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浩太

くじらのきもち

3

3別解


 *


 「女の子は、好きな人のまえにでると、目がきらきらするんだ」


 その日、朧月はやたらと機嫌がよかった。

 意気揚々と『恋する乙女の特徴』なるメモを広げている。

 きのう不貞腐れて授業サボった少年とは思えない。感情のジェットコースター、これこそが思春期というやつではないだろうか。



 海から上がるとやたらと着信とメールが残って、なにごとかと開くとすべて『朧月』からだった。

 〈この案件はてっとりばやく終わらた方がいい〉

 思わず、小さく息を吐いた。



 と、いうことできょうは、日の高いうちからふたり、逗子葉山駅前マクドナルドで緊急会合というわけだ。


 「ユリちゃんはシロだった」


 会ったのか!?


 席につくなり唐突にいい放つ朧月に、思わずは咎めるような視線を投げる。朧月は構うこともなく、

 「オレの目も鈍ったってことかな」

 などと宣っている。

 が、泥棒の目は誤魔化せない。

 半端に口を開けたボディバックから、かわいいらしいクッキーの包みがのぞいていているではないか。『グルテンフリー ハンドメイド』なんて洒落たラベル、三日で別れる彼女たちからでないのは明らかだ。


 逗子一の殺し屋を買収したのか


 そっと、胸に手をあてる。


 女子、こわ



 朧月のはなしではこうだ。

 きのう不貞腐れて食堂をあとにした彼は、パートナーに慰めてもらうべくバイクに跨った。そこを、

 「あ、お友だちさん」

 「うおっ」

 正門のよこからユリちゃんがとびだしてきたのだという。



 「あやうく轢くとこだったわ」

 改めて胸に手をやる。ユリちゃん、心臓に悪すぎる。



 「どしたの、ユリちゃん、こんなとこで。あと、お友だちさんじゃくて、朧月、ね?」

 「あのひとが通らないかなって、待ってたんです」

 「へぇ」

 ユリちゃんを疑っていた朧月として思わぬ機会だ。バイクを脇にとめはなしを聴くことにしたらしい。

 「『あのひと』にも、あのでっかいお弁当、渡してるの?」

 「はい。だって、そのためのお弁当ですよ?」

 そういうユリちゃんのスクールバックにはあのデカいお弁当が入っているようには見えず、ランチバッグも手にしてなかった。

 それでも笑顔で頷くユリちゃんから、悪意の匂いはない。

 「あのさ、いっそあのひとに会わせてくれたら簡単なんだけど。あいつなら秒で盗みだせるよ?」

 「それは、ダメです」

 そう、朧月を見上げるユリちゃんのはひどく真っすぐで、


 「そういう仕方で、ひとの気持ちを盗むことはできません」


 『かのひと』など、オレに近づく方便だと考えていた朧月もさすがに、口をつぐむほかなかった。「そっか、そうだね」

 「あの、くじらさん、どうでしょうか?」

 「どう? あぁ、苦戦してるよ? ユリちゃんの『あのひと』がだれかもまだわからない」

 朧月としては率直に状況を伝えただけだったが、

 「そうですか、まだ」

 なんて、ユリちゃんが俯いてしまうものだからあわててしまう。悲しいかな、純情な女の子をどう扱えばいいかを、朧月は知らないのだ。

 「ま、まぁ、あれだ!」

 とりあえず、腰を屈めてユリちゃんの顔を覗き込んでみる。

 「あいつに任せておけば心配ねぇよ! 納期を破ったことはない」

 「あの!」

 「うおぉっ」

 思わずのけぞる。勢いよく顔を上げたユリちゃんは、もういつものユリちゃんに戻っていた。

 「お友だちさんに、お訊きしたいことがあります」

 「な、なにかなぁ? あと、お友だちさんじゃなくて、朧月さん、って呼んでよしいなぁ」

 「あ、もちろん報酬は払いますよ? お友だちさん!」



 そう差しだされたのがこの、洒落た包みのクッキーだったというわけだ。

 『ユリちゃんは依頼人の雇った刺客である』説

 は、脆くもそこで崩れ去ったのだった。


 チョロい!


