第24話
白い船体。
過去を背負い、現在を問い、未来へ繋がろうとするその船。
〈しゅんこう〉が帰ってくる。
海図が“空白”だった場所に、再び航跡が刻まれる。
そしてその航跡が、誰も知らない「これから」を導く道しるべになるのだと、
誰もが確信し始めていた。
海の者と、戻ってきた者たち──木更津会議室にて
午後8時10分。
千葉・木更津の海洋観測本部。その静かな海沿いの複合庁舎の大会議室には、ふたつの“時間”が向かい合って座っていた。
片や、〈しゅんこう〉の艦長・与那嶺とその乗組員たち。
片や、戻ってきた“列島”の幹部たち——5年間の再構築を担ってきた、かつての内閣・海保・通信・気象・防衛・農政の指導層たち。
照明は抑えられ、モニターには時間同期の履歴と航跡ログが映されていた。
室内には立場を明かす名札がない。
誰が今の“日本”を代表しているのかすら、厳密にはわからなかった。
だが、与那嶺艦長の目には、列島幹部たちの瞳に、説明のつかぬ威圧に似た気配が映っていた。
——いや、“威圧”ではなかった。
“何かを背負って帰ってきた者の覚悟”だけが、会議室の空気を変えていた。
誰からともなく、質疑の時が始まった。
〈しゅんこう〉からの航海報告は、冷静かつ忠実に読み上げられていく。
消失直後の混乱、父島への漂着、島民たちとの共有生活、列島復帰の瞬間まで——そのすべては“あの日”から“5日”の出来事だった。
けれど、列島側の幹部たちは静かに微笑んだ。
それは、“違う時間を歩いてきた者”にしかできない眼差しだった。
「……この5年間で、我々は“選び直す国家”をつくりました」
中年の女性幹部が、ひときわ落ち着いた声で言った。
「都市は止まりました。
流通も通信も、法も市場も……すべてをゼロから組み直しました。
でも、私たちは『列島を維持する』のではなく、
『列島で生き直す』ことを選んだんです」
壁に投影されたスライドに、まばゆい千葉の菜園、海上の太陽帆、流通を担う漁村の手押し市場、川に架かった仮設発電機と仮設診療所が映る。
そこには人の笑顔があった。外国人も、日本人も、子どもたちも。
与那嶺は息を呑んだ。
ただ、気づかぬうちに拳を握っていた。
この5日間、自分は“国家の漂流物”を守ろうとした。
けれど——彼らは、もう一度“命を生きる構造”を根っこから作り直していたのだ。
「……我々は、帰ってきたわけではない。
ここで初めて、あなた方に“再会”しているんですね」
その言葉に、対面にいたある若手乗員が顔を覆った。
静かに嗚咽をこらえていた。
敬礼の姿勢のまま、涙が頬を伝っていた。
艦長もまた、一つうなずき、会議卓に両手を置いて言った。
「5年を語れる皆さんに、5日しか知らない私が言う資格はないかもしれない。
でも、5日で忘れなかった誠実さを、これからの日本に重ねられるなら、
しゅんこうの5日は、無駄じゃなかったと信じられる気がします」
会議室の壁際で控えていた通訳官が、そっと横に立つ。
彼の背には「列島言語再調整局」と書かれた紋章があった。
それは“言語すら時間によって変化した”ことを示す、小さな事実だった。
それでも言葉は届いた。
意思は届いた。
時の断絶さえ超えて、ふたつの船は今、同じ流れに乗りつつあった。
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