第13話

  《十三》

 その週の土曜日から、七重はタウン誌の記事通り着物で店先に立つことになった。

 隣の土産物屋の奥さんが、この娘が山吉小町よ、と七重を大げさに紹介してくれる。そして、宇治のお土産は隣でどうぞと、しっかり自分の店のPRも忘れない。

 中には、宇治観光の記念に一緒に写真を撮らせてほしいという年配のグループもあり、それにも気軽に応じる。

 宇治茶を買うのが初めてだというお客様には、好みを聞きながら試飲用にいくつか淹れてそれぞれの個性を説明する。

 そうしていると、他のお客様からさらに詳しい質問をされることもある。通なお客様で、産地によってどんな味わいの違いがあるのかと尋ねられて、田村さんに助けてもらうことになる。

 いろいろなお客様と接していると、蓬莱堂のご主人が大切にしていた、お一人お一人に合わせた商売という意味が分かってくる。それにきちんと応えていくのには、知識だけではなく、自分で見て聞いて味わって学ぶことがまだまだ必要だと思う。

 難しいのは、よくご存知のお客様よりも、むしろ知識や好みが曖昧なお客様のようだ。商売だけであれば、高級なものを勧めれば利益にはなる。しかし、それでは長いお付き合いにはならない。お客様の少ない言葉から、望んでいる味や香りを想像して、それに最も合う商品を提案する。そして実際にいくつかのお茶を味わってもらって、納得してもらう。

 その時間こそが信頼を生み出し、長いお付き合いにつながっていくのだと思う。

 やはり、こうして実際にお客様と接していくことで勉強になることは多い。

 そんなときに、珍しく山岡のおじさんが豊兄さんと一緒に訪ねてきてくれた。

「お嬢、頑張ってんな」

 おじさんは片手を上げて、いつもの笑顔で声をかけてくれる。

「おじさん、豊兄さん、お久しぶりです」

「ほんまや、わしはいつも待ってんのに、お嬢は用事のあるときしかけえへん」

「すみません。しばらく学校の方が忙しくて」

「冗談や。今日はな、タウン誌ちゅうのんか、それにお嬢が出てんの見たさかいな。こら是非とも応援にいかなあかんて」

「それでわざわざ」

「そらそやろ。それに宇治へ来んのも久しぶりやし。稔はんにも会わんならんで」

 七重が奥へ声をかけると、稔が慌てて出迎える。

「ほな、またあとで。お嬢、着物、よう似合てるで。別嬪さんや」

「ありがとう」

「七ちゃんにも関係のあることやから、落ち着いたら一緒に話しよ」

「はい。すぐに上がります」

 豊兄さんは少し真剣な表情でそう言って、おじさんの後に続く。

 おじさんたちが奥へ上がってしばらくすると、やり取りを聞いていた田村さんが、表は大丈夫なので七重も少し休むように勧めてくれる。お互いの挨拶や近況報告が終わった頃を見計らっての言葉だった。七重も、お呼びがかかったらすぐに来ますから、呼んで下さいねと言い残して奥へ上がる。

「聞いたで、山吉小町やて?」

「あれは隣の奥さんが突然」

「ええこっちゃないか。花があるちゅうのんは結構や」

「小町なんて言われるような美人でもないのに」

「いやいや、それくらい話題性がないと、春風園にやられてまうわ」

 そう言いながら、おじさんはそれほど心配している様子ではない。

「実は、和束の町興しに山吉さんの力を借りよて思てうかがいました」

 豊兄さんが話を切り出した。

「七ちゃんも知っての通り、和束も高齢化してるし過疎化もしてる。農家も年々減ってきて、このままやったら生産地として宇治茶を背負うていかれへんようになる」

 豊の話は、山岡だけの話ではなく、和束の青年団の立場からのものだった。

 これまでにも、お茶を利用した新商品の開発などにも取組んできている。しかし、それだけでは和束へ足を運んでくれる人は少ない。やはり、多くの人に来てもらい、町が賑わってはじめて栽培農家を継いでくれる人も増える。

 また、多くの人が訪れて和束の名前が広まると、中には和束で新たに農業を志してくれる人も出てくると言うのだ。実際に、茶の生産地として日本中に知られている静岡では、脱サラして農業を始める人もあるらしい。

 そこで、青年団としては、新しいアイデアとして、家庭菜園の延長で茶畑オーナー制を検討することになった。すでに、いくつかの産地では進められている例もある。それに個人が季節ごとに手入れをして茶摘みまで行うレベルから、会費だけを納めて生産や収穫は農家に任せるレベルまで、バラエティを持たせるらしい。

