第5話
《五》
博志は三日間ほど日本にいた。
一日は時差ぼけもあって、家でごろごろして、それでも夕方には大学時代の友人に電話をかけて酒を飲みに出かけた。そして翌日は大学の研究室へ、お茶と資料を抱えて教授を訪ねていった。
その教授の紹介で、今の会社へ就職できたばかりでなく、向こうでの大学院へも入れたのだから大きな恩義がある。研究については大学と会社が提携しているので、定期的に電話やメールで連絡は取っているらしい。ただ、日本に帰ってきたときくらいは顔を出さなければならない。
その日七重は、午前中が院生の五重奏、午後からはオーケストラの練習と、ハードな一日だった。
オーケストラの春の演奏会は、秋のロシア音楽からうって変わってフランス音楽に統一したプログラムとなっていた。デュカス、ラベル、ドビュッシー、サンサーンスと有名な作曲家の作品が並んでいる。
フランス音楽は、重厚で緻密なドイツやロシアの音楽と異なり、音の色彩が豊かである。そういう意味ではアンサンブルで学んだことが活かせる。
「七ちゃん、何だか色っぽくなったね」
佐織が練習の合間に話しかけてくる。
「色っぽい?」
「メロディの歌い方かな?何となく伝わってくるものが変わった。恋でもしてるの?」
「なあに、佐織ったら。笑わせないで。そんなことありません」
「ううん、絶対」
「じゃあ院生の方とのアンサンブルのおかげかな。勉強になってるから」
「ふうん。そうなんだ」
「女としての色っぽさじゃかなわないから、せめて音だけでも色っぽくならなきゃね」
「何よ、それ」
「それは冗談。でも本当に楽しいし勉強になる。佐織も参加してみればいいのに」
「私はそんなメンバーじゃついていけないわ。でも、オケのメンバーで集まってやってみるのもいいかもね」
「うん、賛成。院生の方は一応三月の試験までだから、それで解散になるかもしれないし。いくつかそういう集まりができると楽しいと思うな」
「でも、そうなると問題はバイト。貧乏学生は時間ないしなあ」
「来年になったら講義も減るんじゃない?」
「でもさ、教育実習もあるし、いくつか落っことした科目もあるから、結構大変。七重だってそうじゃないの」
「私、教職やめようかなって」
「ええ?どうしてまた」
「だって家業継ぐのに教員免許はいらないもん」
博志兄さんから、要は七重の決心次第だといわれて、考えが揺れていた。
結局道は一つしか選べないのだからという気持ちになりつつある。
とはいえ結論を出したわけではない。稔や佐和に理解してもらわなければならないとは思う。学費や生活費を出してもらっている以上、七重一人で決められることではない。
「そっか。やりたいことがはっきりしてるってことで悩むところもあるんだ。私にはそういうこだわりはないのよね」
「佐織はしっかりしてるし、器用だから何をやっても大丈夫よ」
「私の場合は、自分で生きていかなきゃいけないから、こだわってなんかいられない。だから教職も外せないのよね」
「西野先輩みたいに、お嫁に行くって選択肢は?」
「そりゃあ、それが一番。でも、大学出てすぐっていうのはねえ。もう少し遊んでからじゃないと」
「へえ、じゃあずっと仕事を続けていくんじゃないんだ」
「うん。目標は専業主婦。といってもそれは相手次第だし、第一そういう人が現れなきゃどうにもならないんだけど」
七重から見た佐織は、博志兄さんの言っていたキャリアウーマンの才能がありそうに見える。現実的でしっかりしているし、頭の回転もいい。そして女性らしさも兼ね備えている。なのに、本人にはそんな希望は無い。
それに引き換え七重は、自分でも少々頼りないと思う。
家を継ぐと決めてはいても、どこまでやれそうだという自信があるわけではない。ただ、そんな不器用な自分だから、あれもこれもとは考えられないのだ。
オーケストラの練習は、デュカスの小品とラベルの組曲を二度ずつ通して終わった。
