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本文4
その日は早めに、全日制の授業が終わる三時半には着くよう、学校へ向かうことにした。
懲りずにまたあのオバサンがユリちゃんに近づいて、万が一の事態が起きては大変だ。
きのうユリちゃんが見せた、オレたちの知らないバイオレンスな側面が、気になっていた。
選択授業をとっていないならば、オレたちはとっていないわけだが、定時制と全日制の生徒がすれ違うのは夕方五時以降だ。
全日課程のユリちゃんは、授業が終わって五時まで、オレたちを食堂で待っていたことになる。
この依頼は、降りようと思おう
「なんだよ突然」
神武寺駅から学校まで、小道をゆく。
片側一車線の県道の、右手には鷹取山が、左手には京急線が並走している。
人気はなく、ほんとうに時折、赤い列車が過ぎていくだけ。
夏をまえに茂りだした蔦やイネ科の植物たちが、狭い歩道を埋めていた。
「納期は明後日だし、『あのひと』だって特定できた」
できてない
「まだそんなこというんだ。傘の会計、忘れたくせに」
オレは優しくない。条件を満たしていない
空を仰ぐ。
梅雨明けまえといえ、晴れてしまえば太陽はもう夏の顔だ。
眩しい陽を弾いて、空と、山の緑が、力強く輝く。
食堂に集まる野郎どもはもとより、SSWまでユリちゃんを、不純な目で見ている。ワルイオトコに遊ばれるような、騙されるような、そんな女の子だと思っている。それが、許せなかった。
もう、ユリちゃんを食堂で待たせてはいけない。
そうだ、あそこは夜が支配する場所だ。
はなから、ユリちゃんがいていい場所では、なかったのだ。
ユリちゃんは、
この眩しい空のもとで、笑っていなくてはいけない。
「そんなこというんだ、」
朧月が鼻で笑う。
「おまえは女の子を甘く見てる。女の子を知らない」
そんなことはない
そんなことはあった。女の子のことなど一ミリも知らなかった。女の子とはなしをしたのも、小学校の入学式以来だった。
「そんなふうにいうのは勝手だけどさ、」
上機嫌で、朧月は行手を阻む蔦を蹴飛ばしていく。草の香りが心地いい。
曇天の向こうに、夏が待っている。そんな香りだ。葛の蔦を空に放り投げて朧月が笑う。
「おまえは敵わないよ、ユリちゃんに!」
正門を抜けたところで、猟銃を下げたジイさんが職員玄関からでてくるのに出会した。
地元猟友会のジイさんだ。
彼らは学校裏手の鷹取山へアライグマ駆除にやってきて、オレと朧月はそれをひどくきらっていた。
「アライグマがなにをしたってんだよ」
朧月もそのときばかりは子どもらしく、そう口を尖らせていた。
気に入れば勝手に連れ込み、
気に食わなくなれば勝手に殺す。
「ニンゲンほどわがままな生き物はない」
勝手に産んで、
いらなくなれば勝手に殺す。
「オトナとおなじだ」
口を尖らすその横顔の理由を、オレは知らない。
朧月からはなさない限り、オレからきくことはない。
ただ、友人の父親を殺したのがはじまりだとだけ、風のうわさで聴いていた。
「つかれさまっすぅ」
朧月がわざとらしくあたまを下げるけど、ジイさんはこちらを一瞥するだけだ。ジイさんたちもまた、オレたち定時課程の生徒をきらっていた。
いつもなら朧月を嗜め食堂へ向かうが、鋭い殺気に、気が変わる。
朧月もそれに気づいたようで、肌で気配を探っている。
「むしろ、駆除してやろうか」
朧月が愉快そうに校舎裏へ足を向けるのを腕で制する。上機嫌に笑い転げたり不機嫌に口を尖らせたり、じぶんに素直な少年は、もうそこにいない。曇天の目をした殺し屋が、不謹慎な笑みを浮かべている。
オレがいく、
「は? オレの専門だ」
朧月はユリちゃんを頼む
「なんで、」
頼む
朧月をいかせたら殺気の出処に留まらず、それこそ猟友会のジイさんも駆除してしまうに違いなかった。
校舎裏へ回ると、すでにジイさんの姿はなかった。
すでに山へ入ったらしい。
逗子高校にはフェンスがない。境界がわりの小川を跨ぎ、オレも山へ入る。
ブナ林をしばらくいくと、カサリ、笹が揺れて
ラスカル、
アライグマが顔をだした。
軽く手を挙げるとオレに背を向けて歩きだす。
そのあとについて、山の奥へすすむ。
