使徒の密議


 リリィ・フロストことリリウムの誘拐事件から数日が経過し、桜ヶ丘高校の日常は穏やかに戻りつつあった。

 しかし、街の外れ、廃工場を改装した秘密の拠点では、緊迫した空気が漂っていた。

 秘密結社「クロノスの使徒」のメンバーたちが、薄暗い会議室に集まり、リズ・ヴァレンタインの捕縛について話し合っていた。

 部屋はコンクリートの壁に囲まれ、蛍光灯の冷たい光が鉄製のテーブルを照らす。

 壁にはハンター計画の資料や、リリウムを含むハンターのプロファイルが貼られ、組織の執念を物語っていた。

 

 テーブルの中央に座るのは、クロノスの使徒のリーダー格である男、ガブリエル。

 四〇代半ば、灰色の髪を短く刈り、鋭い鷲のような瞳が部屋を見渡す。

 彼の隣には、若い女性のメンバー、エリカが座り、ノートパソコンを操作しながら報告書を準備している。

 向かい側には、筋骨隆々の男、ヴィクターが腕を組んで不機嫌そうに黙っている。部屋には他にも数人のメンバーが立ち、緊張感が漂う。

 

「リズ・ヴァレンタインが捕まった。ユナ・クロフォードの部隊による急襲だ。…我々の計画に、大きな支障が出た。」 

 

 ガブリエルの声は低く、抑揚に乏しいが、怒りを抑えているのが明らかだった。

 彼の手元のタブレットには、リズの尋問記録の概要が映し出されている。

 エリカがキーボードを叩く手を止め、静かに口を開いた。

 

「リズの行動は、組織の指令を逸脱していました。リリウムを拉致したのは、彼女の個人的な執着によるものです。結社の目的はハンターの監視と情報収集で、直接的な拉致は許可されていなかった。」 

 

 エリカの声は冷静だが、ガブリエルを気にするように慎重だった。

 ガブリエルは目を細め、タブレットをテーブルに置いた。

 

「それが問題だ。リズの独断行動が、ユナ・クロフォードの目を我々に引きつけた。ハンター計画の残党が、我々の動きを察知している可能性が高い。」 

 

 ヴィクターが鼻を鳴らし、腕を解いてテーブルを叩いた。

 

「リズのやつ、最初からあの女にこだわりすぎだった。リリウムだかなんだか知らんが、一人のハンターに固執して任務を台無しにしやがった。あの女、尋問で何を喋るか分からんぞ。」 

 

 ヴィクターの荒々しい声に、部屋の空気がさらに重くなる。ガブリエルはヴィクターを一瞥し、静かに言った。

 

「リズは口を割らない。彼女の忠誠心は…いや、執着心は、我々の予想を超えている。だが、彼女がリリウムにこだわった理由は、我々にとっても無視できない。」 

 

 ガブリエルは立ち上がり、壁に貼られたリリウムのプロファイルに目を向けた。銀色の髪、紫の瞳、戦場での記録。

 彼女はハンター計画の最高傑作の一つであり、戦争終結後もその動向が注目されていた。

 ガブリエルはプロファイルを指で叩き、言葉を続けた。

 

「リリウム・フロスト。ハンターとしての能力は、戦場で証明済みだ。彼女が桜ヶ丘高校で『普通の生活』を装っているのは、ユナ・クロフォードの指示だろう。だが、リズの報告によれば、彼女はすでに人間らしい感情を持ち始めている。…これは、我々にとって脅威だ。」 

 

 エリカが眉を寄せ、ノートパソコンを閉じた。

 

「脅威? リリウムが人間らしい感情を持つことが、なぜ問題なのですか? ハンターが戦場を離れ、普通の生活を送るなら、結社の目的には影響ないはずでは?」 

 

 ガブリエルの唇に、冷たい笑みが浮かぶ。彼はエリカを振り返り、ゆっくりと言った。

 

「ハンターが人間の感情を取り戻す。それは、制御不能な力を意味する。リリウムのような存在が、感情に突き動かされれば、予測不可能な行動に出る。彼女が我々に敵対すれば…いや、すでにユナ・クロフォードが動いている以上、我々は次の手を急がねばならない。」 

 

 ヴィクターが苛立ったように立ち上がり、声を荒げた。

 

