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 「はは、ユリちゃん、がんばったね」

 とりあえず図書室に避難して、

 「あぁ、もう、どうしよう、わたし、恥ずかしい!」

 朧月が笑うとなりで、ユリちゃんは顔を真っ紅にしている。たぶん、恥ずかしいですむ攻撃じゃなかったけどまぁいいけど。


 ユリちゃんの奇襲に晒されてピクリとも動かなくなったオバサンは、いまごろ木村が集めたどこかの半グレ集団が処分しているだろう。応急処置だが不本意ながら、あとは朧月が処理してくれる。

 「学校のなかでよかったよ」

 朧月を警察に突きだそうなんて生徒はいないし、

 校内指導ですませたい職員がわざわざ警察に通報なんてこともない。

 来週には代わりのSSWが、なにごともなかったように着任しているだろう。


 「で、なんであんなとこから登場したわけ? 帰ったんだと思ってたよ?」

 ユリちゃんの肩やらあたまやらについたさつきの葉を取りながら、朧月は愉快そうだ。どうやらユリちゃんは食堂と教室棟をつなぐ渡り廊下脇、さつきの植え込み隠れていたらしい。

 「あのひとが通らないかな、て」

 「食堂を?」

 「あ、嘘です。くじらさんが心配で」

 「心配してくれたんだ? こいつの」

 「その、やっぱりなにか、あったんじゃないかな、と、思って、」

 て、もじもじ、下を向いてしまう。残念、その顔、見せてほしい。屈んで顔を覗き込む。

 「あの、」

 「うん?」

 「優しいひと、って、」

 いまにも泣きだしそうだ。

 「たいへんなことが、」

 いまにも泣きだしそうなユリちゃんを、じっと見る。



 ひぐらしの鳴く声

 窓から射す午後の陽


 佇む少年、

 七つほどの歳の少年がそこにいる。



 「多いじゃないですか」

 ユリちゃんの口からポツリ、ポツリ、ことばが溢れる。

 「わたし、知ってるんです」

 それが、気持ちの奥に沈んでいた澱をとかしてゆく。


 「くじらさんは、優しいひとなんだって」


 オレのなにを見てユリちゃんが、オレを優しいなどというのか、わからなかった。

 「クジラみたい」

 それなのに、

 「大きくて、優しくて、それから、」

 それなのに、



 ひぐらしの鳴く声

 窓から射す午後の陽


 『わたしは知ってるんだ』


 佇む、少年。

 七つほどの歳の少年がそこにいて、


 『キミは優しい子だって』


 ひまわりみたいに笑うお姉さんが、手を差しだす。


 『がんばったんだね』


 「がんばってなんかない」

 「がんばれなかった」



 ユリちゃんはこんな顔をする。オレのために。



 「ごめんなさい、ぼく、」

 ごめん、オレは、


 「優しくない、」

 優しくなんかない。

 「ぼくは、」

 オレは、



 それなのに、


 「だれにも聴こえない声で泣く」



 ユリちゃんの手が頑なな少年の手を、

 半ば強引に、

 少年の小さな、血塗れの手を取る。


 それなのにそうやって、手を差しだすなら、


 『ほら』

 少年が観念したように、ゆっくり、顔を上げる。

 たぶんきっとずっと、ほしかった。

 産み落とされてから、

 父親に捨てられてから、

 母親を捨ててから、

 大人になって、忘れたふりをしてからも、

 ずっとほしかった。


 そんな少年に、

 そんな『かのひと』に、


 ユリちゃんからそうやって、手を伸ばすなら、


 「だから」

 ユリちゃんがこちらを見上げてくる。

 「だから、わたしが、」

 オレの目を見るそのに、涙の膜が張ってきらきらだ。

 「そばに、そばにいれたらいいな、」

 困ったような、それ以上にうれしいような朧月の目と、目が合う。

 「って、思うんです」

 ついにユリちゃんの頬をコロリ、涙の粒が転がる。


 あぁ、


 『キミはわたしに、敵わないよ』

 少年が、血に塗れた手でその手を、とる。


 奥歯を噛む。

 迫り上がるものを呑みくだす。


 『おまえはユリちゃんに、敵わないよ』

 オレも、悪事に汚れた手でその手を、掴んでいた。


 六月十九日 午後六時四十五分、

 依頼完遂。







 DAY7 ママ仕込み梅ジャムの葛アイス




 「くじらさん! なんですか! それ!」

 ユリちゃんはオレに気づくと、食堂脇のベンチをとび降り駆けよってきた。

 せっかくの浴衣が着崩れないか心配だ。しかも、

 「きゃっ」


 ユリちゃんっ!


 慣れない草履で転びそうになっている。


 ほんじつ、ユリちゃんはホタル祭り仕様だ。

 淡い桜色の地に、紅梅色の姫小百合が咲いた浴衣。あたまの上でまとめたお団子と百合に合わせた色の髪飾り。浴衣の襟から覗く頸がきれいで直視できない。制服姿とは違う大人っぽさが、というわけにはいかず、


 ユリちゃん、あの、そのカッコであまり、走らない方がいいかと、


 「くじらさん、それ!」


 思うんですが、


 オレの姿にはしゃぐユリちゃんはやっぱりひとのはなしを聴かない無邪気でかわらしいだけのユリちゃんだった。

 「きゃあぁ! ステキ!」

 なんて、無遠慮にオレの腕を掴んでくる。

 文句はいえない。『盗品』をどう扱うか、口を挟むことはできない。

 はじめて触れる、いや触れられるユリちゃんの手はずいぶんと柔らかい。もうむずむずやドキドキを通り越して硬直するしかできない。二十歳だってのに男子高生みたいで恥ずかしい。いや男子高生だけど。


 ユリちゃん、ずいぶんきょうは、その、か、かわい、


 「めちゃくちゃ! かわいいですよ!」


 オレがですか!?


