揺れる心の音色

の休日、梅雨の合間の晴れた日曜日、桜ヶ丘の街は夏の気配に満ちていた。新緑が陽光に輝き、街路樹の葉がそよ風に揺れる。セレナ・フローレンスとミオは、街の中心部にあるショッピングモールで買い物を楽しんでいた。セレナは白いワンピースにカーディガンを羽織り、金色の髪をゆるくウェーブさせて、普段通りの明るい笑顔を浮かべている。ミオはカジュアルなTシャツとデニムで、アイスクリームを片手に弾んだ声で話しかける。

 

「セレナ、さっきのアクセサリー、めっちゃかわいかったよね! リリィにつけたら、絶対似合うよ!」 

 

 ミオの無邪気な声に、セレナはくすっと笑った。彼女の手には、服や雑貨の入った買い物袋がぶら下がっている。

 ミオと他愛もない話をしながら歩く時間は、セレナにとって心地よいものだった。だが、ミオがリリィの名前を出した瞬間、セレナの胸に小さな波紋が広がった。

 リリィ・フロスト…銀色の髪、紫の瞳、ぎこちない笑顔。彼女の姿が、セレナの心に鮮やかに浮かぶ。

 

「リリィさん、か…。うん、シルバーのヘアピン、似合いそうかも。」 

 

 セレナの声は少し遠く、彼女の金色の瞳が一瞬曇る。

 園芸部の温室でスズランの世話をするリリィ、ゴールデンウィークのライブで手拍子するリリィ、ピアノのコンテストで涙を浮かべて拍手してくれたリリィ。

 それらの記憶が、セレナの胸に温かな疼きを残していた。

 彼女は、ふとした瞬間にリリィを思い出す自分に気づいていた。リリィが誘拐された時の恐怖、助け出した後の安堵、温室での穏やかな時間。それらが、セレナの心に深く刻まれている。

 

 ミオはセレナの表情の変化に気づき、アイスクリームを舐めながら首を傾げた。

 

「ん? セレナ、なんかボーッとしてない? どうしたの、急にリリィのこと考えた?」 

 

 ミオのからかうような声に、セレナの頬がほのかに赤くなる。彼女は慌てて買い物袋を握り直し、笑顔でごまかそうとした。

 

「え、うそ、別に! ただ、ミオがリリィさんの名前出したから、ちょっと…。」 

 

 だが、セレナの心はすでにリリィのことでいっぱいだった。

 彼女はリリィの不器用な笑顔や、ぎこちなく握り返す手の感触を思い出すたび、胸が温かくなり、時にはドキドキする瞬間があった。

 リリィがそばにいると、セレナの心は不思議な安心感に包まれる。だが、その感情が何なのか、彼女にはまだ名前をつけられなかった。

 

 ――ー

 

 二人はモールのカフェに腰を下ろし、冷たいドリンクを飲みながら一息ついた。窓の外では、街を行き交う人々が夏の陽光に照らされている。セレナはストローをくわえながら、ふとリリィのことを考えていた。

 温室でスズランに話しかけるリリィの横顔、コンテストで自分を見つめるリリィの紫の瞳。彼女の心は、リリィの存在で揺れ動いていた。

 

 ミオはセレナの沈黙に気づき、ニヤリと笑って身を乗り出した。

 

「セレナ、さっきからマジでリリィのことばっか考えてそうじゃん。…ねえ、ぶっちゃけ、どうなの? リリィのこと、好き?」 

 

 ミオのストレートな質問に、セレナの目が大きく見開かれる。彼女はドリンクのグラスを握りしめ、慌てて首を振った。

 

「え、好きって、友達としてでしょ? リリィさん、すっごくかわいいし、優しいし、一緒にいると安心するけど…それって、普通だよね?」 

 

 セレナの声には動揺が混じっていた。彼女の心は、リリィへの思いを言葉にするたびに、ざわめきを増す。

 リリィのことを考えるとき、胸が温かくなり、時には鼓動が速くなる。

 ピアノのコンテストで、リリィが涙を浮かべて拍手してくれた時、彼女の瞳に映る自分の姿に、なぜか心が震えた。リリィが誘拐されたと知った時の恐怖、彼女を抱きしめた時の安堵。

 それらは、ただの友情を超えた何かだったのかもしれない。

 

 ミオはセレナの動揺を見て、ニヤリと笑みを深めた。

 

