其の三 『ああ、こういう展開は嫌だ』
昼休み、男子生徒達がパンを目当てに群がっている購買所を横目に胡桃子は保健室へ向かいました。今日こそは知恵乃に恋の相談をしようと強い意志を持ちながら。
「智原せんせ……」
胡桃子が保健室の扉を開けると、目の前に知恵乃が立っていたので驚きのあまり胡桃子は大きな声を出してしまいました。
「ああ」
「きゃ……あ、圍先生」
当然ながら知恵乃も驚きましたが、すぐに冷静になり話しかけようとしました。ですが、胡桃子は瞬時に扉を閉めました。そして数秒後、再び扉を開けて胡桃子は先程と同じよう大きな声を出してきました。
「ああ」
「圍先生、え……どういうこと?」
ピシャッと強めに閉められる扉に知恵乃は焦り、扉一枚の向こう側に静かに話しかけました。
「圍先生、すみません。タイミングが重なってしまっただけであって、驚かせようとしたわけではないですよ」
「……ああと言えば」
扉の向こうから小さな声で胡桃子が何かを言っているので、知恵乃は腕を組みをして、しばらく考えました。
胡桃子は大人であり教師でもあるのにも関わらず子供のように突然思いついたことをする癖があることを知っていた知恵乃はこれが何かの遊びか暗号だと気づき、扉を開けると大きな声を出している胡桃子の声よりも大きな声で対抗してみることにしました。
「ああ」
「あああー」
これが正解ならば胡桃子も更に大きな声で対抗してくるはずと考えたからでしたが、無情にも扉は閉められました……扉を閉める時の胡桃子の死んだような目に知恵乃は少なからず恐怖を感じました。
「圍先生、顔、顔。ゾンビみたいになってますけど大丈夫ですか?」
胡桃子からの返事は相変わらずありませんでした。
このままでは無限ループ地獄になりかねない恐怖。
知恵乃はこの現状から逃げ出したくて、保健室の窓から出ようとも考えましたが、胡桃子が純粋な心の持ち主であることも知っているので裏切り行為はしたくなかったのでした。
ですが、このまま保健室から出れずに餓死したとのニュースが流れる映像が頭の中をぐる~んと巡り背筋が凍りついた知恵乃は必死に考えました。
「圍先生、そう言えば私に相談があるって保健室によく来ますよね。結局いつも相談せずにティータイムで終わりますけど……」
基本は無言ではあるものの時折、胡桃子が「ああと言えば」とボソボソと言っていることに、知恵乃はそれがヒントであることに気付きました。
「もしかしたらですけど、あれでいいのかな? 試さず後悔するよりも試すべし……ですね」
扉の開け閉めと胡桃子の大声による無限ループ地獄から開放されるかもしれない期待と不安が半々な気持ちで胡桃子が待つ扉を開けました。
三十二回目、たかが三十二回目かも知れません。だけど一分毎に繰り返された胡桃子の奇怪な行動、死んだような目と
「ああ」
「こう」
「智原先生、今日も相談に」
今までの奇怪な行動がまるで無かったかのように胡桃子は普段通り知恵乃に話かけてきました。
お昼ご飯も食べずに奇怪な行動に付き合わされたのですから、普通なら怒りだしても仕方ない場面でありましたが、知恵乃は心優しい人間だったこともあり、何も問題にしませんでした。
「圍先生、今日はもう時間がありませんから一杯のお紅茶を飲んだらお戻りくださいね」
「あれ、変だな? もうそんな時間でしたか」
胡桃子と知恵乃はお互いの顔を見ながら保健室の入り口でお腹を抱えて笑いあいました……しかし、そんな知恵乃の視界に入ってきたのは眉を吊り上げた教頭先生でした。
この後、二人は「大人が大騒ぎするんじゃない」と教頭に叱られました。
知恵乃は両手で顔を覆いながら、胡桃子の相手をせずに保健室の窓から抜け出しておけば良かったと思ったのでした。
よって、今回は胡桃子の「ああ言えばこう言う」合言葉ごっこに知恵乃が無駄な時間を要しただけで終わりました。
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