第十話:脈打つ天空闘技場【後編】
迷宮が、三人に牙を剥いた。
それまでの無意識な脈動とは違い、壁は三人の動きを予測し、退路を断つように動く。床の突起は、着地点を狙って突き出し、天井の触手は、死角から的確に襲いかかってきた。
「ぐっ、こいつ、俺の動きを読みやがった!」
ライガが、迫ってきた壁を殴りつけた反動を利用して、別の壁に叩きつけられそうになる。
「ダメです、さっきまでのようにはいきません!」
セレンも、必死に次の動きを予測しようとするが、その思考すら、迷宮に読まれているかのようだった。
「ふむ。どうやら、対話は決裂したようだ。ならば、次の段階に進むしかない」
レギウスは、迫りくる無数の触手を、最小限の動きでいなしながら言った。
「次の段階って……なんですか!?」
セレンが叫ぶ。
「『筋弛緩法』および『矯正』だ」
レギウスは、至って真面目な顔で答えた。
「この迷宮の乱れた筋肉の記憶(メモリ)を、我々の手で、正しき流れへと導く」
「つまり、どういうことです!?」
「要は、言うことを聞かねえなら、言うことを聞くまで、もっとめちゃくちゃにぶん殴るってことだろ!」
ライガが、レギウスの言わんとしていることを、彼なりに解釈して叫んだ。
「まあ、大筋では間違っていない」
レギウスは頷くと、作戦を伝えた。
「ライガ、君は陽動を。その圧倒的なパワーで、この迷宮の注意を一身に集めろ。その隙に、私がセレン殿を連れて、あの中枢(コア)へと到達する!」
「おうよ、任せろ! 暴れりゃいいんだな、得意分野だぜ!」
ライガは、咆哮と共に、再び迷宮の壁へと殴りかかった。しかし、今度は、ただやみくもに殴るのではない。周囲の壁、床、天井、その全てを、凄まじい勢いで破壊し始めたのだ。
彼の狙いは、迷宮の「思考」を、その破壊の渦で飽和させ、混乱させることだった。
迷宮は、その狙い通り、全ての機能をライガの排除へと集中させる。壁が、触手が、突起が、嵐のようにライガ一人へと殺到した。
「はっはっは! 来いよ、全部まとめて相手してやるぜ!」
その隙を、レギウスは見逃さなかった。
「行くぞ、セレン殿!」
彼は、セレンを軽々と抱え上げると、ライガが作った僅かな安全地帯を縫うようにして、迷宮の中心、脈打つ巨大な心臓部(コア)へと、一直線に駆け抜けた。
コアの目前にたどり着いたレギウスは、セレンを降ろすと、その巨大な肉塊の前に立った。
コアは、最後の抵抗とばかりに、表面の膜を硬化させ、レギウスを拒絶する。
「ここが、この迷宮の全ての筋肉を束ねる『神経叢』だ。今から、ここに正しい刺激を与える」
レギウスは、そう呟くと、その硬化した膜の上から、両の手で、まるでマッサージを施すかのように、ゆっくりと圧力をかけ始めた。
「まずは、表層筋群の過剰な緊張を解きほぐす。呼吸を合わせろ、迷宮よ。吸って……吐いて……」
彼の動きに合わせて、巨大なコアの脈動が、ほんの少しだけ、穏やかになる。
「次に、深層筋へのアプローチだ。ライガ!」
レギウスが叫ぶ。
迷宮の反対側で、無数の攻撃を受けながらも耐えていたライガが、ニヤリと笑った。
「おうよ! 任せとけ!」
ライガは、足元の床、いや、迷宮の「腹直筋」とでも言うべき部分に、全ての力を込めた拳を、深く、深くめり込ませた。
「筋肉への、衝撃(インパクト)だあああっ!!」
ライガの一撃によって、迷宮全体に、巨大な衝撃波が走る。
その衝撃が、コアに到達する、まさにその瞬間。
レギウスは、コアの中心、最も脈動の激しい一点に、正確無比な貫き手を突き立てた。
「――『矯正完了』だ」
その言葉と共に、巨大なコアは、一度、大きく、そしてゆっくりと脈打った。
すると、あれほど激しく、敵意に満ちていた迷宮の全ての動きが、ぴたり、と止んだ。
壁は、もう動かない。触手は天井へと収縮し、床の突起も、地中深くへと消えていった。
コアの不気味な赤黒い光は消え、穏やかで、温かい、生命の光を放ち始めた。
「ふぅ、いい汗かいたぜ。で、治ったのか? こいつ」
ボロボロになったライガが、レギウスの元へ歩いてくる。
「うむ。これで、この迷宮の筋肉は、しばらく安定するだろう。我々の『施術』は成功だ」
レギウスは、満足げに頷いた。
セレンは、その光景を、ただ呆然と見つめていた。
彼らは、ダンジョンを攻略したのではない。治療したのだ。暴力的なまでに、物理的な方法で。
その時、鎮まったコアの向こう側で、これまで隠されていた、新たな扉が、ゴゴゴ……と、重々しい音を立てて、ゆっくりと開き始めた。
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