まだ、詳しく積み上げていく段階ではなく、全体の曲想をつかみ、個人練習の時期だ。
その日の夕方は、家族で河原町にある日本料理の店で食事をすることになっていた。
七重と博志は六時の待ち合わせに、それぞれ大学から直接向かうことにしていた。
待ち合わせの時間までには二時間ほどある。これといって目的はないが、その料理店のある百貨店を見て回ってもいい。それに寺町通に江戸時代から続いている宇治茶の店があるらしいので、その店をのぞいてみるのもいい。
そんなことを思いながら、ホールを後にした。
ふと見ると、携帯電話に博志兄さんからの着信履歴がある。ほんの五分ほど前だ。
噴水のところで立ち止まってかけなおす。
「おう、俺だ」
「お兄さんどうしたのですか」
「もうオケの練習終わったのか」
「はい、たった今」
「そうか、時間通りか、残念だな。こっちの用事が早く終わったから、練習をのぞいてやろうと思って足を運んできたんだが」
「足を、って、お兄さん今どこですか」
「桂の駅を降りてそちらに向かっているところだ」
「じゃあ行き違いになってはいけませんね。正門を入ったところに噴水がありますから、そこで待ってます」
「ああ、そうしてくれ」
あまり音楽に興味はなかった博志兄さんがどういう風の吹き回しなのか。
七重と同じように中途半端な時間を持て余していたのだろうか。
待ち合わせなら駅の方が寒くなかったと思うが、おそらくもう近くまで来ているはずだ。
噴水の近くで待つことにした。
そこへ午前中一緒だった小宮が通りかかる。
「吉野、どうしたんだ、誰かと待ち合わせ?」
「はい、兄が近くまで来ているらしくて。この後、父と母と合流して家族で食事なんです」
「そうか、お兄さんがいたんだな・・・待てよ、宇治の吉野。お兄さんて、年はいくつ?」
古い記憶を辿るように眉を寄せる。
「二十五です。あ、そういえば小宮さんと同じですね」
「ああ。高校は深草のR高校じゃなかった?」
「そうですが。でもどうして」
「俺もR高校だ。一緒に待たせてもらっていいか?俺の記憶違いならすぐに失礼するから」
「それはもちろん。でも、まさか、同級生だったんですか」
「かもしれない。一年間だけだったが。吉野ってやつがいて、たしか宇治から通ってたような気がする」
そんな会話をしているうちに博志兄さんが姿を現す。
他に誰かいるわけでもないが、七重は少し大げさに手を振り、博志兄さんも片手を上げてそれに応える。
七重が男性と一緒にいることが意外だったようで、小宮の顔を見る。
小宮はすでに思い出した様子で笑顔になっている。どうやら記憶違いではないようだ。
博志兄さんは自分に向けられた笑顔に何か意味があると察したようで、ほんの少し困惑した表情になる。しかしすぐに思い当たったようで驚きの顔になる。
「ひょっとして、御曹司?」
「ああ、そっちが先かよ。小宮だ。吉野、久しぶりだな」
「まったくだ。元気か」
「ああ、見ての通りだ」
二人は七重の前で固い握手をする。
「そうだ、茶屋だ。そう呼んでたよな」
「ああ。それにしても懐かしい」
「どうしてる?」
「今、俺はアメリカで会社勤め。ちょっとあってひと月遅れの休暇で日本に」
「なんだ、俺も九月までアメリカでいたのに。今は出戻りでここの大学院だ」
「じゃ、七重の先輩か」
「そうなる。しかし、もっと早く気がつくべきだった。宇治でお茶屋で吉野、とくればお前のことを思い出さなきゃいけない」
「まあ、もう十年も前だしな。じゃ、高校出てからもずっと音楽を?」
「ああ、どうもサラリーマンは性に合わなくて。未だに親の世話になっている」
「相変わらずいい身分だな」
「そういうな。近々稼ぐようになるから」
「しかし、お前の方が成績は良かったのに」
「向き不向きがあるんだよ」
お互いに笑顔が絶えない。七重も何だか嬉しい気分になる。
「あの、ここじゃ寒いし、近くの喫茶店へでもどうですか」
「そうしよう」
小宮が先に立って歩き始める。
