合体
花火大会合体
日が暮れればまたべつのとっておきが待っている。
「花火! 花火!」
レンタルしたサーモンピンクの浴衣に、ユリちゃんの上機嫌はとまらない。
ユリちゃんを上機嫌にしているのは海であり花火でありかわいい浴衣であるのに、まるでじぶんがしあわせにしているのだと錯覚する。
「こことか、どうですか?」
白浜海岸に降りると、ユリちゃんは遠慮なくまえの方を陣取る。
「わたし背が低いから、ぐいぐいいかないと損するんです」
遠慮なんてするだけ損だ。それがユリちゃんの哲学であるらしい。なるほど、それでこのユリちゃんなのか。
花火大会会場は白浜駐車場で、白浜海岸は混んでいるというほどじゃない。それでも観光と思しきカップルから近所のおじいちゃんおばあちゃんまで、各々好き勝手にレジャーシートを広げ、つまみやら酒やらを広げていた。
「ビールを呑みながら花火とか、大人って感じですよね」
そう、ユリちゃんもバサバサと、セブンイレブンで買い込んだ飲み物やお菓子をレジャーシートに散らかしている。
どうやらユリちゃんにとってお酒は大人の象徴であるらしい。申し訳ないことにまだ未成年の朧月も酒を呑むことは黙っておく。もっとも彼は弱くて、缶ビール半分で眠ってしまうのだけど。
「くじらさん、はい焼き鳥! はい、たこ焼き! はい、ビール!」
ユリちゃんが絶え間なく口に放り込んでくるのに頷きながら、耳に隠したイヤホンに耳だけ、申し訳程度に傾ける。
ユリちゃん九割、イヤホン一割。
十分だろう、いまオレはデート中で、これからデートのハイライト、花火大会なのだから。
ザザ ザザ
ノイズが、耳に入る。
ビュォオ ビュォオオオ
それがやがて、躱しきれない風声に変わりイヤホンの向こう、多々戸浜から届く。
なるほど、いい風だ
容赦なく流し込まれるビールな咽せながら、胸の内で呟く。
南海上に秋の台風。
上がりはじめた南西風
大潮、上潮
白浜の波をグラッシーに抑えているこの風がいま、多々戸浜ではオンショアとなりうねりを煽るだけ煽っているに違いない。
多々戸と入田のあいだ、満潮を狙う
朧月に聴かされているのはそれだけだ。
多々戸浜と入田浜のあいだには迫り出した岩礁帯があり、歩いてふたつの浜を往来できる。が、大潮と満潮が重なるその時間だけ、その道が波の下に消える。伊豆の波は荒い。地響きを鳴らし岩礁に打ちつけて砕ける。岩礁を舐めるように這い上がりすべてを呑み込み引いていく。
オレがいる白浜の、岩礁帯を選ぶと思っていた。吉佐美を選んだのは風と、花火大会デートの邪魔にならないようにだろう。イアホンを寄越したところでもう十分、邪魔してくれてるわけだが、これが朧月という、やはり少年の精一杯だ。
ドンッ バンッ
風に煽られた外洋の波は猛るように打ちつけては砕ける音が入る。
いいね。
あとはこの海に任せて、オレはユリちゃんと花火を楽しむことにしよう。
『楽しい』
いまはそれだけでいい。
オレを巻きこまないでほしい
ユリちゃんが浴衣にお着替えしているあいだ、共用廊下に座り込んで待つ。
やはり花火大会にでかけるのであろう宿泊客がいちいち見ていくがかまわない。
さきに浴衣に着替えたオレはユリちゃん曰く、ヤクザみたい、ドスとか持ってそう!な見てくれだ、物珍しいのだろう。
彼らにかまわずLINEにメッセージを送る。通話してもいいがいつユリちゃんが顔を出すかわからない。
オレはお泊まりデート中なんだ
爪木崎駐車場で朧月がよこしてきた、インナーイヤホンのケースを眺める。こんな小さなケースが、デートを邪魔する凶器に思えてくる。あれだ、『しゅうとめ』だ。
しょーがない
ポポンとスタンプが飛びだしてくる。うさぎのようなクマのようなキャラクターがふざけた顔で踊っている。
しょーがなくない、引き受けたといっただろう
引き受けたのはオレだけど
お願いされたのはおまえだ
なんだそれは。
やはり直接はなすかと通話ボタンをタップしかけたところで、
くじらさん! お待たせしましたぁ!
