第十四話:最後の戦い【前編】
試練を乗り越え、マッスル・ラックの三人は、ついに神殿の最深部へと続く、最後の扉の前に立った。
彼らが近づくと、扉は、まるでその資格を認めたかのように、自ら、ゆっくりと、重々しい音を立てて開いていった。
扉の奥は、巨大なドーム状の空間だった。
神殿の、心臓部。
そして、セレンは、目の前の光景に、言葉を失った。
空間の中央には、巨大な黒い球体が、不気味な脈動を繰り返しながら浮かんでいる。その周囲を、幾重にも、光り輝く鎖が、まるで戒めのように縛り付けていた。
しかし、その鎖の多くは、すでに砕け散ったり、その輝きを失って、弱々しく明滅したりしている。
あれが、『何か』を封じ込めている、大本の封印。
そして、その封印の前で、一人の男が、天に向かって両手を広げていた。
天空の遺跡で、街で、三人の前に現れた、あの漆黒のローブの男。
彼の足元には、彼が率いていたのであろう、組織の信徒たちが、全員、命の光を失って倒れている。彼らの生命力は、全て、男一人へと注ぎ込まれ、儀式の触媒とされていたのだ。
「……来たか」
男が、ゆっくりと振り返る。
その顔は、もはやフードで隠されてはいなかった。しかし、そこに、人間的な感情は、もはや一切残っていなかった。
「よくぞ、ここまでたどり着いた。我が『理』を、その原始的な力で捻じ曲げてきた、好敵手たちよ」
その声は、平坦でありながら、空間全体を震わせるほどの、異様な響きを帯びていた。
「てめえが、親玉か!」
ライガが、拳を固めて前に出る。
「儀式は、もうすぐ終わる」
その男――『調律者』は、ライガの敵意など意にも介さず、愉しげに続けた。
「この封印が完全に解かれた時、世界は、真の混沌へと還り、そして、新たな理の下に『調律』される。私は、その瞬間に立ち会う、唯一の存在となるのだ」
「させるかよ!」
セレンが叫ぶ。
「残念だが、もう、君たちにそれを止める術はない」
調律者は、そう言うと、自らの胸に、そっと手を置いた。
「だが、最後の客人のために、最高の余興を用意しよう。この、新しい世界にふさわしい、神の力を、その目に焼き付けるがいい」
調律者の体が、にわかに膨張を始めた。
彼が吸収した、信徒たちの生命力、そして、砕け散った封印から漏れ出す、混沌のエネルギー。その全てが、彼の肉体を、人の形を留めない、おぞましい怪物へと変貌させていく。
筋肉が、異常に隆起し、皮膚は、黒い甲殻のように硬化する。背中からは、禍々しい翼が生え、その瞳は、純粋な破壊の光を宿していた。
魔術の『理』と、混沌の『力』が融合した、最後の敵。
「さあ、始めよう。世界の終わりを告げる、最終楽章を」
変貌を遂げた調律者が、地を蹴った。
その動きは、レギウスの速さとも、ライガのパワーとも違う、異質なものだった。空間そのものを歪ませ、距離の概念を無視したかのような、瞬間移動に近い動き。
「なっ!?」
ライガの目の前に、突如として現れた調律者の拳が、その屈強な腹筋にめり込む。
「ぐ……はっ……!」
ライガの巨体が、いとも簡単に、くの字に折れ曲がり、後方へと吹き飛ばされた。
「ライガ!」
セレンが悲鳴を上げる。
「小手先の筋肉など、我が『理』の前では、児戯に等しい」
調律者は、次なる標的を、レギウスに定めた。
レギウスは、冷静に、しかし、これまでにないほどの集中力で、敵と対峙する。
だが、敵の攻撃は、予測ができない。いや、物理法則を、無視しているのだ。
右から放たれたはずの拳が、左から現れる。上から振り下ろされた蹴りが、地面から突き上げてくる。
レギウスもまた、その法則を無視した攻撃の前に、受け身に回るしかなかった。彼の完璧な筋肉制御と、戦闘理論が、全く通用しない。
「どうだ、理解できたかね? これが、君たちの『力』の限界だ」
調律者は、二人を圧倒しながら、嘲笑う。
「これが、神の力だ」
吹き飛ばされたライガが、瓦礫の中から、咆哮を上げて立ち上がった。
「……面白い。やってくれるじゃねえか……!」
彼の瞳には、絶望ではなく、好敵手に出会えたことへの、喜びの光が宿っていた。
「レギウス! こいつの理屈は、よく分からん!」
ライガは、叫んだ。
「だから、考えるのはやめだ! ただ、殴る! いつも通りな!」
「……うむ。それが、今の我々が出せる、唯一にして、最善の解のようだ」
レギウスもまた、頷いた。
二人は、再び、並び立つ。
傷だらけになりながらも、その闘志は、衰えるどころか、ますます燃え上がっていた。
小手先の技術が通用しないのならば、ただ、ひたすらに、純粋な、圧倒的な『力』で、敵の『理』そのものを、粉々に砕くまで。
マッスル・ラックの、本当の、最後の戦いが、今、始まろうとしていた。
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