第16話

取り残された巡視船


 初日──しゅんこう、空白を見つめる


 列島を見失ったのは、ペリー提督の艦影が水平線の彼方へ消えてまもなくのことだった。


 艦内では当初、突然の座標異常と通信不通を「一時的な機器トラブル」と判断した。

 だが、何度レーダーを確認しても、そこにあるはずの本州沿岸は映らず、海図上の日本列島の座標には“空白”が広がるばかりだった。

 さらに、本部との通信は完全に遮断され、列島方向に進もうとするたび、不可視の壁のような反応遮断が生じる。理由は不明で、航路の再接続も試みたが進入は阻まれたままだった。


 与那嶺艦長は、静まり返ったブリッジで全乗員に命じた。


「我々は“取り残された”のではない。

 もし日本が消えたのなら、我々こそが“日本の生存証言者”となる。

 正確に見て、正確に書き残せ。観測日誌を始めよ」


 遠く、列島があったはずの海域には、何もなかった。波も風もかつてと変わらぬはずなのに、そこだけが不自然なまでに沈黙していた。


 その異様な静けさのなか、中国語による無線交信をかろうじて傍受することができた。内容は断片的だったが、「日本排他的水域に入れない」という報告が繰り返されており、どうやら中国側の船舶も同様の現象に直面しているらしい。空からのアクセスも不可能との報が流れ、まるで“日本だけが”世界地図から切り離されたかのようだった。


 与那嶺艦長は、ふとあのときの出来事を思い出していた。


 目の前に現れた黒塗りの蒸気船。

 帆も煙もなく、波のうねりすら立てずに近づいてきた異質な艦影。

 歴史の中でしか読んだことのなかった“ペリー提督の艦”が、あの海に確かに存在していた。


 そして提督と交わした、あの短い言葉——


 “We will return… if your time permits us.”

 「お時間が許せば、また戻ってきます。」

 

 彼は、何百回となくその言葉を思い返している。

 列島が未来へと回帰した今、果たしてペリーたちは無事に、1853年という彼らの海へ戻れたのだろうか。

 そうであってほしい。

 “我々の時代”ではなく、“彼らが護るべき時代”に、あの艦が再び溶け込んでいったのだと信じたい。


 与那嶺は航海日誌を閉じ、そっと夜空を見上げた。

 星がひとつ、またひとつ瞬くたびに、過去と未来が空で交差しているように思えた。


「ペリー提督……あなたの言葉は、確かに届いています。

 そして、いつかまたどこかで、“海の者らしく”お会いしましょう」


 巡視船〈しゅんこう〉の航跡は、その夜も静かに、時代の水面を滑っていた。

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