心の調べと新たな気づき

 

 六月の半ば、桜ヶ丘高校のキャンパスは梅雨の湿気と夏の気配が混じる季節を迎えていた。リリィ・フロストことリリウムは、秘密結社「クロノスの使徒」のリズ・ヴァレンタインによる誘拐事件のリズによる執拗な言葉責めと精神的な追い込みは、リリィの心に深い傷を残していた。彼女の紫の瞳には、時折、過去のトラウマや恐怖がよみがえる影がちらつく。

 だが時間がたちユナの熱心なカウンセリングやセレナたちの存在のおかげで徐々に学校生活を取り戻していた。

 銀色の髪をポニーテールにまとめ、紫の瞳には穏やかな光が戻りつつある。園芸部の温室でのセレナ・フローレンスとの時間、ミオの明るい笑顔、アヤメの静かな支え。それらが、彼女の心を少しずつ癒していた。

 

 ユナ・クロフォード、リリィの上官でありハンター計画の責任者の一人である二八歳の女性は、リリィの心身の状態を案じていた。リリィの身体的な傷は浅かったが、精神的なダメージは深刻だった。

 リズの言葉が抉った戦争の記憶、戦友の亡魂、血に濡れた手の感覚。

 それらは、リリィの心に暗い霧のようにまとわりついていた。ユナは、リリィが普通の高校生活を続けられるよう、定期的なカウンセリングを行うことにした。

 クロノスの使徒の調査はユナの部下たちが進めているため、リリィには事件の詳細を知らせず、彼女が日常に集中できる環境を整えていた。

 

 ――ー

 

 カウンセリングは、ユナの部隊が管理する街外れの小さな施設の一室で行われていた。部屋は簡素だが、木製の机と椅子、窓際に置かれた小さな観葉植物が、落ち着いた雰囲気を醸し出している。リリィは制服姿で椅子に座り、膝の上で手をぎゅっと握りしめていた。

 彼女の銀色の髪は、蛍光灯の光にきらりと反射し、紫の瞳はユナを見つめるが、どこか不安げに揺れている。

 彼女の心は、カウンセリングのたびに過去の傷と向き合うことを強いられ、胸の奥にざわめきを感じていた。

 

「リリィ、最近の調子はどうだ? 学校や園芸部での生活は、順調か?」 

 

 ユナの声は穏やかだが、鋭い観察眼がリリィの微かな表情の変化を捉えている。リリィは視線を落とし、膝の上で握った手に力を込めた。彼女の心には、園芸部の温室での時間が浮かぶ。

 スズランの白い花、ミントの清涼な香り、セレナの優しい笑顔。それらが、彼女の心を温かく包む一方で、リズの冷たい言葉が時折よみがえり、胸を締め付ける。

 

「はい…学校、楽しいです。セレナさんや、ミオさん、アヤメ先輩と…一緒にいると、落ち着きます。」 

 

 リリィの声は小さく、ぎこちなかった。彼女の心は、セレナの名前を口にするたびに、温かな波が広がるのを感じていた。セレナの金色の髪、明るい笑顔、温室で一緒に花を育てる時間。リリィにとって、セレナは戦場では知らなかった光そのものだった。だが、その光を思い出すたび、リズの声が頭の奥で響く。

 

「君はハンターだ。完璧な戦士。こんな平凡な生活は似合わない。」

 

 リリィの指が震え、彼女は唇を噛んだ。

 

 ユナはリリィの表情の変化に気づき、静かに続けた。

 

「セレナ、か。彼女はお前にとって大切な存在なんだな。彼女のことを話すとき、お前の顔が少し明るくなる。」 

 

 ユナの言葉に、リリィの頬がほのかに赤くなる。彼女の心は、セレナの名前を聞くだけでドキリと高鳴る。 

 セレナが自分を抱きしめてくれた時の温もり、ピアノのコンテストで涙を浮かべて拍手してくれた紫の瞳。それらが、リリィの心に深く刻まれている。

 だが、その感情をどう名付ければいいのか、彼女にはわからなかった。彼女は戦場で感情を押し殺すことを学び、恋愛という概念は遠い世界のものだった。

 

「セレナさんは…大切です。彼女が、そばにいてくれると…怖いことが、薄れる気がします。」 

 

 リリィの声は震え、彼女の紫の瞳にはセレナの笑顔が浮かぶ。だが、次の瞬間、リズの冷たい笑みが頭をよぎり、彼女の心に暗い影が落ちる。

 

「君は私のものよ。」リリィの体が小さく震え、彼女は目を閉じてその記憶を振り払おうとした。ユナはそんなリリィを見て、そっと微笑んだ。彼女は、リリィがセレナに対して特別な感情を抱いていることに気づいていた。それは、友情を超えた、もっと深いものかもしれない。

 

「リリィ、恋ってのはな…人を大切に思う気持ちが、特別な形になったものだ。セレナのことを考えるとき、胸がドキドキしたり、そばにいたいって強く思うなら、それは恋かもしれない。」 

 

 ユナの説明はぎこちなく、彼女自身、自分の言葉に自信が持てなかった。戦場で生きてきたユナにとって、恋愛は未知の領域だった。

 リリィはユナの言葉をじっと聞き、目を瞬かせた。彼女の心は、セレナの笑顔を思い浮かべるたびに温かくなるが、それが恋なのか、ただの友情なのか、彼女には判断がつかなかった。

 

「恋…? でも、恋って、男の人と女の人の間で、起こるもの…ですよね?」 

 

 リリィの素朴な質問に、ユナは一瞬言葉に詰まった。彼女はリリィの純粋さに心を打たれながらも、恋愛について上手く説明できない自分に苛立ちを覚えた。

 その時、部屋のドアがノックされ、ユナの部下の一人、若い女性エージェントのレイラが入ってきた。

 