ジイさんの銃口もラスカルを追う。
鋭利な殺意も、一定の距離を保ちつつオレのあとにつづく。
きのう一昨日の少年たちよりは手練れている。
ラスカル、こっちだ
朧月がユリちゃんと合流しただろう時間を見計らいラスカルを足元に隠す。代わりにオレが、熊笹の茂みから顔をだす。ジイさんが銃口を外し舌を打つ。
が、オレの後方で、笹の葉が揺れた。
すばやくジイさんが銃を構えなおす。銃口が後方へ向く。
乾いた発砲音が山に響く。
殺意が消えた。
熟練したジイさんたちは寸分違わず標的を撃つ。そこいらのスナイパーなんて足元にも及ばない。
『アライグマと間違え男性を誤射か 神奈川県猟友会』
なるほどいい見出しだ。
一応、今夜のローカルニュースは聴いておこう。
「ごめんなさい、遅れちゃいました!」
五時を少しまわったころ、向こうからユリちゃんが、朧月とやってくるのが見えた。
ラスカルを助けて食堂へ戻るとまだ、ユリちゃんの姿はなかった。朧月に任せたのだから問題ないだろう、と、そのままいつものベンチで待ってた。
朧月が軽く手を上げ、ユリちゃんに見えない角度で口端を吊り上げる。足止めしていてくれたらしい。やはり報酬の十分の一くらいはわけてやるべきか。
「定時制の男子更衣室を覗けるスポットを、教えてもらってたんです!」
全言撤回なに教えてんだ小僧
「だって、あのひとのお着替えなんて、見てみたいじゃないですか!」
ユリちゃん!
「腹筋めっちゃきれいにわれてるんですよ! ぜったい鍛えてる!」
ちょっと待って聞き捨てならない。なんでかのひとの腹筋、知ってるの? 見たの?
「くじらさんだって、好きな女の子のお着替え、見たくなるでしょう?」
はぁ!?
「ね?」
見たくなんか、見たく、
「ほら!」
見たくありません!
やっぱりオレは女の子を、甘く見ていたのかもしれない。
「くじらさん、」
オレの向かい、ユリちゃんが座る。ランチバッグを掲げ居住まいを正す。
きょうのお弁当も、オレの知らないなにかに違いない。オレも、背を伸ばす。ちょっと、どきどきする。
「きょうは!」
得意げにユリちゃんが歯を見せる。気持ちが、むずむずする。
どきどきしたりむずむずしたり、こんなの、いつぶりだろう。記憶をいくら漁ってもそんな感情はでてこない。そうか、はじめてだったのか。
「アンケートにお応えまして!」
は、そうだ、
アンケートで思いだす。
伝えなければ。請負の、打ち切りを。
どきどきむずむずしてる場合じゃない。
ユリちゃん、
ユリちゃんがオレのまえで、クジラバンダナを解いていく。ユリちゃんがオレのまえでお弁当を広げるのは、はじめてだった。
それが気にはなるけど、どちらも気にできるほど器用じゃない。
ユリちゃん、おはなしがあります
それなのに、もはやあたりまえのように、ユリちゃんははなしを聴いてくれない。
「きょうのお弁当は!」
ユリちゃん、あの、おはなしが、
「ハンバーグ、ですっ!」
は、
ジャーン! って広げたお弁当箱には、ボールじゃないかと思うような分厚いハンバーグが二つ、並んでいた。
あ、
丸い大きなハンバーグ。
玉ねぎを煮込んだ甘いソース。
ハンバーグに丸ごとのっかったクリーミーなアボガド。
十数年まえ、波を共にした大人たちにはじめて連れていかれたカフェの、ハンバーグだった。
国道一三四号線沿い、海に迫りだしたオールオープンの洒落たカフェで、大きなハンバーグが有名だった。
「ハンバーグ」も、「アボガド」も、だれかと食事をするこそばゆさも、そのカフェ『Mellow』ではじめて知った。
サーフィンブームで一躍人気レストランとなったいま、白昼のMellowにオレの居場所はない。
もう二度と、あの時間はない。
それなのに、
「お友だちさんなきいたんですよ!」
きいた、
思わず朧月に目を向ける。ワルい顔で笑っている。
「くじらさん、好きなものありますか、って」
なんで、
「ハンバーグなんて! 意外とかわいいんですね! きゃぁ、いっちゃった!」
「二十年の人生で一度しか、ハンバーグを食ったことがないんだ」
そう、朧月は賄賂と引き換えに情報を売ったのだった。
「小坪の、」
「あっ、はいっ」
逗子小坪のハンバーグ。それですべて理解したユリちゃんは頬を染めて頷いたらしい。
