第七話:忍び寄る影とセレンの秘密【前編】

人間カタパルトという、前代未聞の方法で天空の遺跡にたどり着いたマッスル・ラック一行。

依頼主の学者は、後から普通の(ただし非常に高価な)魔法の昇降機で合流し、今は遺跡の入り口で部下たちと拠点を設営している。セレンたちは、先行調査隊として、本格的に遺跡の内部へと足を踏み入れていた。


「すごい……」


セレンは、カンテラの光に照らされる回廊を歩きながら、感嘆の声を漏らした。

遺跡の内部は、外から見た印象よりも遥かに広大で、そして美しかった。壁や床は、地上では見たこともない、ほんのりと光を帯びた石材で築かれている。空気は清浄で、どこか澄んだ竪琴の音色が聞こえてくるような、不思議な静寂に満ちていた。


「ふん、床がふわふわしてやがる。これじゃあ踏ん張りが効かねえな」

ライガは、特殊な石材の感触が気に入らないのか、不満げに鼻を鳴らした。


「いや、この石材は、内部に微細な空洞を作ることで、衝撃を吸収し、分散させる構造になっているようだ。城壁の建材として用いれば、投石や破城槌の威力を大幅に減衰させることができるだろう。実に合理的な建築技術だ」

レギウスは、建築学的な見地から遺跡を分析している。


三人が進んでいくと、やがて巨大な扉の前にたどり着いた。これまでの遺跡と同じく、扉には複雑な文様が刻まれている。


「またこのパターンですか……」


セレンはため息をついた。レギウスの「筋肉対話」が再び始まるのかと思ったが、今回は様子が違った。

扉の中央には、手のひら型の窪みがあったのだ。


「これは……」


セレンがそれに気づいた瞬間、彼女の胸の奥で、何かが小さく、しかし確かに共鳴するような感覚があった。


「セレン殿、どうかしたか?」

「いえ……なんだか、この扉……懐かしいような気がして」


セレンは、吸い寄せられるように扉の前に立つと、おそるおそる、その窪みに自分の右手を当てた。


その瞬間。

窪みから淡い緑色の光が溢れ出し、扉に刻まれた文様が、まるで血管に血が通うかのように、次々と光の線を走らせていく。

そして、数千年の沈黙を破り、重々しい音を立てて、扉がゆっくりと内側へと開いていった。


「……開いた」

セレン自身が、一番驚いていた。


「なるほど。この遺跡は、特定の血族の者にしか、その中枢への道を許さないということか」

レギウスは、セレンの緑色の髪を一瞥し、静かに言った。

「君のその髪の色、そしてその力……やはり、ただの偶然ではなさそうだな」


扉の奥は、遺跡の中でも最も重要と思われる、巨大なドーム状の広間だった。

部屋の中央には、巨大な一枚岩から削り出されたかのような、漆黒の石版が静かに鎮座している。部屋には他に何もなく、その石版だけが、圧倒的な存在感を放っていた。


石版には、無数の古代文字と、抽象的な絵がびっしりと刻まれている。それは、この天空の民の歴史そのものを記した、巨大な記録媒体のようだった。


「これさえ解読できれば、天空の民の謎が解けるかもしれません!」

セレンは興奮気味に石版へと駆け寄った。


しかし、そこに刻まれた文字は、これまで彼女が学んできたどの古代文字とも異なっていた。絵もまた、抽象的すぎて、何を表しているのか読み解くことができない。


「くそっ、さっぱり分からねえな」

「うむ。我々の知識では、解読は困難を極めるだろう」


三人が石版を前にして頭を悩ませていた、その時だった。

セレンは、再び胸の奥で、あの奇妙な共鳴を感じた。石版が、まるで自分を呼んでいるかのように感じられたのだ。


彼女は、無意識のうちに、そっと石版の表面に触れた。


その瞬間。

セレンの脳内に、膨大な情報が、濁流となって流れ込んできた。

それは、言葉ではなかった。映像でも、音でもない。感情、記憶、そして意志の塊。数千年の時を超えた、天空の民の「記録」そのものだった。


――世界を飲み込もうとする、巨大な厄災。

――天から降り注ぐ、絶望の雨。

――厄災を封じ込めるため、自らの命を楔とした、一族の姿。

――その一族の者たちが皆、持っていたという、翠色の髪。


「あ……ああ……っ!」


セレンは、頭を押さえてその場に崩れ落ちた。

これは、ただの歴史の記録などではない。自分の、自分たち一族の、遠い遠い、血の記憶だ。

自分の不運も、雨を呼ぶ体質も、全ては、この血に刻まれた「楔」としての宿命に起因するものだったのだ。


セレンが、あまりにも衝撃的な事実に意識を失いかけた、その時。


カツン、と。

静寂な広間に、場違いな靴音が、一つ響いた。


三人が弾かれたように振り返ると、広間の入り口、開かれた扉の向こうの闇の中に、一人の人影が立っていた。


「……ようやく、見つけましたよ」


闇の中から現れたのは、漆黒のローブを身にまとった、一人の男だった。その顔はフードで隠れて見えないが、その声は、まるで氷のように冷たく、感情が感じられなかった。


「『最後の楔』の末裔よ」


男は、ゆっくりと、セレンに向かって歩き始めた。

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