不味い弁当

白川津 中々

◾️

「君が作ったカレーが食べたいな」


妻の、そんな細やかな願いさえ叶えてやれなかった。


癌。

それも、末期である。 


運が悪かった。医者に「ここまで進行して症状が出ないのは稀ですね」と言われるくらいに、妻にはなんの予兆も現れなかったのだ。

診察後は即座に入院し、食事も制限された。色は細かったが、なんでも美味しそうに食べる妻の楽しみが一つなくなった。


「君が作ったカレーが食べたいな」


病床の中でそう言葉を落とす妻を、直視できなかった。同時に、夫として、人として最低な考えが脳裏に浮かんだ。


どうせ死ぬ。費やした金と時間は無駄になる。


良心の呵責はあった。罪悪感もあった。妻に対する愛情ももちろんあった。ただ、ただしかし、俺は自分の人生を取った。


妻が「カレーを食べたい」といった日の夜、全て投げ出し、電車に乗った。それから知らない駅で降りて、病室宛に離婚届けと指輪を送ってからまた、電車に乗った。それを見た元妻がどんな顔をするのか、泣いたのか怒ったのか、それとも呆れたのか、俺には知る由もなく、知りたくもなかった。だからこそ、逃げたのだ。


電車の中、弁当を食べた。

ひどく不味かったが、こんなものも、彼女はもう食べられないのだと思うと、涙が溢れた。身勝手な、どこまで行っても最低な男の涙が流れ続け、俺は不味い弁当を腹に入れていった。

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