第12話

  《十二》

 七月に入ってすぐに西野先輩の結婚式があり、付き合いの長い七重と佐織が招かれて披露宴に出席することになった。

 何を着ていくかの打ち合わせに電話をかけ、スタイルに自信のある佐織は藤色のロングドレス、自信のない七重は着物にすることにした。少しグレーのかかった落ち着いた水色系の下地に、裾には紫と白の菖蒲をあしらった中振袖で、これまでにお茶席で何度か着たことのあるものだ。

 そして、お祝いの金額を打ち合わせて、じゃあ会場でということになった。

 会場は宝ヶ池のPホテルで、宇治からだと一時間ほどで着く。平日のお昼時なので、そう混雑もしていないだろう。

 そんな話を小宮にすると、是非とも七重の着物姿を見たいから、会場まで送ってやると言ってくれる。七重も小宮に見てほしい気持ちはある。じゃあ引き出物で荷物の増える帰りに迎えに来てください、というと二つ返事で引き受けてくれた。

 佐織には、小宮とのことを言い出せないままになっている。その日、佐織に会ったときに、ちゃんと報告しておこうと思っていた。あと少しでそれぞれの道へ分かれて行くことになっても、やはり一番の親友なのだ。

 当日は朝から近くの美容院へ行ってアップにセットしてもらい、着付けも手伝ってもらう。胸元と腰回りにタオルでたくさん補正するのに、一人では時間がかかるのだ。

 美容院から帰って、佐和にどうですかと尋ねる。佐和は上から下までじっと見て、帯を少し直してくれる。さすがに呉服屋さんの娘だけのことはあって、着物の着こなしや所作はまだまだ七重には真似できないところが多い。

「そうね、よく似合っていますよ。大切な先輩の披露宴ですからね、粗相のないように」

 そして、そうそう、と自分の部屋からあやめ蒔絵の簪を持ってきて、これくらいかしらね、とセットした髪に刺してくれる。

「それで少しは大人っぽくなりました。それにしても、そろそろ内掛けを着ることも考えないといけませんね」

「お母さんたら。七重はまだ二十一です」

「私が吉野へ嫁いで来たのは二十三でしたよ」

「今は時代が違います。もっとも、相手次第なんでしょうけど。それよりも私は・・・」

「お店のことは、二の次。それが七重の負担になってはいけません」

「負担だなんて考えたことはありません。今だって楽しくやっていますから」

「表のお手伝いをするのと、お店を預かるのとでは比べ物になりませんよ」

「はい。それも覚悟しています」

「まったく・・・とは言っても、あまり遠くへ出て行かれてもね」

「私、本当はここで生きて行きたいと思ってます」

「そう。で、お付き合いしている方は?やはり音楽のお仕事に?」

 佐和がやんわりと尋ねてくる。決して否定しようという物言いではない。七重も佐和にはきちんと話しておきたかった。

「はい。年明けに一度ご招待したお友達、その方のお兄様なんです。博志兄さんとも高校時代の友人だった。あのときにはまだそんなつもりはなかったんですけど」

「ああ、ご両親が揃って海外にいらっしゃるっていう、ご裕福な」

「はい。大学院も終了して、今は専科なんです。二年近くアメリカへ留学されてて。近々プロになっていく方です」

「その方のところへお嫁に行く気はないの?」

「は・・・い。彼はずっと京都や日本でいるわけにはいかないと思いますし、私はここを離れる気がありませんから。ですから、七重の卒業までという約束で。でも、浮ついた気持ちではありません」

「それはわかってますよ・・・辛くはなあい?」

「今は、大丈夫です」

「そう・・・うまくいかないものね」

 小宮の素性が分かったことで安心もしたようだ。

 七重が山吉を継げないとなれば、自分の音楽活動にしろ小宮に嫁ぐにしろ、遠く離れてしまうことになる。佐和はそんな風に受け取ったようだ。

 一時からの披露宴に余裕を持って家を出て、途中で電車を乗り継ぎ、宝ヶ池の駅からはタクシーに乗る。受付を済ませて、ロビーで待っていると、佐織も早めに現れた。

「七ちゃん、きれいよ。さすがね」

「佐織こそ、色っぽい。それで電車に乗ったの?」

「ううん。彼に車で送ってもらった」

 少し時間があったので二人でラウンジへ行く。午前中にも同じように式があったようで、お酒で随分出来上がった年配のグループが賑やかに話している。やはりおめでたい席があれば、誰もが優しい顔になっている。