 そのPRには宇治茶というブランドが必要で、宇治にある茶舗の協力がほしいというのだ。まずはお茶の愛好家から初めて、実績を作って少しずつ一般に広げていく。ただ、和束にはそのつてがない。とはいえ、一般の茶舗や問屋は、和束だけではなく近隣の宇治田原や京田辺からも仕入れている。和束のためだけに協力するのは憚られるところがある。その点、幸い山吉は他の産地への気遣いは要らない。

 そうして、手始めに山岡と山吉でスタートして、上手く行けば他の産地へも協力を仰ぎながら、広めていくことができる。ひいては宇治茶全体の発展にもつながるという壮大な計画だった。

 仮にその計画が思ったほどの広がりを見せなくても、お互いに話題づくりにはなり、損にはならないというのだ。

「どうやろ、稔はん。わしも豊から話聞いて、どないなるやら見当はつかんのやが」

「私も茶畑オーナーがどこまでいけるかは想像がつきません。けど、若い方が将来のことを考えてくれてるのは嬉しいことです」

「そうなんや。このままやったら、早晩、静岡や鹿児島に押し切られてしまうでな」

「吉野も全面協力しましょう。山吉は一つですから。実は、こちらも向かいの春風園さんに勝てるアイデアがほしいと悩んでいたんですよ」

「そらあ心配ないやろう。今もちらっと見ては来たが、あれでは新しい間だけ、珍しい間だけやろうと思うで」

「とはいえ影響は出てますし、春風園さんは歴史も技もある会社ですから」

「まあな。けどスイーツなんてのんは言うたらどこででもできるこっちゃ。現に、和束でも素人連中があれこれ作ってる。そんなもんで何十年も勝負ができるかいな」

「確かに。真正面から張り合われたらもっと大変でしょうけど」

「あっちが目先の利で動いてる間は心配せんでええのんちゃうか」

 聞けばなるほどと思うのだが、視野も広いし、遠い将来をも見据えていて、今の七重では考えの及ばないレベルの会話だった。

「そこで、七ちゃんの力も借りたいんですよ」

「七重なんかで役に立つことが?」

 稔が眼を丸くする。

「七ちゃんでないと務まりません。今回タウン誌に登場したことにヒントをもらったんですが、キャンペーンガールを是非」

「キャンペーンガール?」

「実はどうしても引き受けていただきたい役割がありまして」

 豊兄さんの考えでは、インターネットを中心にPRしていくらしい。

 茶畑オーナーと言っても、会費制ばかりでは町興しという観点では物足りない。労力の要る作業は農家がやるにしても、一年に何度かは足を運んでもらいたい。そして、そのためには、実際に茶畑の仕事を紹介したいと言う。

 そこで、季節ごとの実際の作業を七重にやってもらい、その楽しさや大変さを初心者として語ってほしいと言うのだ。

 何年もその仕事をしている農家の者が紹介しても、近親感は得られない。また、映像にも花がない。そして何よりも、お茶や茶畑が好きでなければ、地味な作業の裏にある楽しさが伝わらない。元々が茶摘みの時期以外は、派手さもなく手間のかかるばかりの茶の仕事なのである。

 いろんな視点から考えて、これはやはり七重しかいないということになったと言う。

 確かに、豊兄さんの言う条件に七重はぴったりと当てはまっている。

「アイデアとしてはええと思たんですけど、実際に誰かを長い間雇う資金もないし、ちょっとした知り合い程度の人に頼めることでものうて」

「そこでわしが、ほなお嬢に頼んでみたらええと。ということで今日は稔はんに無理を言いに来たんや」

「親父に言われて、考えてみたら何もかも七ちゃんならぴったりで。というより他にできる人はいないと」

 稔はちょっと複雑な顔で二人の話を聞いていた。そうした流れで、どんどん七重の将来がこの世界へと傾いてしまうかもしれない。そこにやはり迷いがあるのだろう。しかし、おじさんと豊兄さんにそこまで言われて断ることはできるものではない。

「なるほど、ようわかりました。七重はどうだ、やってみるか」

「私で力になれることなら」

 七重に反対する理由があるはずもない。

 豊兄さんはどう思っているのかは分からない。ただ、おじさんは七重が山吉を継ぐことにある程度賛成してくれている。おじさんの笑顔を見ると、これはまたとないええチャンスや、そう言っているのが分かる。

