彼女の名は、ゼルヴィア

ギルドの朝は、いつもよりざわついていた。

冒険者たちの噂話。異様な魔力の気配。そして、一部の魔術師たちの混乱。


「なんか、変な波動が昨日の深夜から観測されてるって……」

「魔族の封印が解けたって話もあるらしいぜ」

「まさか、魔王とか……」


その言葉に、僕は思わず足を止めた。

僕の隣には、誰にも見えないはずの彼女が立っている。


「面白いな。たかが波動の揺れだけで、ここまで騒ぐとは」


「……いや、お前の存在が原因だろ」


ゼルヴィアは、わずかに口元を緩めた。

けれど今の彼女は――僕以外の目にも見える。


「本当に、いいのか。表に出るってことは……」


「構わん。いずれ知れるなら、早い方がいい」


そう言って、ゼルヴィアはそのまま歩き出す。

黒いドレスの裾が静かに揺れ、彼女がギルドの扉を押し開いた瞬間――


空気が凍った。


受付にいたミナが目を見開く。

周囲の冒険者たちが次々と動きを止め、ゼルヴィアの姿に釘付けになる。


黒の髪。赤い瞳。

その存在感は、まさに“別格”だった。


「な、なにあの人……?」


「魔族……? いや、違う。けど、人じゃ……」


誰かが呟いた。けれどゼルヴィアは怯まず、真っ直ぐに進んでカウンターへと向かう。


「ここの責任者を呼べ」


低く、通る声。ギルド中に響いたその声音は、美しく、そして容赦がなかった。


ミナがしばらく硬直していたが、やがて震えながら頷き、支部長室へと走っていった。


僕はその横に立ち、静かに囁く。


「派手に行くなぁ……」


「貴様が言ったのだ。“もう一度、生きてみたい”と。ならば、私は私のやり方で存在を示すだけ」


数分後、支部長が現れた。

険しい表情で、ゼルヴィアを睨む。


「お前は……誰だ? どういう立場で、このギルドに?」


ゼルヴィアは答えなかった。代わりに、僕が一歩前に出た。


「彼女は、俺の契約者だ。俺の力の源であり――これから、この世界に必要になる存在だ」


支部長の目が狭まる。


「つまり……お前が連れてきた“何者か分からない異質”ということだな」


そのときだった。


ゼルヴィアの手が、そっと宙に伸びた。

空気が震える。


ギルドの空間が、一瞬だけ歪み、魔力の風が吹いた。


「証明しろと言うなら、するまでだ。私がかつて、“魔王ゼルヴィア”と呼ばれた存在であることを」


支部長が息を呑んだ。周囲の者たちが顔色を変える。


けれどその空気の中、ミナだけは小さく声を漏らした。


「……魔王が……どうして……リクと……?」


ゼルヴィアは振り返る。誰よりも静かに、誰よりもまっすぐに。


「私は、“リクの魔王”だ。それ以外の何者でもない」


その言葉は、誰の胸にも強く突き刺さった。


そして――物語が、大きく揺れ始めた瞬間だった。

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