「ふーん、普通、ねえ。セレナ、リリィのこと考えるとき、なんか胸ドキドキしたりしない? ほら、園芸部でリリィがスズランに水やってる姿とか、めっちゃかわいいじゃん。で、セレナがリリィ見てるとき、なんか…こう、特別な感じしない?」 

 

 ミオの言葉に、セレナの顔がさらに赤くなる。彼女はリリィのことを思い浮べた。温室で、ぎこちなくジョウロを持つリリィ。ライブで、初めて手拍子するリリィの不器用な笑顔。コンテストで、涙を浮かべて自分を見つめるリリィの紫の瞳。

 それらを思い出すたび、セレナの胸は温かく、しかし切なく締め付けられる。彼女は目を閉じ、ゆっくりと言った。

 

「ドキドキ…する、かも。リリィさんのこと考えると、なんか…胸が温かくなる。そばにいたいって思うし、リリィさんが笑ってると、幸せな気持ちになる。でも…それが、恋なのかな? 私、わかんないよ…。」 

 

 セレナの声は小さくなり、彼女はグラスを見つめて俯いた。彼女の心は、リリィへの思いを整理できず、混乱していた。

 リリィは大切な友達だ。彼女の不器用な優しさ、ぎこちなさの中に隠れる純粋さに、セレナはいつも癒されていた。だが、その感情が恋なのか、ただの友情なのか、彼女には判断がつかなかった。

 彼女の胸には、リリィの笑顔が鮮やかに浮かぶ。

 誘拐事件の後、彼女を抱きしめた時の感触。

 リリィの小さな体が、セレナの腕の中で震えていたあの瞬間。彼女の心は、リリィを守りたい、そばにいたいという強い衝動に駆られていた。

 

 さらに、セレナの頭には別の思いが浮かぶ。リリィは女の子だ。自分も女の子だ。恋愛という言葉は、どこか遠いものに感じられた。彼女は唇を噛み、ミオに視線を戻した。

 

「それに…リリィさん、女の子だし。私も女の子だし。恋って、そういうものじゃないよね…? 私、こういうの、初めてで…わかんないよ。」 

 

 セレナの声は震え、彼女の瞳には不安と期待が混じる。ミオは大きくため息をつき、ストローを置いて真剣な顔になった。

 

「セレナ、ちょっと真面目に言うけどさ。愛とか恋に、性別なんて関係ないよ。心がドキドキして、誰かを大切に思って、そばにいたいって感じるなら、それが恋だよ。男とか女とか、そんなのただの枠組みじゃん。セレナがリリィのこと考えるとき、どんな気持ち?」 

 

 ミオの言葉は、ストレートで力強かった。セレナの胸に、その言葉が深く響く。彼女は目を閉じ、リリィのことを思い浮べた。温室でのリリィの横顔、ライブでのぎこちなさ、コンテストでの涙。

 それらを思い出すたび、セレナの心は喜びと切なさでいっぱいになる、彼女はゆっくりと口を開いた。

 

「リリィさんのこと考えると…なんか、胸が温かくなる。そばにいたいって思うし、リリィさんが笑ってると、幸せな気持ちになる。でも…怖いんだ。リリィさんがまたいなくなったら、って考えると、胸が痛くて…。あの時、リリィさんがいなくなったって聞いた時、頭真っ白になって…ただ、助けたかった。」 

 

 セレナの声は震え、彼女の瞳が潤む。彼女の心は、リリィへの思いで溢れていた。

 リリィの不器用な笑顔、彼女の小さな手、紫の瞳に映る純粋さ。それらが、セレナの心を強く揺さぶっていた。ミオはそんなセレナを見て、そっと彼女の手を握った。

 

「それ、絶対恋だよ、セレナ。リリィのこと、そんなに大切に思ってるなんて、めっちゃ素敵じゃん。怖いって思うのも、リリィがそれだけ大事だからだよ。セレナ、めっちゃ純粋な気持ち持ってるよ。」 

 

 ミオの優しい声に、セレナの心が揺れる。彼女はミオの手を握り返し、唇を噛んだ。恋。初めてその言葉を自分の気持ちに当てはめた瞬間、セレナの胸は喜びと不安でいっぱいになった。リリィへの思いは、確かに特別だった。

 彼女の笑顔を守りたい、彼女のそばにいたい。その気持ちは、友情を超えて、もっと深いものだったのかもしれない。

 