 「報酬だから」

 はん、って、朧月が鼻を鳴らす。いや、立派な買収だろ。おまえ、ユリちゃんに騙されてる。



 「ちょうどよかったわ。オレもユリちゃんに、」

 「あの!」

 どうやら朧月にもユリちゃんに売れる情報があったようだ。けれどそこはやっぱりユリちゃんで、朧月のはなしを聴いてくれない。

 「あの! くじらさんが好きな食べ物、教えてください!」



 え、『かのひと』じゃなくて?



 「え、『あのひと』じゃなくて?」

 「やっぱり、好きなものをつくりたいじゃないですかぁ。って、きゃぁ! いわせないでくださいよ!」

 「いやだから、『あのひと』じゃなくて? あとユリちゃん痛いから鳩尾叩かないでほしいな」

 「どうですか?」

 「え、あいつの?」

 住所不定、職業泥棒、二十歳男性、の好みが『あのひと』に響くなど考えにくい。衣食住だけは一般水準で、さらに十代であるじぶんの方が、このアンケートに相応しいのではないか。

 「あいつよりオレのが若いし常識あるし、『あのひと』に近いとこツクと思うよ? そうだなぁオレだったら、」

 そう考え、気を遣ったつもりの提案は、

 「あ、わたしは、くじらさんに依頼してるんで」

 能面のような表情かおで却下されたのだった。



 好きなもの、


 トレーに散らばった、油の浮いたポテトに目を落とす。

 ずっと、ゴミを漁りスーパーで盗んだなにかを食っていた。

 『一流の泥棒』となったいまだって夜は学食、昼はコンビニだ。

 『かのひと』の好きなものなんて、提案できるはずない。


 なんて答えたんだ?


 「学食のワカメうどん」

 真顔で答える朧月がどこまで本気なのか、わからなかった。



 「ユリちゃん。報酬、受け取ったからにはオレにも仕事させてよ」


 調子にのっている朧月が、容易に想像できた。

 三日でさよならの彼女たちは求めるだけ求めて去っていく。

 パートナーはツンデレらしく、いや『ツン』らしく、贈り物などもらった試しがない。

 孤独な殺し屋を買収するのに、お洒落クッキーにはかなり効果があったってことだ。


 「あのオバサン、意地悪なこと、いってきたんでしょ?」

 オレのまえではいいにくいことがあったと、朧月は踏んだらしかった。

 「あのひと、くじらさんを知ってるんですか?」

 「そうね。だけどあいつはあのオバサンを覚えてない」

 「だれですか? あのオバサン」

 「定時制の、スクールソーシャルワーカーなんだ」

 「そうなんですか!」



 そうなのか!?


 まさかの先生だった。

 学校の職員にも、オレは関心がなかった。

 「この四月から。女の子を弄ぶなとか、うるさいんだ。ちょうどいい機会かなと思って、」


 ロウ、


 嗜めようとして、

 「オレ、女の子とセックスなんか、しないんだけどな」

 スマートフォンの待受画面にキスを落とす朧月に、ことばを呑み込む。そこに、朧月とおなじ曇天のをした、生真面目そうな少年がいるのを知っていた。



 「スクール、そのスクールなんとかだかなんだか知りませんが、いっていいことと悪いことがあります!」

 「あ、やめて、」

 怒ったユリちゃんがこんどは、胸をぽかぽか叩いてくる。お友だちさん、じつはけっこう嫌われてるんじゃないのか。

 「ものだけじゃなくて女子の貞操だって盗むのよ、とかいうんですよ、バカみたい。テーソーだって、バカみたい」

 「だねぇ」

 どうやらユリちゃんは、わりと口も悪いらしい。

 「付き合って別れて、を繰り返す男子が定時にいるらしくて」

 「それはひどいな!」

 「くじらさんもおなじだとかいうんですよ」



 おい!