ユリちゃん! かわいい!
お団子にピンクの浴衣で現れたユリちゃんに、すべてがふっとんだ。
夕暮れの残像をその水平線にわずかに残した海を見つめる。
ぽつりぽつり、はるか向こうに漁灯が灯りはじめる。
視界の端、斜めまえにジャーシートを広げた若い家族が映る。
やっと立てるようになった、って赤子が、若い夫婦が見守るまえで危なっかしげに歩いていた。一歩、二歩、歩いてすぐに頭からひっくりかえる。ひっくり返るところで若い父親が、その腕で赤子を掬い上げる。目尻に皺をつくりふくふくの頬にキスをしている。母親がそのとなりで、赤子の名を呼びながらスマートフォンを向けている。
それを、ぼんやりと眺める。
ユリちゃんは、子どもが好きだね
三人はほしい。そう、はなしていた。
くじらさんの方が、よっぽど好きだと思いますけど
オレが? まさか。
ゆっくり、ユリちゃんに顔を向ける。いつのまにか、ユリちゃんの悪戯な目がオレを見上げていた。
灯台で小学生に、なにかお願いされてたし
あれはっ
あわてて首を振る。
あれはなにも、お願いされていません!
どうだかなぁ? 遊覧船でも、知らないチビちゃんたちにお菓子、買ってあげてたし
それは
それは。
応えが見つからない。
そんなだから、お友だちさんがつけあがるんですよ?
朧月?
そうだ、肘は軽く曲げて両手で構えろ
風声の合間を縫い、朧月の声が耳に届く。
指はガードにかけておけ
リボルバーの使い方を、少年に指導しているのだろう。
ぅん
泣きだしそうな返事が返ってくる。いまいるのは『兄』のようだ。
兄貴は、弟だろ
朧月はケロッとそういってのけた。
なんだっけ そういうの
中二病
やつはまだ小学生だ
間違えた
厨二病
なんだそれは
木村みたいなやつ
イマジナリーブラザー
くじらさんはちょっと、子どもを甘やかしすぎかなって思うんです
顎をあげてうっとりと語るユリちゃんのはなしが、理解できない。
くじらさんはそうやって子どもを甘やかすでしょうから
甘やかす。オレが、朧月を。
子どもが悪いことをしたら
たしかにしてる、現在進行形で。
わたしが叱るわけです
いいね
ふわり、柔らかい息がでる。
ユリちゃんが朧月を、叱ってくれるんだ?
お友だちさんもほんとうは、
ユリちゃんがふい、と、遠くを見る。
優しいひとなんだと思うんです
ユリちゃんの視線を追う。いよいよ闇に沈みはじめた海がある。
認めたくないですけど!
ガードから、指を離すな
銃を使うか。
朧月は銃火器を使わない。気配なく背後にまわり、ニードルで頸を突く。それで終いだ。拳銃を使わない朧月がほんの子どもにそれを持たせるのは、
撃つ必要はねぇよ
子どもに『殺し』をさせたくない、からだ。
握らせた拳銃には弾すら、入っていないのかも知れない。
脅すだけで十分だ
ひとを殺して、
朧月の瞳はいつだって曇天だし、
オレは毎夜、母の幻影を見る。
じぶんを、兄を、殺した母親のために少年がそんな思いをする必要はない。
おまえの母ちゃんはおまえに謝る。謝って命乞いをする
闇の降りた海で拳銃を向けられて冷静でいられる一般人はそういない。逃げようと走りだすか、足が竦んで動けなくなるか。いずれにしても助けを求め助けがなければ、
それで十分だ。あとは
ドンッ バンッ
うしろで、波が岩礁を叩いて削る。
あとは、海が呑み込む
朧月のメッセージを、思いだしていた。
『お願いされたのはおまえだ』
遅れて一つ、つづいてメッセージが入っていた。
『おまえが傍にいてやれよ』
そうだね
その必要はない。朧月、おまえが傍にいる。それで十分だろう?
朧月の傍に、オレがいる必要はきっと、もうない。
そうかもしれない
『友人の父親を殺した』
なぜか、は、知らない。けれどそのときとおなじ気持ちがきっといま、ニードルを抜く手を抑えている。その理由を、オレですら知らないのに。
ユリちゃんは、いいママになる
あら
ユリちゃんが目を丸くする。
くじらさんだって、いいパパになりますよ
なにをひとごとみたいに、いってるんですか?
