第25話
歴史と未来のはざまで──“黒船報告”という予期せぬ波紋
会議も終盤に差しかかろうとしていた頃だった。
重々しい空気が落ち着きを取り戻しつつあったとき、与那嶺艦長がふと立ち上がった。
「あの……ひとつ、補足があります」
視線が一斉に向く中、艦長はまっすぐに前を見据えたまま、穏やかに告げた。
「列島が消失したあの日……我々〈しゅんこう〉は——黒船と遭遇しました」
その瞬間、会議室にいた全員の思考が空白になったようだった。
ざわっ、と椅子が軋む音が広がり、耳を疑った幾人かが顔を見合わせる。
小さく鼻で笑った者さえいた。「さすがに、それは……」と呟いた男の声が、場の緊張を逆なでする。
だが、ひとりの幹部がゆっくりと手元の分厚い手帳を開いた。
古びた航海日誌のような装丁。そのページの隙間に、何かを書き足すペンが走る。
「……会議長、列島が“時空異常を起こした日時”ですが」
ページをめくる指が止まり、そのまま顔を上げた。
「1853年、嘉永6年6月3日——浦賀沖。
黒船来航と、完全に……一致しています」
会議室が揺れた。
いや、静寂が一気に崩れたのだ。
誰もが喋り始め、誰もが誰の声も聴いていなかった。
「冗談じゃない」「でも位置は?」「それは史実なのか?」「黒船の艦名は?」「そもそも、何を話したと言うんだ!」
与那嶺は動じなかった。やがて、誰かが彼の目を見て言った。
「つまり——あなたが遭遇したその“黒船”は、歴史上の……本物だったと?」
「はい。艦体は古い型でした。蒸気機関。鋲打ちの黒塗り。旗に星条旗。そして、甲板の中央に……ペリーと名乗る提督が立っておりました」
「会話は?通信手段は?!」
「……翻訳装置は働きませんでした。むこうも我々の装備に驚いていた様子です。ですが——なぜか、互いに“通じてしまった”。言語ではなく、“言葉”として」
「……“言葉”?」
「ええ。“来訪の目的は何か”と問われ、“我々の祖国がこの海域から消えた”と伝えました。すると、彼は静かに“歴史には、遅れて現れる者がいる”とだけ言いました」
しばらく、沈黙が流れた。
それはあまりにも抽象的で、同時に現実的すぎる言葉だった。
「質問、いいですか」
下座に座っていた若手の気象庁技官が、緊張しながら口を開いた。
「遭遇位置ですが……〈しゅんこう〉の位置座標と、黒船来航当時の記録された艦影の海図が……少し、違っているように思えて……」
言いたいことは、誰もが察していた。
——なぜ〈しゅんこう〉だけが列島と別れ、取り残されたのか。
——黒船は、“どこ”へ行ったのか。
——ペリーは……“あの”時代に戻れたのか?
「あのとき、提督は最後にこう言いました」
与那嶺は穏やかに目を閉じた。
“We will return… if your time permits us.”
「……そして、霧の中に消えていきました。
私たちは、それきり再接触できませんでした。彼らが無事に『向こう』に戻れたのかどうかは……今も、分かりません」
会議室の空気が、ぴたりと止まった。
歴史と現在が、たしかに一度、接してしまったのだと。
何が真実で、何が因果だったのか。
誰にも説明はできなかった。だが——信じていない者は、もはや、いなかった。
最後列の広報担当が小さく漏らした。
「もしその黒船が……『歴史に変化を残していたら』……我々の今もまた、誰かの観測点の中にあるのかもしれない」
誰も笑わなかった。
むしろ、その可能性に「ふさわしいとしか思えない時間」が、いま会議室で流れていた。
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