 飛び火だろうが! ってオレを朧月が手で制する。



 「ごめんね、ユリちゃん。定時制のセンセが、イヤな思いさせちまったね?」

 なんなら、って、朧月がユリちゃんの手を掴んでとめる。流し目で誘う。

 「オレ、上手にひと、殺せるよ? オレがあのオバサン、海に沈めといてあげようか」



 おまえっ、余計なことをっ、


 オレが蒼くなるのに、朧月はくつくつ愉快そうだ。

 「せっかくだったのになぁ。オレのでる幕じゃ、なかったわ」



 「遊ばれてるとか、そういうのが望まない妊娠につながるとか、いってくるんですよ!」

 けれどそんなワルい子の誘いに気づくような、いや、乗じるようなユリちゃんじゃない。朧月の手をふり払ってなお喚くのをやめなかったらしい。

 「だいたい!」

 そう、ユリちゃんは耳まで真っ紅にして声を高くした。

 「望まないって、なんですか!」

 朧月の、きっと、オレも、知らないユリちゃんだった。


 「望まれない赤ちゃんなんか、いませんよ!」



 「あは、」

 半端に笑ったまま、曇天の目がぼんやり、宙を彷徨う。

 「だってさ」


 『望まない妊娠』


 の、裏に、


 『望まれない子ども』


 が、いる。


 一日、何百人の子どもが胎をでずして殺されるのか。

 大人に成るまえに、殺されるのか。


 生き残ったとして、このざまだ。


 朧月はニンゲンを憎んでニンゲンを殺すし、

 オレは世間を恨んで世間から奪う。


 世間から弾かれたオレたちは、

 『望まれない子ども』

 に、違いなかった。



 「オレも? 望まれたのかな」

 そう、朧月はユリちゃんに、訊いていた。

 「はい、わたしに」

 「ユリちゃんに?」

 「お友だちさんにはなにかとお世話になってますし、これからもお世話になる予定ですし」

 「あいつも?」

 「くじらさんには一生お世話になりますし」



 ちょっと待って。これからってなに? あと一生ってなに?


 あわてるオレに、パッ、と、朧月の視線が戻ってくる。ワルい目だ。

 「でさ、ユリちゃんがいったんだ」



 「だからわたし、教えてやったんですよ! オバサンに!」

 腰に手をつき顎を斜め上に上げて、ユリちゃんはいい放ったのだという。それはもう、誇らしげに。

 「くじらさんは童貞ですからっ、て!」



 ちょっと待て! ちょっと待ておかしいだろっ!


 ガンッ

 思わず椅子を蹴倒して席を立つ。


 ちょっと待てなんだそれはっ!


 「どーてー!」

 オレの反応に、朧月が腹を抱えて笑い転げ、文字通り椅子から転げ落ちる。

 新聞を広げたおじいちゃんがチラチラ、こっちを見てくるのも構っちゃらいられない。


 どうしてっ! ユリちゃんがそんなことを! 知っているんだっ!


 「思うんだけどさ、」

 朧月は碌なことを思いつかない。

 「おまえ、ユリちゃんにストーカーされてるんじゃないか? だから傘、盗るのも見られたんだっ!」


 笑うところじゃないだろう!


 「ユリちゃんを疑ったらあとがこわそうだからさ」

 朧月が愉快そうに目を細める。

 「依頼人はべつにいるってわけだ」

 理屈になってないけれど、そういうことにしておくのがきっと、身のためだろう。

 「おまえが逗子高定時の生徒で、毎日五時に食堂で飯を食い、ついでにかわいい女の子と会っている。ってことを、」

 なるほど。

 「知っているだれかが」


 調べたのか


 「調べる必要なんかない」


 朧月、


 ただ『オトナだから』ってだけで朧月はひとを殺す。

 あのオトナは気に食わない、って、朧月は直感だけで頸を突いてしまうことがままあった。

 「オレにはわかるんだよ、あれはヤバいオトナだって」などといって鼻を鳴らす。それから決まって、なにかに傷ついた表情かおをする。

 ふたつ下の、まだ少年が、ヤバいオトナのためにそうやってじぶんを傷つけるのをこれ以上は見たくなかった。


 「違うよ、思いだしたんだ。あのオバサン、いつだかオレにいったんだ。あなたも『アサダ』に依頼しているのか、って」


 アサダ、


 記憶の端にも掠らない。

 「ユリちゃんのはなしを聴いて、思いだしたんだよね。あの弁護士事務所、清水・浅田法律事務所、っていったろ?」


 そうだったか?


