第4話 天使の汚部屋

「──おじゃまします……って、これは想像以上だな」


 玄関のドアを開けて一歩踏み込んだ瞬間、俺は思わずそう呟いた。


 目の前に広がっていたのは、少女らしさゼロの、完全なる“配信者の巣”。


 床にはコードとヘッドホンと食べかけのポテトチップスの袋。

 リビングの隅には、段ボールごと積まれたエナドリの箱。

 そして机の上には──半分以上飲み残したペットボトルの山。


「ちょっと、あんまりジロジロ見ないでよ。片付けてから呼べばよかったなって思ってるから……!」


 バタバタと走り回って、あちこちを片付け始めるしずく。

 けれどその姿は、あまりに不器用で、コードを足に引っかけてよろける始末。


「……ほら、だから言ったじゃん。お前、誰かがいないと生きてけないタイプだぞ」


「うう……だから今、蓮くんに来てもらったんじゃん……」


 そう言って、しずくはそっとこちらを振り返る。


 


 ──星野しずく。


 学校では“完璧”な優等生美少女。

 配信では“清楚で癒し系”の人気Vtuber・雪白みるく。


 でも本当は、こうやってジャージ姿でだらしなく部屋を散らかして、

 冷蔵庫に食べ物が何もなくて、生活リズムもぐちゃぐちゃで──


 俺だけが知っている、しずくの“素顔”だ。


 


「ほら、先に配信機材のセッティングするから、お前はその辺まとめとけ」


「え、手伝ってくれないの?」


「一人でやれることは、自分でやれ。ほら、ほこりすごいぞ、ここ」


「うぅぅ……圧が家庭的……」


 


 ソファの上のジャージをどけて座ると、なんとも言えない疲労感に襲われた。

 まるで家族の世話してる気分だ。俺は恋人でもなんでもないのに。


 


 ……それでも。


 俺は、しずくの“ダメなところ”が嫌いじゃない。

 むしろ、可愛いと思ってしまっている自分に、ちょっと戸惑っている。


 


「……なぁ、しずく」


「ん?」


「配信ってさ、お前にとってどういうもんなんだ?」


「どうって……うーん」


 しずくは、手を止めて、少しだけ考えるような顔をした。


「……“ちゃんとした私”になれる場所、かな」


「ちゃんとした?」


「うん。学校でも、家でも、私はどこか抜けててダメだけど──

 配信では“雪白みるく”っていう完璧な存在でいられる。だから、好きなんだ」


 


 その言葉は、どこか少しだけ寂しそうで──でも、まっすぐだった。


 


「……でもね」


 しずくがこちらを見て、ぽつりと言った。


「蓮くんの前だけは、ちゃんとした私じゃなくても、許される気がする」


「……」


「だから……また来てくれて、ありがとう」


 


 心臓が、ひゅっと音を立てた気がした。


 


「……なんでそんな可愛いこと言うんだよ、お前」


「えっ、今の言い方、可愛かった!? うわ、恥ずっ……!」


「自覚ないのかよ……」


 まったく、こいつは。


 俺の頭の中は、今にも湯気が出そうだった。


 


 ……そのあとの配信は、いつも通り息ぴったりで。

 コメント欄には「夫婦感強すぎ」「距離感バグってる」と相変わらずの感想が並び──


 だけど、配信が終わって、マイクを切ったあと。


 


 しずくが、ふわっとソファに身を預けて、ぽつりと呟いた。


 


「ねぇ、蓮くん。私たち、今どんな関係なんだろうね?」


 


 ──その答えは、まだわからない。


 だけど確かに、他の誰とも違う、特別な関係になりつつあることだけは分かっていた。

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