「でも…ミオ、私、どうしたらいい? リリィさんに、こんな気持ち、伝えられないよ。リリィさんがどう思うか、わかんないし…。もし、嫌われたら、って考えると、怖くて…。」 

 

 セレナの声は小さくなり、彼女の瞳には涙が浮かんでいた。

 ミオはそんなセレナを見て、優しく微笑んだ。

 

「セレナ、焦らなくていいよ。恋って、急に答え出さなくたって大丈夫。リリィとこれからも一緒にいれば、きっと気持ちが伝わる時がくるよ。今は、ただリリィのそばにいてあげな。セレナの気持ち、リリィにちゃんと届いてると思うよ。」 

 

 ミオの言葉に、セレナの心が少し軽くなる。彼女はミオの手を握り、ゆっくりと頷いた。

 

「うん…ありがとう、ミオ。リリィさんのそばに、いるよ。ゆっくり、考えてみる。」 

 

 セレナの笑顔は、どこかぎこちなかったが、そこには新たな決意が宿っていた。

 彼女の心は、リリィへの思いで揺れながらも、温かな光に満ちていた。

 

 ――ー

 

 その夜、セレナは自宅の部屋でベッドに横になり、天井を見つめていた。

 部屋にはピアノがあり、窓の外からは虫の声が聞こえる。 

 彼女の手元には、コンテストで使ったショパンのノクターンの楽譜が置かれている。

 リリィが聞いてくれたあの曲。セレナは楽譜を手に取り、指でページをなぞった。

 

「リリィさん…。」 

 

 彼女の心に、リリィの笑顔が浮かぶ。園芸部での穏やかな時間、コンテストでの涙、彼女の手の温もり。

 セレナは目を閉じ、リリィへの思いを胸に抱いた。恋なのか、友情なのか。それを決めることは、今はできなかった。だが、リリィがそばにいるだけで、彼女の心は満たされる。それだけで、今は十分だった。

 

 セレナの胸には、リリィの紫の瞳が焼きついていた。

 彼女がスズランに話しかける時の穏やかな表情、ライブでぎこちなく笑う姿、コンテストで自分を見つめる真剣な瞳。

 リリィの全てが、セレナの心を強く惹きつけていた。

 彼女はリリィのことを考えるたび、胸が温かくなり、同時に切なくなる。

 その切なさは、リリィがまた危険に晒されるかもしれないという恐怖と、彼女への深い思いが混じり合ったものだった。

 

「リリィさんが、幸せでいてほしい…。そばにいたい、ずっと。」 

 

 セレナの呟きは、夜の静寂に溶けていく。彼女はベッドの上で身を起こし、ピアノの前に座った。

 鍵盤に指を置き、ショパンのノクターンをゆっくりと弾き始めた。

 音の一つ一つが、リリィへの思いを乗せて響く。

 彼女の心は、リリィの笑顔を思い浮かべながら、切なさと喜びで揺れていた。

 

 セレナはピアノを弾きながら、リリィへの思いを整理しようとした。恋。ミオの言葉が、彼女の心に響く。

 リリィのそばにいるだけで、彼女の心は満たされる、だが、その気持ちを伝える勇気は、まだ持てなかった。リリィがどう思うか、彼女の過去に何があるのか。

 セレナは、リリィの傷を抱えながらも笑う姿に、強く惹かれていた。

 彼女を守りたい、彼女の笑顔を見続けたい。

 その思いは、恋と呼ぶにはあまりにも純粋で、友情と呼ぶにはあまりにも深かった。

 

 セレナはピアノを弾き終え、鍵盤から手を離した。部屋は静寂に包まれ、虫の声だけが響く。

 彼女はスマホを手に取り、リリィにメッセージを送ろうかと考えるが、指が止まる。

「好きだよ」なんて、急に言えない。

 彼女はスマホを置き、枕に顔を埋めた。

 

「リリィさん…どうして、こんなに胸がドキドキするんだろ…。」 

 

 セレナの呟きは、夜の闇に溶けていく。

 彼女の心は、リリィへの思いで揺れ動き、眠れない夜を過ごした。だが、その揺れは、彼女にとって新しい光だった。

 リリィとの絆が、彼女の心に新たな音色を刻んでいた。

 彼女は目を閉じ、リリィの笑顔を思い浮かべながら、静かに眠りについた。

 

 ――ー

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