3.5
DAY2後半
遅い
スカーフを救出し駐車場へ戻り、ソフトクリームを食べてさて戻るかといったところで、ユリちゃんがトイレにベンチをたった。
『女の子はなんでも時間がかかる』
とはいえ、さすがに長い、ような気がする。
もちろん面倒だなんて思わないが、心配にはなる。気分が悪いのか、お腹が痛いのか、ソフトクリームが良くなかったか。ジャンキークラウンの残党どもはまだ動けないだろう。
様子を見にいくべきか、否か。
ベンチで逡巡しているところだった。目の前に小さなスニーカーが現れ顔を上げると、
オジサン
さきほどのガキが、爽やかな笑みで立っていた。
さっきは、ぼくの母が失礼しました
じっと、少年を見る。
オジサンにお願いがあって
違和感の正体を探る。
さっきのは、ぼくの兄です
察したのか、少年はそう歯を見せた。『さっき』のガキとはだいぶ様子が違っていた。
目を逸らさないその笑みに、人見知りも尻込みもしない強気な聡明さが滲みでている。
「ぼくは弟で」
それでも違和感は拭えない。
「ぼくたち、双子なんです」
いや、違うな。
これは面倒ごとに違いない。そう判断する。
悪いがオレはいま忙しい
手のひらを向け拒絶の意を示す。
たいていのニンゲンはこれで、逃げるように去っていく。が、利発なこの少年は、大人にものを頼む態度を弁えている。
オジサン、悪いひとですよね
仄暗い想いで少年を見つめる。
そのこぎれいなスニーカーでこちらの世界に踏み込むんじゃない。
小さなナイフが、スカーフをとるときに、腰から見えました。それで、
少年がお手本みたいな笑顔をつくる。それだ、そんな笑顔で闇に踏み込むな。
兄が母を殺すのを、助けてあげてほしいんです
あら、きのうの、
ユリちゃん!
いつの間にトイレを終えたのか、ユリちゃんがオレのうしろから顔をだした。
いつの間に? 百合の香りに、気づけなかった。動揺を必死に隠す。最近、ユリちゃん限定でどうやらオレはだいぶわかりやすい。
どうしたんですか?
丸い目でオレを見上げてくる。なんだかちょっと、楽しそうだ。
なんでも、なんでもありませんよ!
面倒はごめんだ、ユリちゃんはいま、オレとデート中なんだ。
ユリちゃんの死角で少年を見下ろす。
はなしは終いだ
はやくいけ
さすが、引際も弁えている。少年が一歩下がる。が、
オジサン、ありがとうございます。よろしくお願いします
余計なことを!
胸中で舌を打つ。お手本みたいなお辞儀をして、少年は駐車場へ駆けていった。
で、
ユリちゃんがオレの腕を取る。
なにをお願いされたんですか?
なにも!
えぇ? 怪しいなぁ
ユリちゃんが揶揄うように見上げてくる。
くじらさん、子どもには甘いからなぁ
なにも! オレはなにも!
殺人幇助なんて、頼まれていません!
実際、オレはなにも引き受けていなかった。
兄が母に復讐するのを、助けてあげてほしいんです
復讐。
お利口さんの口から『復讐』なんてでてくるのが滑稽だった。
賢い『弟』なら、あの臆病な『兄』がなにをしようとしていたかも、わかっているだろう。
「おじさんには、バレたかな、て思って」
そうだな、だから咎めようなんてオレは思わないが。
オトナが子どもを殺すのに理由はない。ただ、邪魔だから、それだけだ。けれど子どもが親を殺そうっていうのなら、それなりの理由があるだろう。
「そうなんです、兄だけ母に殺されちゃって、生まれるまえに」
堕したのか、あっちのガキだけ
おまえが残ったのは?
「かきだしたお医者さんが、見落としただけです」
なんでいまさら?
いまさら、おばあちゃんに聴いたんです。あんたのお母さんは、あんたのお兄さんを殺したんだよ、って
余計なことをするババアもいるもんだな。
ボクたちのまえのきょうだいも
なるほど、堕胎を繰り返していたか。
『望まない妊娠』
この場合、望まなかったのは母親だけだろう。家族は、祖父母は孫を望んはずだ。そうでなければこんないい身なりはしていない。外から見てわかる虐めのあとはない。
だから兄に復讐させてあげたいんですけど、兄はあんなだから
まぁそうだろうな。
おまえ、白いリボンを知っているか
リボン
首を傾げている。子どもにはわからないか。
放っておいても、おまえの母親は明日まで保たない
そうなんですか?
少年がこどもらしく目を瞬く。そうだなその顔は悪くない。
海が呑み込む
きのうきょうと、大潮だ。そいう日に、海はオトナを呑み込む
きょうが、おまえのお母さんの番だ
でも、
少年が途端、心許ない
でも、母親の口から、兄貴に詫びるのを聴きたい
そうだろう? 子どもはたまに突拍子もないことばを使うが、殺害したい訳じゃない。ただ、謝ってほしいのだ。
うん
そうだ、そうやって子どもらしくしている方がよっぽど上手くいくこともある。ただ、
悪いな、オレは専門外だ
子どもを盗むが、オトナを殺す依頼は受けていない。
いまその専門家のオニイサンがこの辺りをうろついているから
駐車場の奥、売店のベンチで少年が並んでソフトクリームを食べているのが見える。そのひとりがくつくつ笑うのが、気配でわかる。ほんとうに、なんでほんとうにおまえがいまここにいるんだ! 叫びたいのを必死で抑える。
お願いするならいまの内だ
もたもたしていると、先を越される
だれに?