 七重は紅茶を、佐織はコーヒーを注文する。

「ね、佐織、今日は話があるんだ」

「そう来ると思った。聞いたわよ。松江でのこと。どうして言ってくれなかったのよ。冷たいじゃない?」

 言葉ほど怒っている様子はない。むしろ、問い詰めて楽しんでいるようだ。

「ごめん。隠すつもりじゃなかったけど、ちょっと言いそびれて」

「打上げの段取りでも気を遣って損しちゃったな」

「本当にごめん。あの時ちゃんと言えなくて後悔してたの」

「まあね、私のほうが決め付けてたから、言い出しにくかったとは思うけど」

 そう言って、少し笑う。

「でも、松江でのことって、誰かに見られてたのかな?」

「あの中庭、女性用の大浴場へ行く通路から見えたんだって。何人か目撃者がいたみたい」

「ええ、恥ずかしいなあ。でも、ちょっとお話してただけ・・・でもないか」

「そうでしょう?しっかり抱き合ってたって聞いたわよ」

「そんな、オーバーな。弾みでぶつかっただけなのに」

 やはり七重の心配が現実のものとなってしまっていた。次の練習からどんな顔をしていけばいいのか困ってしまう。

「で、いつからなの?」

「う・・・ん」

 ひと通り説明していると、すぐに時間が経って会場へ行くことになる。

 会場の入口で、新郎新婦が迎えてくれる。白のウェディングドレスの西野先輩は、輝いて別人のようだ。佐織と二人で見とれてしまって、お祝いの言葉をかけるのも忘れてしまうほどだった。

「飯田さん、吉野さん、来てくれてありがとう」

 西野先輩から声をかけられて我に返る。

「先輩・・・お綺麗です」

「おめでとうございます」

「・・・ありがとう」

 満面の笑みに、瑞々しい女性らしさと優しさが溢れている。

 オーケストラで一緒のときは、しっかり者のイメージが強かったのに、今日の西野先輩は女性から見ても可愛い。少しお姉さんといっても、まだ二十四歳なのだ。

 会場が暗くなり、入口に立つ二人にスポットライトが当たる。結婚行進曲が流れる中、新郎の腕に導かれて拍手の中をゆっくりと歩く。近くの人たちから言葉をかけられ、笑ったり恥ずかしそうに俯いたりしていて、本当に幸せそうだ。

 シンプルなデザインの純白のウェディングドレスがよく似合っていて、ブライダルの雑誌にそのまま載せても眼を引くだろう。

 新郎はやはり若々しさはないが、その分、落ち着いて優しそうな方に見える。

 二人がメインテーブルに着いて、眩しい光の中で頭を下げると、またひときわ拍手が大きくなる。

 お色直しは一度だけで、今度は眼の覚めるような真紅のチャイナドレスだった。

 幼くして両親をなくした西野先輩のお父様が、幼少期にお世話になったご夫婦。戦争中に台湾から日本へ移り住み、そのまま帰化している。名前は中国姓のままワンさんというのだが、西野先輩はおじい様おばあ様と呼んで可愛がってもらったそうだ。そのご夫婦への感謝の気持ちから、チャイナドレスにしたとのことだ。それはお二人にはサプライズだった。

 再度拍手で会場へ迎えられ、真っ直ぐに二人の元へ行く。そしてお礼の言葉を伝えると、その老夫婦は涙で顔を上げられなくなっていた。

 七重も、同じテーブルの人たちも、もらい泣きを止められなかった。

 最後の花嫁のスピーチでは、もう少しでできちゃった結婚になりそうだったこと、なのに流産してしまったことも包み隠さず告げた。そのことを知らなかった親戚や友人も多く、驚いている。しかし、その告白が、そんな躓きを乗り越えての結婚を応援する気持ちになり、スピーチの途中で、がんばれと声がかかる。

 そして最後に新郎のお父様がご挨拶をする。新郎がこうして美しい花嫁に出会えたのも、ワン夫妻の愛情があってのことだとあらためて感謝が述べられた。また、普通ならばまだ若い二人をご指導下さい、となるところ申し訳ないが新郎はもう若くはないと、会場の笑いを誘った。