「今、妹さんが一人でいたものだから、声をかけたんだ。そしたら兄貴と待ち合わせだって聞いて、ようやく思い当たった。それまではすっかり忘れていた。すまない」
「そりゃお互い様だ」
二人が同じクラスだったのは一年生のときで、二年からは博志兄さんは理系へ、小宮は文系へと進んだ。
府下でも有数の進学校だったために、二年からは受験モードになる。そうなると、直接の競争相手というわけではなくてもクラスメイトという感覚はなくなる。だから友と呼べるのは、一年生のときの同級生だけらしい。
ともに一般入試組みであった二人の友情は入学早々からだった。最初に取っ組み合いの喧嘩になったのが発端らしい。どうして喧嘩になったのかを尋ねてみたが、二人ともよく覚えてはいなかった。ともに次男坊で、少々気が強いところがあったのかもしれない。
そうしたきっかけで仲良くなり、互いの家庭の話をする中で、小宮を御曹司、博志兄さんを茶屋と呼び合うようになった。
大学の近くにあるアイビーという喫茶店に入る。
お互いの高校卒業後の話をして、感心し合い、笑い合う。七重にも興味深い話だった。
そしてまた合おうとお互いの住所と電話番号を交換する。
「ところで、ちょっと前に妹さんから家を継ぐなんて聞いたが本当なのか?」
突然七重の話になって慌てさせられる。
博志兄さんが、なぜそんなことを知っているのかとほんの少し怪訝な表情を見せた。小宮はそれに気付いて、昨年に一度だけ家の近くまで送ってくれたこと、院生の五重奏で忘年会をしたことを説明した。
「なるほど、そういうことか。ま、それはともかく、本人はそのつもりのようだ。それが?」
「いや、俺がとやかく言うことじゃないんだが、彼女の才能が惜しくてな」
「ほう、七重に?」
「ああ、もちろんプロとしてやっていくためには、これからも大変な努力は必要だ。しかし、期待できると感じているんだ」
「そいつはすごい。が、いくら兄貴だからといって、妹の人生に口出しできないからな」
博志兄さんとは一昨日そんな話をしたばかりである。
「小宮さん、私の話はいいですから」
「うん、まあ君の意志が固いのなら、仕方がない。一応兄貴としての意見を確認しておきたかっただけだ」
「俺も二日前に聞いたばかりでね。最初は俺がアメリカへ行ってしまったために、そんなことを言い出したのかなと責任を感じかけた。が、どうやらそうではないらしい」
「もう兄さんも、私のことは置いておいてください」
「ああわかった。ま、そのときに自分のやりたいことをやれとは言っておいた」
「なるほど、よくわかった。それが正解ではあるな」
七重の話はそれで終わった。
そろそろ待ち合わせの時間だからと、店を出て七重と博志兄さんは電車の駅へ、小宮は駐車場へと向かった。
別れ際に再び握手をして、また日本に帰ってきたときには必ず連絡をすると約束した。
桂から河原町まではほんの十分程度である。二人で並んでつり革を持って立つ。
博志兄さんもこの偶然に改めて驚いていた。同時に小宮のことを懐かしい思い出だけではなく、いい男だとほめる。その点は七重も同感だった。
気安く声をかけてくれるし、いろいろと気遣ってもくれる。
そんな小宮が、七重にとっては好ましい存在であることは間違いない。だが、小宮にとって七重がどんな存在なのかについては考えてみたこともなかった。
純粋に音楽上ではアンサンブルのメンバーとして誘ってくれ、また今もそうだったようにほめてもくれる。それだけの会話しかした記憶がない。
「お前はどう思っている?小宮のこと」
「どうって、音楽的に尊敬できる方だと。それにお兄さんの言う通り、誰にでも優しい気遣いのできる素敵な方だとは思います」
「そうか」
「でも、まだ親しくお話させていただくようになって三ヵ月ほどですから、それくらいしかわかりません」
「まあそうだな。しかし、向こうはお前にある程度好意を持ってくれているように見えた」
「まさか」