 やっぱり、思いだせるものはない。

 「女の子を妊娠させちゃった野郎どもの弁護を、請け負ってたんじゃないかな」


 最低だな


 「最低だよ。で、これは調べたぜ? いずれにしてもあのオバサンは殺るつもりだったし。そんな顔するなよ、あれはヤバい。オバサンはホワイトリボン団体の代表者さまだったよ。うちのSSWは、偉いひとだった」


 ホワイトリボン?


 「女の子の権利を守る。『望まない妊娠をゼロに』」

 世間さまには、受けがよさそうな活動に思える。

 「なかでも過激な団体だ。不埒で無責任な野郎どもを社会的に、制裁してまわってる。事務所からそいつらのリストを手に入れようとして、で、おまえに依頼したんじゃないかな」


 そうか


 過激。なかなか大胆ではある。

 ふつうの感覚では、日常的に顔を合わせる関係者に、ましてや『生徒』に窃盗の依頼はしないだろう。窃盗は立派な犯罪だ。

 密告されるだとか、それをネタに脅してくるだとか、考えなかったのだろうか。いや、考えた結果、これか。

 ここ数日の襲撃。そして、


 ユリちゃんが危ない?


 いまやユリちゃんにまで接触しようとしている。

 「いつ巻き込まれてもおかしくない」

 なるほど。オレを消すためにユリちゃんを利用しようと? 人質とかそういう、小説にありそうなやつか。

 「違うってば、はは!」

 楽しくて仕方がない、みたいに朧月がテーブルを叩く。ユリちゃんの手癖が移ったのかも知れない。

 「ユリちゃんが! おまえを侮辱したオバサンを、殺っちまうかもってはなしだよっ!」


 っ、


 息を呑み目を閉じる。

 なるほど。

 それは確かに、さっさと片した方がよさそうだ。



 って、狭いテーブルに広げだしたのがこのメモだ。

 朧月の字じゃない。細くてきれいで少し右斜め上に傾いている。

 「アオによるとさ」

 パートナーに相談したのか、すまないアオくん。待受画面のアオくんに、胸の内で謝る。

 「アドレナリンがでて、瞳孔が開くんだって」


 え、女子こわ


 「で、ある日突然、キレイになる。恋をするとキレイになる」


 え、なんだその魔法、女子こわ


 ちなみにユリちゃんはすでに十分、かわいい女子高生だった。一般論で。そう、一般論で。


 「それから、やたら料理とかお菓子づくりとかはじめる。なんでかわかるか?」


 花嫁修行、


 「胃袋を掴まれた男は、逃げられないんだ」


 え、女子こわすぎる


 「ユリちゃんは『あのひと』に、あの弁当を渡してるだろ?」


 それだ。

 またあのオンショアが、胸に吹く。

 ユリちゃんの気持ちに気づかず、もしから気づいていて、あのお弁当を受けとっている野郎が、いるはずなのだ。


 弁当持参率ゼロに等しい定時制生徒がお弁当など広げていればそれだけで目立つ。ただそれだけで、『かのひと』などすぐ特定できるはずだった。 

 はずだった、のに。

 ユリちゃんの『かのひと』は、一向に現れる気配がない。そのあいだにも、ユリちゃんの惚気を聞かされ、アクセサリーやネイルとやらの感想を求められ、果てはお弁当のアンケートにまで協力させられる。

 期限は刻々と迫るのに、ハートを盗むどころかターゲットさえ特定できない。


 おかしい、


 オンショアの風に胸がざわつく。


 「駅前セブンを愛用」

 「ユリちゃんの目がきらきらする」

 「ユリちゃんが弁当を渡す」

 「ユリちゃんのストーカー被害にあっている」


 「あのさ、」

 朧月が顔を上げる。

 「おまえ、傘、盗むの見られてたよな」


 人聞きが悪い、泥棒が依頼もなくものを盗むわけないだろう。あれはお会計を忘れただけだ。そう、忘れただけ、って、あれ?


 朧月と目が合う。

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