いっただろうが
オレが弁護士事務所から盗んだ書類に、この少年の母親の名たあったんだろう。
海に、だ
ま、そういうことに、しておこうかな!
ユリちゃんが愉快そうにオレの腕を引く。
あの子、きのうの子ですよね
きのう。『さっき』ではなく。
きのう、となりのテーブルにいた子ですよね
そうなのか。ユリちゃんに夢中で、となりのテーブルなど覚えていない。
ということは、あの女性がユリちゃんのいう『お嫁さん』で、あのガキどもがユリちゃんのいう『見ていてかわいそうになっちゃう』子どもか。
さっきの『かわいい子』の、弟くんらしい
え?
ユリちゃんが目を丸くする。
え?
あの子、きょうだいはいないと思いますよ? だって、
ユリちゃんが指を折る。
お嫁さんとお姑さん、であの子。険悪な雰囲気を和ませるのにがんばってて、しっかりしてる子だなって。で、向かいでお父さんっぽいひとが黙ってお酒飲んでて、叩いてやりたくなりましたけど
それはやめてください。いってくれればオレが殴っておきますから。ユリちゃんはたまにバイオレンスだ。
ほら、って、ユリちゃんが折った指を見せてくる。
四人席、埋まってましたから
で、
で?
どうして、お友だちさんが、ここにいるんですか?
イマジナリーかなぁ、なんて、愉快そうにオレの腕を引くユリちゃんをあわてて引き留めるけど、
間に合わなかった
花火! 花火!
上機嫌でオンボロワーゲンバスに戻るユリちゃんと、
よぉ
呑気に売店よこでソフトクリームなんか食っている殺し屋の遭遇は回避できなかった。
どうして、って。こいつがちゃんとやってるかなって
嘘つけ。朧月のとなりで事態を眺めている少年をちら、と見る。オレとユリちゃんがお泊まりするのを見て、じぶんもパートナーとお泊まりしたくなっただけだろう。
『その日、そのゲストハウスは満室だから』
一応、彼なりに配慮したのかも知れないが。それなら最後まで遭遇しない配慮もほしかった。
はじめてのおつかい、っつか、はじめてのお泊まりデートだから
そうなんですか!?
って、オレを見上げるユリちゃんの目がキラキラだ。
それって、わたしがはじめてってことですよね!
はじめてもなにも、彼女だったはじめてだ。
童貞だっていうのは、知ってたんですけど
ほんとうにどうして、それはだれに聴いたのユリちゃん。
嬉しい!
ユリちゃんが嬉しいなら、いいか。女の子に縁のなかった人生に感謝する。
だってくじらさんって、モテるから
モテますか?
ほら!
って、ユリちゃんが見上げる上空に、一羽、鳶が旋回していた。
いつだってついて来てる
まさかのジョナサンに嫉妬!
朧月が声を立てて笑いだす。
あれは、相棒ってか、きょうだいだってば
相棒ではあるが、きょうだいはいいすぎだろう。
だってユリちゃん、こいつのなまえ、知ってる?
朧月!
あわてて制止の視線を送るが、
え、くじらさん、ですよね
そのまえに、ユリちゃんが被せるように応えていた。
ハッとしたように朧月が肩を揺らす。それからなにか傷ついたように、少年らしく顔を歪めた。
朧月だってユリちゃんとおなじ。オレのほんとうの『なまえ』など知らないことに、いまさら気がついたようだった。
ロウ?
それまで傍観していた少年がそこで朧月の脇腹を突いた。小さな、けれど腹に響くような、その見た目からは想像できないような声だった。落ち着いた、深い海を震わすような、そんな音だ。
お友だちさんの、お友だちさんですね
それに引っ張られてか、ユリちゃんもニュートラルなモードになる。
あ、そうなんだ
パッと、朧月が顔を上げる。完全復帰はしていないようだが、オレには彼がいるのだと、我に返ったらしい。
北山です、いつも、ロウがご迷惑おかけして
アオくん、一度喋りはじめたらふつうに喋るな。声、小さいけど。
黒百合学園高校、三年!
朧月が得意げに胸を反らす。オレはダブってるから、ほんとは同学年
あ、そうなんですね
ユリちゃんは物珍しげに、アオ少年を眺めている。
オレも、待受画面越しにはいつも拝見させていただいているが、実際に
会うのははじめてだった。
捉えどころのない、幽鬼のような少年だ。
背丈は朧月を似たようなものだろうが痩身のため長身に見える。こちらを眺める切長の
わたしは逗子高校一年です、ユリ、っていいます
いつも、ロウがごめんね。鬱陶しいでしょう?
はい、すごく
アオ少年が朧月に、そっと身体をよせる。会話に気を取られているユリちゃんはそれに気づいていないだろう。
仲良くなれそうじゃない?
突かれるように朧月が、オレに身体をよせる。ジーンズのポケットに小さなケースを滑り込ませてくる。
あのガキは引き受けた
別れてからそれだけ、LINEが入っていた。
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