「じゃあ、どうするんだよ? リズは捕まった、拠点の一つはバレちまった。ユナの部隊が次にどこを狙ってくるか分からんぞ。リリウムをまた拉致るか? それとも、別のハンターを標的にする?」 

 

 ガブリエルはヴィクターを制するように手を上げ、静かに言った。

 

「焦るな、ヴィクター。リリウムは依然として重要だが、彼女一人にこだわる必要はない。クロノスの使徒の目的は、ハンター計画の完全な終焉だ。リリウムはその一部に過ぎない。だが…彼女の存在は、ユナ・クロフォードを炙り出す餌になる。」 

 

 エリカが目を上げ、慎重に尋ねた。

 

「リリウムを餌に? 具体的に、どうするつもりですか?」 

 

 ガブリエルは壁のプロファイルから目を離し、テーブルに戻った。彼の声は低く、冷酷だった。

 

「リリウムの周囲を監視し続ける。彼女の友人、セレナ・フローレンス、アヤメ、ミオ。これらの人間を利用すれば、リリウムの動きを制限できる。ユナがリリウムを守るために動けば、彼女の部隊の動きを把握できる。…そして、リズの尋問から得られる情報次第では、別の拠点で次の作戦を立てる。」 

 

 ヴィクターが不満そうに鼻を鳴らした。

 

「セレナってあの金髪の小娘か? リリウムと妙に仲がいいらしいな。そいつを拉致れば、リリウムも動くんじゃねえか?」 

 

 ガブリエルの瞳が一瞬鋭くなり、ヴィクターを睨んだ。

 

「軽率な行動はリズの二の舞だ。セレナ・フローレンスは、ただの高校生だ。彼女を拉致れば、警察や世間の目が我々に集まる。クロノスの使徒は、闇に潜むことで力を保つ。目立つ行動は避けろ。」 

 

 ヴィクターは渋々頷き、席に戻った。エリカが再び口を開いた。

 

「リズの尋問についてですが…彼女が結社の機密を漏らす可能性は低いと思います。彼女の動機は、リリウムへの個人的な執着です。結社の目的には、それほど忠実ではありませんでした。」 

 

 ガブリエルは頷き、タブレットを手に取った。

 

「その通りだ。リズの執着は、我々にとって両刃の剣だった。彼女の情報収集能力は優れていたが、独断行動が今回の失敗を招いた。…だが、彼女が捕まったことで、ユナ・クロフォードの動きが加速するだろう。我々は次の拠点を準備し、監視網を強化する。」 

 

 部屋に重い沈黙が落ちる。メンバーの一人が、静かに尋ねた。

 

「リーダー、もしリリウムが本当に人間らしい感情を取り戻しているなら…彼女を再びハンターとして覚醒させることは可能ですか? 彼女を我々の側に引き込むことは?」 

 

 ガブリエルの唇に、冷たい笑みが再び浮かぶ。

 

「興味深い提案だ。リリウムの心を壊し、ハンターとしての本能を呼び起こす…リズが試みたことだ。だが、彼女の失敗は、感情を無視したことにある。リリウムの心を操るには、彼女の大切なものを利用する。セレナ・フローレンスはその鍵だ。」 

 

 エリカが眉を寄せ、慎重に言った。

 

「セレナを利用する…それは、リリウムをさらに追い詰めることになりませんか? 彼女の感情が不安定になれば、予測不能な行動に出る可能性も…。」 

 

 ガブリエルはエリカを一瞥し、冷たく答えた。

 

「そのリスクは承知している。だが、リリウムが不安定になれば、ユナ・クロフォードも動きを露わにする。いずれにせよ、我々の最終目的は変わらない。ハンター計画の終焉。そして、人類を脅かす力の排除だ。」 

 

 会議室に、再び沈黙が落ちる。ガブリエルは立ち上がり、部屋のメンバーをゆっくりと見渡した。

 

「次の行動は、慎重に進める。リリウムの監視を継続し、ユナの部隊の動きを追う。セレナ・フローレンスの動向も注視しろ。…クロノスの使徒の意志は、決して揺らがない。」 

 

 メンバーは一斉に頷き、会議は終了した。ガブリエルは部屋を出る前に、リリウムのプロファイルに最後の視線を投げた。

 銀色の髪、紫の瞳。その少女が、クロノスの使徒にとって、希望と脅威の両方を象徴していた。

 

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