パパ
予想だにしない単語に固まる。
オレが、パパ。
親って大体、そんな感じじゃないですか
大体の親がどんなものかわからないけど、いわれるがまま曖昧に首を揺する。
ママって口うるさいし
そうかそうなのか。
パパってヘタレだし
待って。
甘くて、チョロくて、
ちょっと待って。
それから、
ふふ、って、ユリちゃんが身を預けてくる。ふわり、百合の香りが鼻をくすぐる。
優しい
ユリちゃん
だから、
オレは
あの男の子のお願い、聴いてあげてください
ほら、母ちゃんが来たぞ
朧月が口笛を鳴らす。
母親がやってきたのだろう。
『白いリボンについて、はなしをしましょう』
堕胎で刑事罰に問われることはない。しかし十二年まえのはなしが明るみになって、彼女の『しゅうとめ』が黙っていなだろうことは容易に想像できた。
二十分だ
朧月が念を押している。
上手くいってもいかなくてもそれまでには浜に戻れ
本日、満潮は六時二三分。
二十分。
満潮一時間まえ。
花火大会の開始時刻。
大丈夫だ、上手くいく
そう残して、朧月の気配が消えた。
どんなお願いなのかはわからないですけど! くじらさんが焼き鳥に集中していないのはわかります
そ、そんなことは
ないはずだ。音が漏れいた? 挙動が不審だった?
そんなはずはない。
そもそもオレはこの案件に首を突っ込むつもりはなかったんだ。
おか あ ん
そこでやっと、少年の声がイヤホンに届いた。か細く、怯えた声だ。すぐそこで拾っているはずなのに、風声に邪魔され音が途切れる。
どう て を 殺し たの
恐怖にか、怒りにか、すでに涙声だ。
ごめ て って
こんな声じゃ、母親に届かないだろう。母親の喚く声も風と一緒にイヤホンへ入ってくるが、少年と距離があろうのだろう、内容までは聴き取れない。
おい! もっと強気でいけ!
まったく、はやいとこ終わらせてほしい。タイドだって限界だ。どうする? 朧月がでるか。イヤホンの向こう、空気の揺れを探る。が、
おに ちゃ を
待て。
今度こそ焼き鳥から注意がそれた。
ころ し て
お兄ちゃん?
ぼく うま ければ ったって そん の
そんなのっ
なんだ。
許せないよっ
風声にも負けない力強い少年の声が、怯える少年の声に並んだ。
そんなの、お兄ちゃんが許さないから
あの、利発な少年の声だった。
頭の芯が冷える。
おまえは『弟』じゃなかったのか。
いま拳銃を構える臆病な兄貴は『イマジナリー』とやらじゃなかったのか。
それならおまえたちはだれなのか。
花火がはじまるまえには、終わらせてほしいですけど!
ユリちゃんがスナックを手にとなりの老夫婦とおしゃべりをはじめてしまうが、もう引き返せない。
謝ってよ
少年の叫びに、けれど返ってくるのは狂ったように喚く金切り声だけだ。
謝ってよ、弟に
半狂乱になったオンナの声が、近くなる。
産まなければよかったっていったこと、弟に、謝ってよ
あやま、あやまってよっ
泣きじゃくる声が並ぶ。
おに ちゃんにあや って
まずい。
ころし ってごめん ってあや って
イジメてごめんなさいって、謝ってよ
ふたつの声が重なる。
ドンッ バンッ と、荒れる波音も近い。
突き落とす気だ
朧月は銃火器を使わない。憎きオトナを殺してやった手応えがほしいからだ。身体に伝わる振動が、ほしいからだ。
おなじだ。
海に任せるなんて物足りない。
手応えがほしい。
なぜ少年がふたりいるのか、どちらが弟でどちらが兄なのか、もうわからない。が、状況はかなりまずい。
そしてこちらの状況もかなりまずい。
じゃ!
ユリちゃんは身体を起こしてそう、スナックを食べはじめてしまう。
あぁあっもう!
波が上がってくる。
いま母親を突き落とそう岩礁の縁に近くなら、少年も波に呑まれてしまう。それとも、
どうし ぼくひとり けでこんな なしいきもち なきゃ
大丈夫、お兄ちゃんはいつも、一緒にいるよ
兄が優しく、弟を促す。
オンナが馬鹿になったみたいに喚く。
あぁぁぁぁあごめんなさいごめんなさいっ
子どもなんていらなかったのに助けて助けて助けて
わたしはわたしの人生を大切にしたかったのわかるでしょわたしの人生なのあぁぁぁぁあ
ごめんなっ
許さないよ
兄が突き放す。
ぼくは許さないっ
オレはスマートフォンを抜いている。
「まずいぞっ! 朧月っ」
ドンッ
怒涛が地を震わせ轟音が断末魔をかき消す。
朧月っ
っまえ!