「ま、単なる勘違いかもしれないがな。噴水前での二人の姿を見て、何となくそう思った。やつが小宮だと気付かない間のほんの数秒のことだ」
「そんなことを言われると、今度お眼にかかるときに意識してしまいます」
「そうだな、すまん」
電車はすぐに河原町に着いた。
店に着いたのは五分前。稔と佐和は既に着いていて、店の前で待っていてくれた。
博志兄さんと七重が一緒に来たことに少し驚いた。予約してあった席に通されて、七重がそれまでの経緯を報告すると、世の中は意外に狭いものだと言う。
博志兄さんによると、ニューヨークでも和食を食べに行く機会は結構あるらしい。日本食ブームということもあって、日本料理の店も増えてきている。ブームとはいっても、アメリカ人がしょっちゅう外食をして、その度に和食を選ぶわけではない。それでも店がやって行けるのは、それだけ多くの日本人が住んでいるからなのだ。
ただ、そうなれば、やはり味がよくなければならない。多少割高ではあるものの、日本で食べる和食と遜色ない料理が出されるらしい。
だがお茶については、そこまでのこだわりはない。もっとも、それは日本でも同じで、特に若い世代では食後にしても休憩時間にしても、コーヒーか紅茶が好まれている。それもペットボトルや缶入りであることも多い。
「世の中がせち辛くなって、ゆっくり茶を淹れ、味わうという文化は流行らなくなっているようだ」
食後に出されたほうじ茶を飲みながら、稔がそう言う。
「都会はどこでも同じじゃないですか。どうしても若者の文化になってしまいます」
「そうかもしれんな。待つ時間や空間を楽しむより、結果が気軽に手に入る方を好む。それも悪くはないが、豊かな時間、心の潤いというのも必要に思えるのだが」
七重にはそんな話をしている博志兄さんがひどく大人に思えてくる。
「それはそうと、先ほど話した高校時代の同級生。彼が七重はプロの演奏家として期待できるなんて言ってました」
「ほう、七重にそんな才能が」
「どうですか?僕はそれも面白いと思いますが。もっとも、プロとなると多少の才能だけでやっていけるほど甘くもないのでしょうけど」
取ってつけたような話で、博志兄さんには何かの意図があってことのように思える。
七重は敢えて言葉を挟まないことにした。
「プロというと、オーケストラのメンバーになるということか」
「ええ、日本である程度認められれば、日本だけじゃなく、世界中のオーケストラで活躍のチャンスがあります」
「海外で・・・そりゃあ大変だろう」
「言葉や生活の面での大変さはあるでしょうが、アメリカでもヨーロッパでも主だった都市には必ず一流のオーケストラがありますから」
「それは分かるが・・・おい佐和、どう思う」
稔にも博志兄さんの言葉は意外だったようで、どう答えればよいのか困っている。
それは佐和にしても同じで、すぐには返事ができない。
「そうは言っても、ねえ。私は七重には近くでいて欲しい、としか」
「音大卒っていうのは、一般企業への就職は厳しいですし、折角音大を出ても、なかなかそう言ってくれる人はいませんから」
少し、博志兄さんの作戦が分かるような気がしてきた。
家を継がせることに反対すると海外へ出て行くこともあるという、ちょっとした脅迫をしているようだ。
正面から七重の意見に賛成しても、稔や佐和の考えを変えることは難しい。ならば、全く次元の違う比較対象を示すことで、考えの枠組みから壊してしまおうとしているのだ。
大いに困っている稔や佐和を見ると、自分から言い出したことを棚に上げて、博志兄さんもちょっと人が悪いと思ってしまうのだ。
「お兄さん、今日まで私にもそんな考えはなかったのですから」
「そうなのか。まあ、急に決められることでもないだろうが」
博志兄さんもこの辺りが潮時だと思ったのだろう、あっさりと引き下がった。
佐和が、博志兄さんに日本に帰ってくることはないのかと尋ねると、将来的にはその可能性も否定しなかった。