 愛情に包まれた披露宴には、派手な演出も要らなかった。

 それぞれに歴史のある家族同士が、二人の縁で接点を持ち、またそこから新しい歴史が始まっていく。結婚とはそういうものだと感じることができた。

「素敵な披露宴だったね」

 七重と佐織はお互いにそう言う。

「私も早く結婚したくなっちゃった」

「憧れるね、やっぱり」

「小宮さんのところへお嫁に行っちゃえば?」

「小宮さんとはね、卒業までって決めてるの。小宮さんもそれでいいって」

「ええ?どうして?」

「話せば長くなるけど、結局は二人の進む道が違いすぎるってこと、かな」

「出た。七ちゃんの頑ななところ」

 招待客が順番に出口に向かう。二人は少し気を遣って最後になるまで待った。

 新郎新婦と両家のご両親が見送ってくれている。

「先輩、幸せになったくださいね」

「もちろん。あなた方もいい人を見つけてね」

「飯田佐織、頑張ります」

「素敵な披露宴で、感動しました」

「二人とも来年は卒業でしょ。悔いの残らないように頑張って」

「はい。先輩もたくさん赤ちゃん産んでくださいね」

「ばか」

 そういって少し照れる。

「先輩、可愛い」

「なによ、もう。でも今日は来てくれて本当にありがとう」

 そんな会話をして会場を後にする。

 ロビーで佐織は電話をかける。帰りも送ってもらうのだろう。

「今、連絡着いたから。七ちゃん、便利のいいところまで乗ってく?」

「ううん。大丈夫。っていうか、私も」

「あ、なるほどね。小宮さんも優しいんだ」

「私が着物を着て行くって言ったら、どうしても見たいって」

「お熱なのは小宮さんの方かな・・・それでも卒業まで、って本当に?」

「それまでにダメになっちゃうこともあるし。私なんかより素敵な人はたくさんいるもの」

「何言ってんのよ。だけど、何だかちょっと切ないな。将来のために終わらなきゃいけないなんて。お互いの気持ちの方が大事なんじゃない?普通は」

「う・・・ん。だから最初はお断りしたの。辛くなるからって」

「そうなんだ。でも、押し切られたってわけ」

「それもあるけど、思い出は多い方がいいかな、なんて」

「まあね、何にもないよりはその方がいいのかな。しっかり甘えておかなきゃ」

「そうする」

「なんて言ってて、できちゃった結婚なんてことだってあるし。まさか中学生のようなお付き合いをしているわけでもないでしょ。あ、来た来た」

 振り返ると、ドアを入ったところで、ちょっとこの場所には似合わない出で立ちの男性が待っている。

「じゃあね。また詳しく聞かせてもらうから」

「うん、また」

 お互いに小さく手を上げて別れる。ちょうどそのとき小宮が入ってきた。佐織はすれ違いながら頭を下げて挨拶し、何かを言ったようで、小宮は苦笑いをしている。そして、もう一度七重に手を振って、その彼と出て行った。

 小宮は、暑い中なのでネクタイはしていなかったが、きちんとしたスーツ姿である。

 七重の数歩手前で立ち止まり、じっと見つめる。そして、笑顔で近づいてくる。

「きれいだ」

 そう言って、七重の下げていた引き出物の袋を持ってくれる。

「着物が、ですか?」

「着物も、だ。よく似合っている」

「ありがとうございます。今日は無理を言ってすみません」

「いや、俺が会いたかったんだ」

「でも、暑いのにスーツだなんて。他に何か用事があったのではないですか」

「いいや、折角の着物姿の七重を迎えに来るのに、ジーンズにポロシャツではダメだろう」

 そういえば、佐織を迎えに来ていた彼はそういう格好だった。

 迎えなのだから、それでも構わないはずだ。なのにこうしてフォーマルなスタイルで来てくれる。そんな心遣いが小宮らしいと思う。

「じゃ、行こうか。いろいろ話したいことがあるんだろう」

「はい。素敵な披露宴で、先輩もとってもきれいでした」

 いつものように歩き始めると、ただでさえ小宮に合わせるのが大変なのに、着物だと余計に早足では歩けない。小宮はすぐにそのことに気がついて立ち止まって、悪い、と言う。そして七重のペースに合わせてくれる。

 車はホテルの来客用のスペースに止めてあった。

 そこへ奥様、奥様、と呼ぶ声が近づいてくる。どうも七重を呼んでいるようだ。振り返ると、ホテルの制服の若い男性が、お忘れ物ではありませんかと日傘を見せる。いいえ違いますと答えると、失礼しましたと去っていく。