「クロフォード隊長、報告書を…あ、リリィちゃんもいたんだ。調子どう?」 

 

 レイラの明るい声に、リリィは小さく頷いた。

 ユナはレイラを見て、ふと思いついた。レイラは部隊の中でも感情表現が豊かで、恋愛小説やドラマに詳しいことで知られていた。ユナはレイラに目配せし、助けを求めるように言った。

 

「レイラ、リリィに…恋愛について、ちょっと教えてやってくれ。私はこういうの苦手でな。」 

 

 レイラは目を輝かせ、ニヤリと笑った。

 

「恋愛!? おお、リリィちゃん、いいね! 恋の話なら任せて! ねえ、好きな人いるの? どんな子?」 

 

 レイラの勢いに、リリィはたじろぎ、顔を真っ赤にした。彼女の心は、セレナの名前を口にするだけでドキドキする。

 だが、それを「好き」と呼んでいいのか、彼女にはわからなかった。

 

「ち、違います! セレナさんは、友達で…ただ、大切で…。」 

 

 リリィの慌てた様子に、レイラはくすっと笑い、バッグから一冊の本を取り出した。淡いピンクの花が描かれた表紙の純愛小説だった。

 

「リリィちゃん、これ読んでみて。高校生の女の子同士の恋愛小説なんだけど、めっちゃ心に響くよ。恋ってどんなものか、感じるのにいいと思う。」 

 

 レイラは本をリリィに手渡し、ウィンクした。リリィは本を手に持ち、表紙を見つめた。

『桜の木の下で、君と』

 タイトルに、彼女の胸が小さく高鳴る。ユナはレイラに感謝の視線を送り、リリィに言った。

 

「リリィ、この本を読んでみろ。恋愛ってのは、言葉で説明するより、感じるものだ。セレナとの関係を考えるのに、参考になるかもしれない。」 

 

 リリィは本を抱きしめ、小さく頷いた。彼女の心は、セレナへの思いで揺れていたが、それが何なのか、彼女にはまだわからなかった。

 

 ――ー

 

 

 その夜、リリィはアパートの部屋に戻り、ベッドに腰を下ろしてレイラからもらった小説を開いた。窓の外からは虫の声が聞こえ、部屋にはカスミソウの鉢が月明かりに照らされている。リリィの心は、カウンセリングでのユナの言葉、レイラの明るい笑顔、そしてセレナの存在でざわめいていた。

 彼女はページをめくり、物語に目を落とした。

 

 物語は、桜ヶ丘に似た小さな町を舞台に、女子高生のユキとハルカの間で芽生える恋愛を描いていた。ユキは内気で不器用な少女で、ハルカは明るく優しい親友。

 ユキがハルカの笑顔に惹かれ、胸がドキドキする瞬間、そばにいたいと思う気持ち。

 リリィは、物語を読み進めるうちに、ユキの心の揺れが自分の感情と重なることに気づいた。

 

「ハルカの笑顔を見ると、胸が温かくなる。でも、それが恋だなんて、考えたこともなかった…。」 

 

 物語の中のユキの独白に、リリィの心が震える。

 彼女の胸に、セレナの笑顔が鮮やかに浮かぶ。

 温室でスズランに水をやるセレナの金色の髪、ゴールデンウィークのライブで一緒に手拍子した時の温もり、ピアノのコンテストで涙を浮かべて拍手してくれたセレナの瞳。

 リリィの心は、セレナを思い出すたびに、温かく、しかし切なく締め付けられる。

 

「セレナさん…。」 

 

 リリィの声は小さく、夜の静寂に溶けていく。彼女の心は、セレナへの思いで溢れていた。

 セレナの笑顔は、戦場の暗闇を照らす光だった。リズの冷たい言葉、過去のトラウマ、それらがセレナの存在によって薄れていく。

 だが、その感情が恋なのか、ただの友情なのか、リリィにはまだわからなかった。

 彼女は戦場で感情を押し殺すことを学び、恋愛という概念は遠い世界のものだった。

 彼女の心は、セレナへの思いを整理しようと葛藤していた。

 

 リリィは本を手に、物語を読み進めた。ユキがハルカに自分の気持ちを伝えようと悩むシーン。彼女の心の揺れ、恐怖と希望が混じる瞬間。リリィの胸に、セレナへの思いがさらに強く響く。

 彼女は目を閉じ、セレナと恋仲になったらと想像した。

 セレナと手をつないで温室を歩く。夕陽の中、ピアノの音色を聞きながらそばにいる。

 セレナの金色の髪が風に揺れ、彼女の笑顔が自分だけに向けられる。そんな想像に、リリィの心は温かな喜びで満たされる。

 

 だが、次の瞬間、リリィの心に冷たい風が吹く。

 

「恋って、男の人と女の人の間で起こるもの…よね?」

 

 彼女の固定観念が、想像を打ち消す。彼女は戦場で育ち、恋愛について学ぶ機会がなかった。

 女の子同士で恋をするなんて、彼女の頭では考えられないことだった。リリィの心は、喜びと混乱で揺れ動く。

 セレナは友達だ。大切な、大切な友達…恋だなんて、思い違いに違いない。

 

「そんな…間違い、だよね。セレナさんは、友達…。」 

 

 リリィは膝を抱え、呟いた。彼女の心は、セレナへの思いを恋と呼ぶことに抵抗しながらも、その温かさに惹かれていた。彼女は本を再び開き、物語に目を落とした。ユキとハルカが、互いの気持ちを確かめ合うシーン。

 リリィの心は、物語に没頭しながら、セレナへの思いを静かに抱きしめた。彼女の紫の瞳には、セレナの笑顔が映り、夜の静寂の中で揺れていた。

 

 ――ー

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