「同じような研究やビジネスは日本企業でも取組んでいますからね。それに研究に専念するなら、大学の研究室という道はあります。まあ、それもある程度実績を積まなければ話になりませんが」
「どちらかは近くでいてもらわないとね、私たちもいつまでも若くはないですから」
「何を気弱なことを。でも、そう言われると、当面、七重に頼まざるを得ません。僕はわがままばかりですみません」
「まあ、急にどうこうってこともないでしょうけど」
「そうですよ、まだまだ老け込む年齢ではありません。お父さんも少し働き方を変えて元気でいてもらわないと」
「そうだな、今回のことは自分の体にも気を使わなきゃならんといういいきっかけにはなった。働き方を変えるか、お前もいいことを言うな」
「親不孝ばかりしていますが、これでも心配しているんですよ」
博志兄さんがいることで、家族での会話も尽きることがない。
店が閉店になって、家に帰ってからもあれこれと話題はあるものだった。
その中で山岡の話にもなった。おじさんが隠居はしたものの、やはりじっとしていられないようだと七重が報告する。博志兄さんがさすがに戦前派だと感心して、その言葉に皆で笑い合う。
では山吉の後継ぎは、と、当然、皆心の中では考えたはずだが、誰もそのことには触れなかった。一瞬、不自然な沈黙があり、また話は他へと移っていった。
博志兄さんは翌日、夕方の便でアメリカへ向かう。
七重は関空まで見送りに行き、少し変わった応援に礼を言った。
もっとも、それで稔や佐和がどの程度変わるのかは分からない。ただ、七重を近くに置いておきたいという思いが強くなったことは間違いなさそうだ。それは一つの交渉材料にはなるだろう。
国際線の待合室で搭乗までの時間を過ごす。博志兄さんはもういいから帰れというが、七重は飛行機を見送ると言って付き合う。
「ああは言ったものの、俺としても迷いはある」
「はい」
「小宮に会って、ああいうやつになら嫁に行って幸せになるのもいいかもしれんとも思う」
「また、お兄さんやめてください。何もないところに火を起こすようなことを」
「ああそうだった。そう深刻に考えているわけではないんだ。ただ、女っていうのは生きていくのが案外難しいものだなって」
「それは人それぞれです。あれもこれもとなると難しいんでしょうけど、私はそう難しくは考えられないので」
「本当に。お前が俺だったら、何の問題もないのにな」
「でも、私はお兄さんのようにはなれませんから、仕方ありません」
やがて搭乗案内のアナウンスが流れ、博志兄さんはパソコンの入ったケースだけを持って搭乗口へと向かう。
「じゃ、親父やお袋のことは頼んだぞ」
「行ってらっしゃい、って言うのも変ですけど。お兄さんも元気で」
「小宮にもよろしく伝えてくれ」
「はい」
ゲートでもう一度振り返って手を振る。
七重もそれに応えて、大げさに両手を振ってみせる。
笑顔でいるつもりだったのに、少し涙がこぼれる。
もうこれで三度目で慣れているはずなのに、まして初めて見送ったときでさえ泣くことはなかったのに不思議なものだ。
屋上の見送り展望台へ行き、博志兄さんの乗った便を見送る。こちらから姿は見えないが、飛行機の窓越しに向こうからは見えるかもしれないと、大きく手を振る。
プロになって、海外のどこかのオーケストラで活躍だなんてよく言う。稔や佐和を不安にさせただけで、七重にはそんなつもりは全くないのに。
そして三日後、五重奏の練習に行って、小宮に兄からよろしくと伝言がありましたと告げながら少々どぎまぎしてしまう自分に驚いた。
博志兄さんがあんな風に言ったために、少し緊張させられたようだ。
「ああ、こちらこそだ。もう少し長くいられたら一緒に酒でも飲めたのにな」
「そうですね」
「今度帰ってくることなったら、連絡をくれるかな」
「はい、必ず」
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