 一方ほんじつのオレも、「納品だから」って、朧月に甚平を着せられていた。

 藍染の海に、裾のところで大きなクジラの頭がのぞいている。

 「すっごく! かわいい!」

 かわいい、なんだ? オジサンとしてはちょっと、複雑な気持ちになる。

 「パパに自慢しよう」


 ちょっと待って、ちょっと待って!


 スマートフォンを連写するユリちゃんにあわてる。


 パパにはなせないんじゃなかったの!?


 「え? あ、大丈夫です、昭和生まれなんで。一発殴られてすみますよ!」

 まったく大丈夫じゃない。ないけど、グッと息を呑む。文句はいえない。『盗品』をどう扱うか、口を挟むことはできない、のだから。



 「デートだから」

 って、ひとごとだというのに、朧月は愉快がとまらないみたいな顔で甚平を手に、逗子駅に現れた。

 反射的に手のひらを向けている。デートじゃない、これは納品だ。


 盗品を飾り立てたことなんてない


 「なにいっちゃってんだよおまえあたまおかしいの?」


 辛辣、


 「あんなかわいい女の子連れてホタル観にいくのにおまえ、デートじゃん。デートに白ティー、ジーンズとか正気かよ」

 返答に詰まる。

 じつのところ、ユリちゃんとでかけるなどただでさえ浮き足立つってのに、そんな慣れない格好など、もうキャパオーバーだ。ただの『納品』ですませたい。なんだかいろいろ耐えられない。

 朧月が目を丸くする。

 「おまえに、感情とかあるんだ」

 その目にからかいや愉快さはなく、ただ純粋に驚いているようだった。それはそうだろう。オレだって戸惑っている。きっと『感情』なんて、ユリちゃん限定でしか発動しないに違いない。

 「きのうブックオフに、アオと買いにいったんだぜ?」

 それなら、着るしかないのか。


 アオくんに面倒かけたな


 「全然? オレとアオのも買ったから、お揃いで! ははっ!」

 ごめん、アオくん。ほんとうに、面倒に引き込んだかもしれない。



 「ってゆうか、どうしてお友だちさんがいるんですか」


 そうだなんでおまえがいるんだ


 甚平がどうにも落ち着かないオレのうしろに、こちらは裾に天の川模様が入った甚平の朧月がいた。

 きょうは土曜で、学校は休みで、それなのになんだっておまえがここにいるのか。

 「え、仕事だから? 納品を見届けないと」

 朧月の仕事じゃないだろう。

 「なにいっちゃってるんですか?」

 ユリちゃんが目を真ん丸に見開く。

 「仕事なんかじゃ、ないですし、」

 そうだユリちゃん、いってやれ。

 「デート、ですから!」


 そっち!


 オレも目を丸く、気がつかれないだろうけど一応、してみる。


 まだ納品前ですが?


 「はやく納品しろよ」

 急かされるいわるなんてないんだけど、このままだとオレが口籠ったまま軽く一時間は納品に至らないことも、朧月はわかっているようだ。

 「オレはアオとこれから花火大会なんだよ」

 理不尽。どうやらこっちの甚平は、逗子花火大会へでかけるらしい。


 なんで見られてないといけないんだ


 「協力したから?」

 なるほど、あのクッキーか。

 「祝福される、ってことですね!」

 ユリちゃんがとび跳ねる。ユリちゃんはどこまでもポジティブだ。

 「そうですよね! こんな歴史的瞬間に証人がいないなんて、おかしいですよね!」

 上空で鳶が一匹、のんびりと鳴く。


 ユリちゃん


 「はい!」


 『かのひと』の? いや、


 気持ちが凪ぐ。

 暖かいもので、満ちていく。

 ユリちゃんがオレに、くれたもので。

 それをただ、差しだす。


 「オレのハートを、納品します」


 六月二十日、午後十二時、

 盗品を納品。






 「くじらさん、」

 そういえば、ユリちゃんはオレの『なまえ』を訊いてこない。それにいまさら気がつく。

 神武寺駅に向かいながら、


 ユリちゃん、


 訊かれてももう、『なまえ』なんて忘れているのだけど、せめて忘れていることくらい伝えておくのが礼儀ではないか。


 あの、ユリちゃん、


 「くじらさん! きょうは!」


 え、あ、はい。っぐ、


 ガサガサ、保冷バッグを探っていたユリちゃんが唐突に、オレの口に冷たいなにかをつっんできた。


 つめ、つめたっ、いやちょっ、むしろ苦しいっ


 「ママお手製梅ジャムの、」


 あぁ、


 「葛アイスですよ!」

 食べながらいきましょう! って、ユリちゃんに手を引かれる。


 あぁ、そうか


 『おまえはユリちゃんに、敵わないから』

 ユリちゃんは、許してくれなんだろう。

 このさきオレが過去うしろをふり返ることをきっと、

 もう許してはくれないんだろう。


 『キミはわたしに、敵わないよ』

 そう、佇む少年の手を、

 『優しいんですね』

 そう、佇む悪党の手を、

 こんな強引なやり方で、引いたのだから。


 梅雨明けにはまだはやいのに、

 空にはもう、ひわまりみたいな太陽が咲いていた。

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