「『cafe Mellow』の、ハンバーグですね!」
「アボガド、ママとがんばって選びました!」
ユリちゃんを昼間に戻さなくてはいけない。そう決意したのに。
あぁ、
口を引き結び目を閉じる。
はやくもその決意は崩れ去ってしまった。
「好きな人のことはなせないって、すっごく、つらいじゃないですか! ストレス、ストレス!」
きょうもユリちゃんは絶好調だ。
オレがハンバーグを完食するのを見届け、
「どうですか!?」
とてもおいしかった、です
ユリちゃんのハンバーグは、どうリサーチしたのかMellowのそれを完璧に
再現していた。
ハンバーグで口をいっぱいにしながら、夏の陽が眩しいデッキでオジサンたちの波乗りうんちくを聴いていた。そんな懐かしい記憶が、香ばしいソースの香りに引きだされる。そのころはまだ、陽の下にいた。
それで懐かしさあの時間に戻りたくなったかといえば、そうはならなかった。まだ子どもだからだ。子どもだから、許されていた。そう、わかっていた。わかっていたから諦めていたそれに、避けていたそれに、むしろ手を伸ばしてしまいそうだった。
などと、複雑な気持ちも私情も伝える語彙力なんてなくて。ただ顎を引く。それでもユリちゃんはご満悦だ。
「きゃぁ! よかったぁ!」って、朧月の肩を遠慮なく叩いている。
上機嫌がとまらないユリちゃんは、おしゃべりもとまらない。
お弁当アンケートは完璧。
それでもまだ帰らない。
定時課程はこれから授業だなんて、どうやら忘れている。ユリちゃんのためならよろこんでサボるから問題はないんだけど。
「なんてゆうか、もう、気持ちがぶわぁ! て、あふれて、口から雪崩れてきちゃうんですよ!」
なるほど
「だれかにはなさずには、いられないっていうかぁ」
なるほど、なるほど
しあわせでらたまらない、て、こんなに素直な女の子の、オレがパパならやっぱり反対する。それが偏見でもなんでも。
「くじらさんに会えて、ほんとによかった! 聴いてくれて、うれしいです!」
ひとしきりはなして、ユリちゃんがそうやって笑う。それから、あぁ、もう、恥ずかしい! て、ひとりで騒ぐ。むずむずする。
「くじらさんは、やっぱり優しいんだと思います」
けれど同時に、気持ちが疼く。
「お弁当ひとつで、優しすぎですよ」
優しくない。
優しさのかけらもない。
「くじらさん、て、なんでもはなせちゃいますよね」
優しくなんかない、
まだ子どものころに母親を捨てた。
父親と別れた母親は、妻が夫に求めるもの、それこそそのすべて、を、オレに求めてきた。
どうしよう、ママがおかしい
だれだか、学校の先生か、交番のお巡りさんか、
とにかく大人に訴えた。けれど、
優しくね、
お母さんに、優しくしてあげてね
返ってくるのはいつも、そのことばだけだった。
優しく、
優しく、
ひぐらしの鳴く声
窓から射す午後の陽
優しく、
守らなくちゃいけない。
支えなくちゃいけない。
ぼくが。
それなのに、
気がついたら、足元に母親が転がっていた。
胸元から包丁の柄が、突きでていた。
血溜まりが嘘くさくて、ホラー映画を見ているようだった。
「ごめんなさい、ぼく、」
血に塗れた両の手を見る。
「優しく、できなかった」
七つになった夏のはじめ、
ひぐらしの鳴く昼下がり、
母親を捨てた。
それから
優しくなんて、
「くじらさん、大丈夫ですか?」
え?
目を瞬く。丸い目が、心配そうにこちらを覗き込んでいる。
あ、いや、
小さく首をふるけど朧月が、静かに頷いた。「そうなんだ」
「そうなんだ、ユリちゃん。くじらさん、優しいんだ」
だから、て、ユリちゃんのあたまに手をやる。
「お団子に結ったのも、気づいてるよ?」
朧月のいたずらな笑みに、ユリちゃんは耳まで真っ紅にして俯いてしまった。
『優しいんだね、キミ』
両の手を血に汚した子どもにそう、手を差しだす女子高生を、見た気がした。
ひぐらしの鳴く声
窓から射す午後の陽
県営住宅の台所
頑なに顔を上げようとしない子どもに、それでも花が咲いたように笑む。
『そんなに意地を張ったってね』
って。
『キミはわたしに、敵わないよ』
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