「稔はん、頼むわ。これからも吉野と山岡は二人三脚やで」

「ご隠居にそう言われたら後へは引けません。本人もやる気のようですから、存分に使ってやって下さい」

 稔と七重の了解が得られたことで、豊兄さんも企画を具体的に考えることができる。

 青年団で検討して、遅くとも秋ごろからはスタートさせたいということだった。

 卒業後は、反対されても山岡へ勉強に行くつもりだったのだ。それが思わぬ形でお墨付きをもらってできるようになり、その時期が少し早まっただけなのである。七重にとっては願ってもない展開だった。

 すっかり長居をしたと、席を立つ。稔と佐和が見送りに出ようとするのをおじさんが手で止めて、七重が表まで見送ることにする。

「瓢箪から駒や。待ってるで」

「はい。いよいよ弟子入りです」

「弟子にはせえへんて言うてるやろ」

 小さな声で会話をして別れる。

 七重は簡単にお昼を済ませて、午後から夕方まで再び店に立つ。

 四時を過ぎると観光客の数も減り、店を訪れる人もほとんどなくなる。

 七重はシャワーを浴びて普段着に着替え、夕食までの間パソコンでデータの入力や注文の整理をする。

 そんな形でお店の仕事を手伝っていることが楽しくて仕方がない。もちろんそれを何年も何年も続け、七重の知らないいくつもの困難を乗り越えてきた人からは、まだまだ甘いと言われるだろう。そして、これから続けていけば、楽しいばかりではないこともあるのだろうとは思う。それでも七重はこの道を選びたいのだ。

 夕食の間に、今日の豊兄さんの企画について、稔は大丈夫か、とひと言だけ七重に尋ね、七重は、はいと決意を持って答える。それだけの会話しかなかった。

 自分の部屋に戻って、小宮に電話をかける。

 いつものように、思いつくままに話してしまい、あちこちに飛んでしまっていることに後から気がつく。

「すみません。いつも話が順不同で」

「そのほうが七重らしくて楽しい。でも良かったな、何となく夢に向かって一歩前進じゃないか」

「はい。父の悩みは深まってしまったようですけど」

「そう簡単に娘に苦労をしろとはいえないさ」

「そうですね。きっと娘をお嫁にやるときの父親の心境と同じなんだと思います」

「ははは、そうかもしれないな。男ってのは意外に往生際が悪い」

「小宮さんもですか?」

「多分。白状すると、七重の一歩前進を心の底から喜べないところもある」

「ごめんなさい。こんな七重で」

「そんな七重が好きなんだから仕方ない。俺もそろそろ先のことを考えないといけないな」

「どうなさるのですか?」

「稼ぐとなるとやっぱり当面プロのオケかな。ま、本田教授とも相談して、それからだ」

「活躍してくださいね。七重の分も」

「できればね。ところで、月曜日は時間取れる?」

「はい。今のところ、お店は土日だけですから」

「じゃあ、家へこないか。この間話したメヌエット、聞かせてやろう」

「は・・・い。ちょっと怖いです」

「怖い?」

「だって、とんでもなく素敵な演奏で、七重は自分のことが嫌になる。そんな気がします」

「いつだって、そこからがスタートだろ。これから何ヶ月かはどの道練習することになる。目標のない努力の方が辛い」

「はあ、それはそうなんですけど」

「何を弱気な。らしくないぞ」

「そうですね。わかりました」

「そうだ、明日、覗きにいこうかな」

「ええ?恥ずかしいな。でも、来てください。そして、ちゃんとお茶も買って下さいね」

「あれ?この間、美幸がばあさんに頼まれて注文していたはずだが」

「はい。ありがとうございます。それはもう発送させていただいてます」

「その上にさらに。商売熱心だな」

「弱気では七重らしくないのでしょう?」

「なるほど、わかった。春江さん用に、最高級品を買うか」

「ありがとうございます。あ、でも午後にしてください。午前中は忙しいので、ゆっくり母にご紹介する時間がありません」

「なに?母上に」

「この間、西野先輩の結婚式の日、母にはちゃんと話しました。きっとどんな方なのか気にしているはずですから。それに午後は父がいないので、そのほうがいいと」

「そりゃそうだが、こっちが緊張するな」

「やっぱり往生際が悪いのですか?」

「あ、言ったな。そう言われて怯むわけにはいかないな。ちゃんとご挨拶しよう」

「はい。じゃあ、待ってます」

 そして翌日、二時を過ぎた頃に、小宮は美幸さんと一緒に現れた。

 やはりちょっと往生際が悪いなと笑ってしまう。

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