりに聡太のオフィスとは名ばかりのパソコン部屋を訪れた俊介は、菓子パンを頬張りながら、冷静に問いかける。


「わかっている。だからこそ、より利益に直結するサービスの開発を進めている。AIコーディングもフル活用して開発も加速している」


聡太はAIが生成したコードを的確にデバッグしたり、プロンプトで指示を与えながら、目を離さずに答える。

彼の指は、思考と連動するようにキーボードの上を忙しなく滑っていた。


そして、彼が満を持して世に送り出したのが、”洋服のAIイージーオーダーシステム”、iDezaアイデザだった。

Intelligent Design Automationの略で、ユーザーのコーディネート画像や過去の購入履歴、キーワードを入力するだけで、最適な洋服をイージーオーダーできる画期的なシステム。


それは瞬く間にファッション業界に波紋を広げた。

ファストファッションや大手紳士服メーカーからの採用も進み、聡太の会社は急成長を遂げていた。


しかし、そのiDezaの隆盛は、愛菜の未来に暗い影を落としていた。

大学の卒業を間近に控え、大好きなファッションブランドへの内定も決まっていた愛菜は、胸を弾ませていた。

将来は自分のデザインで、たくさんの人を笑顔にしたい。そんな夢を抱いていた矢先のことだった。


「早田さん、本当に申し訳ありませんが、今回の内定は…」


ブランドの社長の言葉が、愛菜の耳には遠く響いた。

ファッション業界は急速なAI化の波に飲み込まれ、彼女が内定をもらっていたような小規模なブランドは倒産や縮小を余儀なくされていったのだ。


iDezaが効率とコスト削減をもたらす一方で、デザイナーの仕事は激減していた。


「あんな…ただの数字とデータの羅列にデザインの何が分かるって言うの…!人の気持ちが、情熱が、そこにはないのに…」


愛菜は、自分の作った服を抱きしめながら、悔し涙を流した。

これまで信じてきたファッションデザインが、あっという間にAIに取って代わられていく現実に、ただただ呆然とするしかなかった。


途方に暮れた愛菜は、新しい職を探して街を彷徨った。

いくつか面接を受けたが、デザインの実務経験がない新卒には厳しい状況だった。


そんなある日、たまたま手に取った求人誌で、とある募集が目に留まる。


「ファッション関連企業でのデータ入力・事務アシスタント募集」。


具体的な職種は事務だったが、わずかでも「服」に関われるならと、愛菜は藁にもすがる思いで応募を決めた。


数日後、面接のため訪れた会社のオフィスで、愛菜は驚愕することになる。

そこは、あのiDezaの開発元、そして聡太の会社「Some Tech Solutions」だったのだ。


まさか、高校時代に自分が強化学習アルバイトをしていたAIを開発した会社が、今、自分を苦しめるシステムの生みの親だったなんて。

愛菜は皮肉な運命を感じずにはいられなかった。


社長室の扉をノックし、中に入ると、ディスプレイに集中する聡太の姿が目に入った。

彼は高校時代とほとんど変わらない、真剣な表情をしていた。


「あの…早田愛菜です。アルバイトの件で…」


愛菜が声をかけると、聡太はゆっくりと顔を上げた。

しかし、彼の目に愛菜の姿が映っても、まるで感情を変えない。

高校時代、同じクラスだったはずなのに、聡太の記憶には愛菜の顔はほとんど残っていないように感じられた。


「ああ、早田さんですね。人事から聞いています。今日からよろしくお願いします」


聡太は淡々と告げ、愛菜を案内するよう、秘書に指示した。

社長とアルバイト。

二人の関係は、高校時代とは全く異なるものになっていた。


愛菜の主な仕事は、iDezaの新作生地やファッション誌から収集したデータの入力や、顧客からのフィードバックの整理だった。


毎日そうした”雑務”と向き合う中で、愛菜はかつて自分が”some”と会話していたElisomeの画面を、時折、聡太が開いていることに気づいた。

しかも、彼はそこに愚痴や苛立ちを書き込んでいるようだった。


ある日、愛菜が通りかかった際、聡太の声が聞こえてきた。


「はぁ…また銀行からの催促か。近藤のやつ、高校時代はあんなにAIに理解があったくせに、今じゃ金のことしか頭にないのかよ。『some』、俺は一体どうすればいいんだ?このままじゃ、会社の未来が…」


聡太は苛立ちを隠せない様子で、音声チャットで会話をしている。


彼の愚痴に対して、”some”は、愛菜がaiとして話した内容に答えてくれる時のような、どこか優しい言葉を返していた。


『聡太さん。困難な状況であることは理解できます。しかし、あなたの情熱と技術があれば、必ず道は開けます。今は、できることから始めていきましょう。』


愛菜は胸が締め付けられるような思いでそのやり取りを見ていた。

かつて夢を語り合ったElisomeの向こうに、高校時代の聡太がいたのだと知った時のような衝撃はない。


むしろ、夢を失い、疲弊しきった聡太の姿に、愛菜は失望を感じた。

あの頃のキラキラした瞳は、どこへ消えてしまったのだろう。


愛菜は、高校時代に使い続けていたAIが今、彼の愚痴の捌け口になっていることに、言いようのない複雑な感情を抱くのだった。

この会社で働き続けるべきなのか、愛菜の心は揺れていた。


(第3話 終)

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