 横で小宮はにやにやとしている。

「奥様、だってさ」

 七重の顔を覗き込むようにしてそう言う。

「もう、小宮さんたら」

「ははは、黙っていたらそう見えなくもない」

「失礼じゃありません?」

「いや、それは冗談。しかし、今日の七重はやっぱり少し大人っぽい。髪型や着物のせいだけじゃなくね」

「少しですか?」

「まあ、どう見ても奥様は言いすぎだろう」

「でも、振袖を見て奥様だなんてホテルマン失格ですね」

「へえ、そうなんだ」

「小宮さんまで。奥様になると留袖といって短いのです」

 そう説明しながら、奥様と呼ばれたことに、ちょっとした幸せを感じていた。

 この心の中の決心さえなかったら、七重はそれを一番に望んでいたのだろうと思う。

 今日の披露宴で、もしも自分が花嫁の席にいたら、やはりその隣には小宮にいてほしい。

 それは、ずっとあえて片隅へ追いやっていた、七重の心だった。

「結婚、したくなったんじゃないか?」

 車は国際会議場を回って、北山通りへと向かっている。

 七重は小さく頷いてしまう。

「少し。やっぱりウェディングドレスは女の子の夢ですから」

「そうだな」

「きっと今日だけ、なんでしょうけど」

「じゃあ、今日のうちにプロポーズしておこうか」

「それはルール違反です・・・でも、明日お断りしてもいいなら受け付けます」

「不思議なやつだ」

「すみません。佐織にも、普通はお互いの気持ちの方が大事だって言われました」

「ところで、すぐに帰らないとだめか?」

「いえ、そんなことは。ひとこと言っておけば大丈夫です」

「折角の着物姿が似合うところへ行って、見せびらかしてやろう」

 小宮は西へと車を走らせ、嵐山の天竜寺の隣にある駐車場に停める。

 休日にはこのあたりも観光客でいっぱいになる。さすがに平日の夕方となると、駐車場も空いていて、歩いている人も多くはない。七重はそのことにほっとした。

 日中だと、単衣とはいえ着物はやはり暑くてそれこそ本当に日傘が必要だが、この時間になると日陰を選んで歩くことができる。

 少し北へ上がってバス停から野々宮神社へと曲がる。ここも何度か来たことのある場所である。道の両側は背の高い竹林で、両側から広がった枝と葉で、ずっと日陰になっている。坂道を登るのにちょっと骨が折れるところだ。

 向こうへ降りると、常寂光寺、二尊院、そして嵯峨野の田畑と町並みが広がる。

 たしかに、京都の中でもこのあたりは飾らない日本的な風景と言えるだろう。

 ちょうど坂道を登りきったところで、外国人の初老のご夫婦に声をかけられた。

 七重にもいくつかの単語は理解できたので、英語だとは分かる。ただ、早口のために聞き取れない。さすがに小宮は、相槌を打ちながらやり取りをしている。

「七重の着物姿を撮りたいんだって。七重が本当にパンフレットで見た通りの美しさだとほめている」

 奥さんから笑顔と一緒にはじめまして、と片言で声をかけられる。上手に年齢を重ねてきた優しい笑顔だった。七重もようこそ日本へと頑張って英語で答える。

 そして、竹林をバックにして、奥さんと並んで、ご夫婦の間に、そして最後には小宮と二人で写真に収まる。その間も、小宮はあれこれと質問に答えていた。

 別れ際に、ご主人は軽く握手をし、奥さんにはナナエと名前を呼ばれ抱きしめられた。

 二人でその後姿を見送ると、小さく手を上げて日本語でありがとうと言って去っていく。

「イギリスから日本に来て、お店以外で初めて着物姿を見たらしい。七重はとてもキュートチャーミングだって。七重に会えてラッキーで、いい記念になると喜んでいた」

「お世辞でも嬉しいです。でも、そうですね、着物姿そのものもあまり見かけませんし、この時期だとなおさら」

「奥様と末永くお幸せにって言われたよ」

「あは、また奥様ですか。まあ、外人さんは袖の長さの意味は知らないでしょうから」

「どうだ?本当に結婚する気にはならないか?」

「いつか・・・そんな日が来れば。でも、小宮さんには、七重より音楽を優先してほしいんです」

「ま、気が変わったら言ってくれ。俺はいつでもOKだから」

「はい」

「ほ・・・全く。素直なんだか、頑固なんだか」

「そうですね。多分どっちも」

 下り坂になって、七重がよろけないように、小宮が手を取ってくれる。

 そうすると、このまま、小宮に手を引かれてどこまでも行ってしまってもいいような気持ちになる。しかしすぐに、きっとそれも今日だけなのだろうと思う。

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