声に導かれて・・・・・・
佐藤ゆかさんとの最後のカウンセリングから、三日もしない日の朝の事だ。
彼女と母親への、カウンセリングの準備の為、相談室で事務作業を行っていると、扉を叩く音がした。
その音を聞いた時に、なにか嫌な胸騒ぎがした・・・・・・
「先生・・・・・・佐藤です。こんな朝早くにすみません」
その声を聞いた時に前回のカウンセリングとは少し違う印象を持った。上手くは表現が出来ないが〝ふわふわ〟とした感覚を彼女の声から感じた・・・・・・
「ゆかさんですか、どうぞお入り下さい」
開いた扉の彼女の姿に私は驚いてしまう。彼女の白い制服が赤く染まっていたのだ。
私は嫌な予感が的中した・・・・・・
しかしここで取り乱しても、彼女を刺激してしまうだろう・・・・・・私は前回と同様に彼女を椅子に座らせる。
「ゆかさん、おはようございます。どうしました?」
私は声を落ち着かせ、彼女に語りかけた。判断を間違えると取り返しが付かなくなる。
彼女は何も答えずに、俯きながら耳を押さえていた。爪が頭の皮膚に食い込み、血を流している。
おそらく心臓の声が、彼女の脳内に鳴り響いてるのだろう・・・・・・
「ゆかさん、ゆっくりでいいので何があったか先生に話してくれませんか?先生は大丈夫ですよ。少しずつで構いません・・・・・・」
「先生・・・・・・声がね、お母さんを殺せって何度も何度も私に言ってくるんです。もう頭が割れそうな位に大きな声で・・・・・・」
彼女の制服の血は、母親のもので間違いないだろう。ここは彼女を落ち着かせないといけない・・・・・・
「ゆかさん、大丈夫。先生へ話しごらん」
彼女は耳を押さえつけながら話しを続ける。彼女は今、とても苦しんでいる・・・・・・
私はこの状況を、どう対処するか必死に考えていた・・・・・・
「朝、お母さんからの挨拶を無視しました。無視するのは、心臓の声の命令だから逆らえないんです・・・・・・」
「分かっていますよ。逆らえない・・・・・・辛いですね・・・・・・」
彼女は耳を押さえながら涙を流していた。震える声で話す言葉に耳を傾ける。彼女をどうにか助けないといけない。
「そうしたらお母さんに怒られて・・・・・・心臓の声が、殺せ殺せって何度も私の頭に鳴り響いて止まらなくなったんです。今まで、聞いた事が無い位に大きな声で・・・・・・それで私・・・・・・キッチンの包丁で・・・・・・」
一瞬、彼女は包丁を持っていないかと不安がよぎる。それに彼女の母親は大丈夫だろうか?
それに、自分の身の安全も考えないといけない。
私は思考を巡らせる・・・・・・
一体、何を優先すれば・・・・・・どちらにせよまずは、彼女を落ち着かせないといけない。
「大変でしたね・・・・・・もう大丈夫ですよ。一つ一つ、対処していきましょう」
私は何とか冷静さを取り戻し、彼女へ声を掛ける。
「先生、今だって心臓の声は、語りかけてくるんです。この部屋から早く出ろって」
彼女は耳を抑える両手へ、更に力を入れていた。血が次々に滴る。
「ゆかさん、落ち着いて下さい。まずは、両手を耳から離して」
「心臓の声が消えない!もう、どうにかして!」
彼女は急に立ち上がると相談室を飛び出していった。私は内線で他の先生に連絡を入れ、彼女を探す。
他の生徒や先生だって危険だ。幸い、朝の早い時間だった為、他の生徒は少ない、一刻も早く彼女を探さないといけない。他の先生と手分けし彼女を探した。
彼女のクラス、保健室、体育館、教室をひとつひとつ探しても彼女は居ない・・・・・・
もしかして、学校の外へ行ったのではと考えると血の気が引いた。
校庭へ出た時に、屋上に人影が見えた・・・・・・まさか・・・・・・間違えない、彼女だ・・・・・・
私は屋上へ向かった。屋上へ続く扉は開いている。ドアノブにはべっとりと血液が付いていた。
「ここだったか・・・・・・」
私は扉を開き、屋上へと足を踏み入れる。
「ゆかさん、居ますか?先生です。大丈夫ですよ」
屋上を見渡してみると彼女の後ろ姿が見えた。彼女の手には鞄に隠していたと思われる包丁が握られている。
彼女の背中越しに広がる、雲一つない青空がこの状況と不釣り合いだった・・・・・・
「ゆかさん、大丈夫ですよ。包丁を離してこっちに来て下さい」
私は彼女に優しく声を掛け、ゆっくりと近づく。どうやら彼女は小さく独り言を言っているようだ。私はその独り言へ耳を澄ます。
「うん、分かった。一歩ずつね・・・・・・」
「うん、前に進むよ・・・・・・一歩ずつ」
「一歩、また一歩・・・・・・」
彼女は恐らく、心臓の声と話しているのだろう・・・・・・小さく呟きながら屋上の柵へと手を伸ばす。
「きっと上手く乗り越えられる・・・・・・見守っていてね」
彼女は柵に手を掛け、乗り越えると、屋上の淵で立ち止まった。その手には包丁が握られている。今、他の先生を呼んでいたら間に合わない、私は彼女に声を掛けた。
「ゆかさん、そこは危険です。早く戻って来て下さい。心臓は喋りません・・・・・・その声は、妄想なんです。ゆかさんきっと良くなります。先生を信じてください」
彼女に声が届いたのだろうか、彼女はゆっくり振りかえると口を開いた。
「先生、心臓の声がね、私の背中を押してくれるんです!あと一歩、もう一歩って私を応援してくれるんです!私、前に進まないと!」
その声の通り、もう一歩でも進んでしまったら地面に落ちてしまう。どうにかこちらに戻さないといけない。ここは三階建ての校舎の屋上、落ちれば危険だ。
「ゆかさん、お願いだから戻ってきて!あなたは大丈夫だから!」
彼女は心臓に手を当て、私に背を向ける・・・・・・
「心臓の声はいつも私の味方・・・・・分かった・・・・・・もう一歩進むね・・・・・・もう一歩・・・・・・もう」
そして、私の視界から彼女は消えた・・・・・・
同時に鈍い音が聞こえ、私の鼓膜へと張り付いた・・・・・・
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