朧月の怒鳴る声が、イヤホン越しに聴こえ安堵する。スマートフォンの通話は切れていた。
ふざけんなっ死にてぇのか!
いつもチャラけた朧月の、めったに見せない表情だった。
こっから! 銃で! 狙えっつたんだオレは!
朧月
朧月が息を吐く。
ただ少年の、臆病なほうの、泣きじゃくる声がイヤホンに届く。
死にたいのか。死にたかったのかもしれない。きょうだいのいう通りなら。
『産まなければよかった』
親にそういわれて平気でいられる子どもはいない。頼れる兄が待っていてくれるなら、死んだほうがいいに、決まっていた。
無事か
やばかった。マジ焦ったわ。なんとか、引っ張り上げた
おまえひとりでか
あ? あぁチビだからな
ふたりいた
ふたり? あぁ、母ちゃんは持ってかれた。それは上手くいった
動揺を隠す。
そっちが、弟だったらしい
ああ
朧月が疲れたように呻く。
間違えた。
いや、騙された。
利発な少年が母親に復讐したいというなら、オレたちははなしを聴かなかった。聡明かつ歪んでいる、つまり朧月のような、少年は厄介だ。関わりたくない。
それで、聡明な彼は復讐は臆病な少年のためだと近づいてきた。
弟を手足に自身の復讐を遂げようとしたのか、そうじゃない。兄はたしかに、臆病な少年に復讐させてりたかった。
臆病な弟を、生まれてきてしまったをずっと詰られつづけてきた弟に。
望んで生まれてきたんじゃねぇんだよ
いつだか朧月が叫んでいたじゃないか。生まれて、生まれた先に居場所がない
あの臆病で控えめな少年は、親に謝ってほしいだけだ。親殺しなど物騒なはなし、オレたちじゃあるまいし思い至りもしないだろう。
『弟』がお願いに来たとおりだ。
が、あの『弟』が兄だったとなればどうか。聡明な少年は歪むと厄介だ、朧月のように。自身の正義が許すまで相手を追い込み、正義が勝つことなどないのだから、最後には非合法に極刑に処してしまう。
復讐したいのが利発な兄だったのなら、
彼はオレがそれを知っていることを感じて、気弱な弟を兄ということにしたんだ。
...
それをわかってあげるくじらさんはもっと、優しいんですけど!
どうだろうな
ユリちゃんは、いいママになるね
あら、
ユリちゃんが目を丸くする。
くじらさんだっていいパパになりますよ?
うちのパパとママもそうですよ? ママは口煩いけど、パパは、
お巡りさんの?
ヘタレ
ちょっと待って。
甘くてちょろくて、
待って。
それから、優しい
ユリちゃんが身を預けてくる。百合の香りに、気管の奥がキュッとなる。
もしかして
そういっている。
もしかして、もっとワルい子だっているかも知れない
ユリちゃんが朧月のどこを見て、彼を悪い子認定したのかはわからない。まさか殺し屋だと知っているわけではないだろう。せいぜい女の子遊びが過ぎる程度に考えているのかも知れない。
たとえば、
例えば、
夫に逃げられ精神を病み一人息子に頼るほかなかった母親を、殺して逃げるような。
泥棒みたいな
ふふ、
ユリちゃんが小さく笑う。
それ、くじらさんですか?
どうだろう
かわいんだ
かわいい。
そうだな、そんな子がいたらこうして、
ユリちゃんが、オレの背中に腕をまわす。
タイムリミットは三十分。それを超えたらおまえも波に持ってかれる
少年の声はない。
オレは駐車場から、見ててやるから
しっかりやれよ
そう残して、朧月の声は風に消えた。
そしてら、それを、聴きたいんだろう?
『ぼくは、許せないから』
許してなんかやらない。
あのとき、お母さんはボクの声を聞いてくれなかった。だから、
あぁ、
ユリちゃんが柔らかく笑う。
いつだって顔の半分を口にして笑うユリちゃんの、初めて見る、静かな笑みだった。
そういう子は、
閲覧確認用 浩太 @umizora_5
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