第十四話:最後の戦い【中編】

「考えるのはやめだ! ただ、殴る!」


ライガの咆哮が、神殿に響き渡る。

それは、敗北を認めた者の言葉ではなかった。自らの原点、その本質へと、立ち返るための、決意表明だった。


「うおおおおおおっっ!!」


ライガが、再び、変貌した調律者へと突進する。

その動きは、先ほどまでとは、まるで違っていた。防御も、回避も、フェイントも、全てを捨て去った、ただ、前へ進むためだけの、直線的な動き。

調律者は、その単純な突撃を嘲笑うかのように、空間を歪ませ、ライガの背後へと回り込んだ。


「無駄だと言っている」

調律者の拳が、ライガの無防備な背中へと叩き込まれる。


しかし、ライガは、その攻撃を、全く意に介さなかった。

彼は、自らの背中の筋肉を、極限まで硬化させることで、その衝撃を、無理やり受け止めたのだ。そして、振り返りもせず、そのまま、後方へと、渾身の裏拳を叩きつけた。


「お前がどこにいようと、関係ねえ! 俺の仲間は、俺の後ろにいる! だから、俺は、前にも後ろにも、同時に拳を叩き込めるように、筋肉を鍛えてきたんだよ!」


調律者は、その野生の勘と、あまりにも馬鹿げた理屈の反撃に、僅かに目を見開く。

空間を歪ませて攻撃を回避するが、その一瞬、彼の動きが止まった。


その好機を、レギウスが見逃すはずがなかった。


「そこだ!」


レギウスの体が、消えた。

いや、彼もまた、思考を捨て、自らの肉体が導き出す、最短、最速の答えに、その身を委ねていたのだ。

調律者が、次の攻撃を繰り出すよりも早く、その懐へと潜り込むと、レギウスは、鍛え上げた肉体の全てを、一つの連続技(コンビネーション)へと昇華させた。


腹部への掌底、顎へのアッパーカット、そして、がら空きになった胸への、渾身の正拳突き。

その全てが、調律者の硬い甲殻を、ミシミシと軋ませ、その巨体を、初めて、大きく後退させた。


「ぐ……おのれ……!」

調律者が、初めて、苦悶の声を漏らす。


「どうやら、君の『理』とやらは、我々の筋肉の『本能』には、追いつけないらしいな」

レギウスは、静かに、しかし、確かな手応えを感じていた。


この二人にとって、戦術や理論は、あくまで、自らの筋肉を、最も効率的に運用するための、補助的なツールに過ぎない。

その本質は、ただ、ひたすらに、目の前の敵を、打ち砕くこと。

その原点に立ち返った時、彼らの力は、理論や予測といった、小手先の理屈を、遥かに凌駕する。


「調子に乗るなよ、下等な生命体が!」

調律者が、怒りに咆哮する。

彼の体から、禍々しい混沌のオーラが、嵐のように吹き荒れた。神殿全体が、その魔力に耐えきれず、激しく揺れる。

天井から、巨大な瓦礫が、雨のように降り注いできた。


「セレン殿!」

レギウスが叫ぶ。


セレンは、後方で、ただ、震えていることしかできなかった。

次元が違う。

二人の戦いは、もはや、彼女が理解できる範疇を、完全に超えていた。

瓦礫が、彼女の頭上へと、迫る。


(もう、ダメだ……)


彼女が、死を覚悟した、その時だった。


ドゴォォンッ!


ライガが、彼女の前に立ちはだかり、降り注ぐ瓦礫の全てを、その拳で、粉々に砕いていた。

「嬢ちゃん! 俺たちが戦ってる間、てめえは、てめえの戦いをしろ!」

彼は、振り返りもせずに、叫んだ。


「私の……戦い……?」


「そうだ!」

今度は、レギウスの声が響く。

「我々は、目の前の敵を倒すことしかできん! だが、君には、君にしかできないことがあるはずだ! 思い出せ、セレン殿! 君の『楔』の力を!」


二人の言葉に、セレンは、はっとした。

そうだ。私は、ただ、守られているだけじゃない。

私には、私の役目がある。


セレンは、目の前の、巨大な黒い球体――『厄災』の封印を、強く、強く、睨みつけた。

調律者との戦いの余波で、封印を縛る光の鎖が、今にも、完全に、砕け散ろうとしている。


(私が、これを、止めなきゃ……!)


セレンは、ふらつく足で立ち上がると、その封印へと、両手を差し伸べた。

そして、自分の血に眠る、全ての力を、解放する。

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