第2話 旅立ちは、茶の湯気と共に

「お祖母ばあ様、戻りました」

「お帰りなさい。疲れたでしょう?今、お茶を淹れるからね」

「あぁ、お茶なら私が――」


いいのよ、と優しく微笑むのは、私の一番尊敬する茶師である、お祖母様。

すぐに、ほんのり甘い香りが台所から漂ってくる。

お祖母様が淹れるお茶は、私にはもったいないほど、美しくて美味しい。


広大な茶畑に囲まれた茶師の家、ここが私の生まれた場所。


私が初めて急須を持たせてもらって、震える小さな手でお茶を淹れた日。

小麗シャオリーのお茶は、真っ直ぐで良いお茶だねぇ」と、お祖母様は笑ってくださった。


小さい頃から「立派な茶師になる」と、お茶の勉強をたくさんしてきた。

でも、茶師にとって一番大事なものは、知識だけではないと、お祖母様はいつも教えてくれた。


「……菊花茶きっかちゃ、ですね」


お祖母様が、茶器を持ってきてくださった。

透明な茶海ちゃかいには、白く小さな菊の花びらが浮かんでいる。


「小麗、このお茶、好きでしょう。まずは、心を落ち着かせるのよ」

「はぁ……良い香り。お祖母様、この茶海、綺麗ですね。まるで、花が泳いでいるみたい……」


私は、お茶の入った茶杯ちゃはいを両手で包み込む。

この香りと温度が絶妙で、いつも私を癒やしてくれる。


お祖母様と二人、静かに華やかな香りに包まれ、お茶を堪能する。

1杯目を飲み切る頃、お祖母様がそっと私に語りかけた。


「今日は、煌鳳殿に参上したのね。煌皇様は、何と?」

「……はい。『黒龍茶を煎れよ』との、命を受けました」


お祖母様は、2杯目の茶を淹れながら、少し懐かしそうな顔をしていた。


「そうなのね……蘭家にも、ついにこの時が来たのね」

「お祖母様は、“黒龍茶の伝説”について、お詳しいのですか?」

「詳しいってほどじゃあないけどね。昔も茶師の友が、その命を受けたのよ」

「……そうだったのですね」

「ええ。皇直々に命を受けるのは、大変光栄なこと。でもね、その友人は……帰ってこなかったのよ」


お祖母様の、茶杯を持つ手が止まった。

私は、“黒龍茶の伝説”は、おとぎ話のようなものだと思っていたから……背筋が凍ったような気分だった。


「“黒龍茶”は、飲んだ者を不老不死へ導くとされる、幻のお茶ですよね……やはり、その茶葉を摘みに行くのは、相当過酷ということでしょうか……」


お祖母様は、ゆっくり深く頷いた。

その瞳が、どこか悲しげで潤んでいるようにも見えた。


「小麗、あなたは、選ばれたの。これは、蘭家の誇りよ」

「はい、お祖母様……」


お祖母様と私は机の上で手を握り合う。

お祖母様の手は、温かく私の手を包んでくれる。


「黒龍の茶葉を探す旅は、長く、険しいものになるかもしれない。……それでもね、挑む価値があるの。きっとあなたなら、大丈夫。私は、信じているわ」

「ありがとうございます。必ずや、この蘭麗、黒龍の茶葉を持って、帰ってまいります」


煌鳳殿で命を受けたとき、まだ私が旅に出るなんて、実感がなかった。

いつまでも、この茶畑に囲まれて、周りの方々にお茶を振る舞って……平穏に暮らすものだと思っていたから。


でも、私が選ばれたなら、それは私の茶師としての使命。

絶対に、この命を果たしてみせる。

そして、お祖母様の元へ帰って来る、と自分自身に固く誓った。


「小麗、これを持ってお行きなさい。私が昔、皇に捧げるお茶を煎れていた頃に使っていた、思い出深い茶器たちよ。これを見る度、私と故郷を思い出せるでしょう?」

「お祖母様の思い出の茶器を……本当に、良いのですか?」

「もちろん。小麗に、使ってほしいのよ。この茶器なら、道中どんなことがあっても、お茶と小麗の力で、乗り越えていけるわ。それと、この香もね。心を落ち着けるのに、最適よ」


お祖母様は、代々蘭家で使われてきた茶器と、お香を綺麗な翡翠ひすい色の風呂敷で包んでくれた。


私は、翡翠の風呂敷を大切に受け取って、出発の準備をすべく、自らの部屋へ向かった。


ふと窓の外に目をやると、青々とした茶畑が広がっていた。

この辺りでよくかけっこをして、「茶葉を傷つけるな!」と怒られたものだ。

そんな昔の思い出も、お祖母様の大いなる愛も胸にしまって、私は、日の出と共に旅立つ。

大丈夫。きっとまた、この茶畑の香りが、私に「おかえりなさい」と言ってくれる。

私は、私を信じて――茶師の旅路を、往くだけだ。

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蘭麗、黒龍茶を煎れよ~茶師の旅路~ 海音 @umine

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