第6話

◇一ノ瀬晴翔・視点


 いつも通りの下校中。

 靴を履き替えて昇降口から出たところで、聞き覚えのない声に呼び止められた。


「先輩!」


「え?」


 振り返ると、あの後輩の子がいた。

 笑顔はやっぱり明るくて、ちょっとだけ小悪魔っぽい。


「えっと……中条です。1年の。廊下でお会いしたことありますよね?」


「う、うん……そうかも」


「すみません、突然。でも、聞きたいことがあって……」


 彼女は小さなメモ帳とペンを取り出しながら、言った。


「もしよかったら、連絡先……教えてもらえませんか?」


 


 ……は?


(え? 今、なに?)


「えっ、俺、なんかした?」


「いえ、別に。メガネ、よく似合ってるなってずっと思ってて。それに、優しそうだから」


(……いや、好意じゃんこれ!!)


 人生初の“連絡先ください”案件に、心臓が跳ねる。

 が、返事をする前に――


「おーい、晴翔!」


 お決まりの声が、背後から降ってきた。


「……あ、篠原さん」


 ほのかちゃん(←いつのまにか名前で呼んでた)も気づいたようで、小さく会釈した。

 そして、こはくは俺の隣に並んで、ひとこと。


「……なにしてんの?」


「いや、あの、話しかけられてて……」


「ふーん。で、アンタ、誰に連絡先教えるつもり?」


 その声に、ほのかの笑顔が少しだけ引きつった。


 


 なんか、空気が重くなった気がした。



◇篠原こはく・視点


(……マジで連絡先、聞かれてた。冗談じゃない)


 焦った? ううん、焦ってない。

 ただ、計画が崩れるのが面倒くさいだけ。


 あいつは地味で平凡で、私の知ってる“普通”でいなきゃいけない。


(なのに、なんでこうも女子に目をつけられるのか)


 この前もそう。今日も。しかも1年生ってなによ。

 なんなの、下からくる感じ。若さって武器かよ。勝手に武器にすんな。


 


 私はあえて穏やかに言う。


「ねえ、晴翔」


「な、なに」


「連絡先とか、そういうのさ。あんた、聞かれて答えられるタイプだったんだ?」


「え……うん……いや、まあ、たぶん初めて……」


「ふーん」


「いや、なんでお前が不機嫌になんの!?」


「別になってないし。ちょっと笑っただけだし。ほら、ニコッ」


「こわッ」


 


 ああもう。

 こんな顔、他の女子に見せるな。


 連絡先だって、私だけが知ってればいいのに。


(って、なんで私がこんなこと思ってんの?)


 


 焦ってなんかない。

 ただ――


(……なんか、胸がざわざわして、気持ち悪い)



◇一ノ瀬晴翔・視点


 結局その日、俺はほのかちゃんにちゃんと返事をできなかった。


「ごめん、また今度、考えさせて」


「……はい」


 彼女は少しだけ寂しそうに微笑んで、去っていった。


 


 そのあと。


「なんで断ったの?」


 こはくに言われたとき、俺はぼんやり答えた。


「……なんとなく。タイミングが合わなかったっていうか……」


「ふーん。まあ、アンタにしては、正しい判断だったんじゃない?」


「俺、そんなに信用ない?」


「うん。全然」


「つれぇ!!」


「それでいいの。私は、そのくらいのあんたが好き」


「え?」


「……なんでもない。早く帰ろ」


 


 背中越しのその言葉に、ちょっとだけドキッとした。


(……今の、“好き”って言った?)



いや、空耳か?

いや、でも、確かに言ったような……言いかけたような……。


 


「え、ちょ、今のって──」


「だから、早く帰んないと日が暮れるって!」


 


バッと振り返ったこはくが、俺の言葉を遮る。


表情は……いつもと同じ。

ちょっとだけ呆れた顔で、ちょっとだけ口が尖ってる。


でもその目は、なんか焦ってた。


 


(やっぱ今の、“好き”って言いかけたよな……?)


 


でも訊けなかった。


だって、訊いたら。

それが冗談だったら。

“そう聞こえただけだし”って流されたら。


 


それって……なんか、俺の方がダメージでかい気がした。


 


「……ほら、ボーッとしてないで。晩メシ買うって言ったでしょ」


「お、おう」


 


気まずくなることもなく、並んで歩く。


少し風が吹いて、前髪が揺れる。


 


「はいはい、危ない。メガネ死守」


 


こはくが、いつものように俺の前髪を押さえてくる。


慣れた手つきで。

まるでルーティンみたいに、自然に。


 


「……お前さ」


「なに」


「なんでそんなに……俺の顔、気にするんだよ」


 


その問いに、こはくは一瞬だけ立ち止まって、

俺の方をちらっと見た。


 


「……気にしてないし。監視してるだけ」


「監視て。俺は犯罪者かよ」


「顔面が、ね。社会的にアウトなレベルのポテンシャルを秘めてるから、隔離管理してるの。私が」


「いや、褒めてんのかディスってんのかどっちだよ」


「どっちも」


 


そう言って、またスタスタと先に歩いていく。


でも――その背中。


いつもよりちょっとだけ早歩きで、ちょっとだけ耳が赤かった。


 


俺は思わず、ぼそっと呟いた。


「……お前のそういうとこ、たまにずるいよな」


 


もちろん、こはくには聞こえてない。

それでよかった。


だってたぶん、今、顔がちょっとだけ熱かったから。


 


自分が何に動揺してるのか、わかるようで、わかりたくない。

そんな夕暮れの帰り道だった。

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