第五話:湖の主と水圧トレーニング【前編】
古代遺跡の発見という思わぬ大金星により、セレンの懐は、生まれて初めてと言っていいほど潤っていた。
祝杯を挙げた翌日、三人は正式な手続きのため、再び冒険者ギルドを訪れていた。
「……以上で、パーティー『マッスル・ラック』の登録は完了です。皆様の今後のご活躍を期待しております!」
受付嬢の営業スマイルが、どこか引きつっているように見えるのは気のせいだろうか。
セレンは、自分たちのパーティー名が、この先ギルドでどのように呼ばれるかを想像して、今から頭が痛かった。
「よし! パーティー結成第一号の仕事は、やっぱデカいモンスター退治だよな!」
ライガは、依頼が張り出された掲示板の前で、すでにやる気満々だ。
「いや、まずは着実な依頼をこなして、パーティーとしての信頼を築くべきだろう。我々の戦闘スタイルは、時に周囲に大きな影響を及ぼす可能性があるからな」
レギウスは、冷静に自分たちのことを分析している。彼らが本気を出せば、遺跡の一つや二つは簡単に崩壊することを、身をもって学んだばかりだ。
「そうですよ! まずは、呪いのアイテムとか、遺跡が崩れるとか、そういうのが無い、ごくごく普通の依頼がいいです!」
セレンは、心からそう願っていた。もう、命がけの脱出劇はこりごりだ。
三人は、掲示板に張り出された無数の依頼書に目を通していく。
「森の薬草採取」「ゴブリンの斥候部隊の討伐」「商隊の護衛」……。
どれも、冒険者の仕事としてはごくありふれたものだ。その中で、セレンは一つの依頼書を見つけた。
「『湖の主、巨大ナマズの討伐』……これなら!」
依頼主は、湖畔の村の漁業組合。最近、湖に巨大なナマズが住み着き、魚を食い荒らすだけでなく、漁の小舟を転覆させる被害が出ているらしい。危険度もそこそこで、報酬も悪くない。何より、モンスターの討伐という、非常に分かりやすい内容だ。
「よし、それにしよう!」
「うむ。巨大生物との戦闘は、我々の筋肉のポテンシャルを試す良い機会だ」
こうして、『マッスル・ラック』の初仕事は、巨大ナマズの討伐に決まった。
◇
数日後、三人は目的地の湖へと向かっていた。
ギルドのある街から馬車で半日ほどの距離にある、穏やかで美しい湖だと聞いている。
しかし、湖に近づくにつれて、空模様がどんどん怪しくなってきていた。
朝はあんなに晴れていたのに、厚い灰色の雲が空を覆い始め、ぽつり、ぽつりと冷たい雫が落ちてくる。
「……なんだか、雨が降りそうですね」
セレンが、不安そうに空を見上げた。彼女の雨女体質は、特に不運な出来事と結びつきやすい。ただの偶然であってほしい、と彼女は心の中で祈った。
やがて、三人の眼下に、目的の湖が見えてきた。
しかし、その光景に、三人は言葉を失った。
「なんだ、ありゃあ……」
ライガが、呆然と呟く。
穏やかで美しい、という話はどこへ行ったのか。
湖は、まるで海が荒れ狂っているかのように、巨大な白波を立てていた。空は黒い雲に覆われ、横殴りの暴風雨が湖面を叩きつけている。
湖畔で待っていた依頼主の漁師は、三人の姿を見るなり、泣きそうな顔で駆け寄ってきた。
「お待ちしておりました、冒険者の皆様! しかし、この嵐は一体……!? 昨日までは、あんなに穏やかな湖だったというのに!」
その言葉に、セレンの心臓は、ずきりと痛んだ。
間違いない。この嵐の原因は、自分だ。
ただのナマズ退治のはずだったのに。自分の不運が、自分の体質が、ただのBランク級の依頼を、天変地異レベルの超高難易度クエストに変えてしまったのだ。
「こんな嵐では、船を出すことなど到底できません! これでは、湖の主のところまでたどり着くことすら……」
漁師が、絶望に打ちひしがれている。
セレンもまた、その隣でうなだれた。
(ああ、やっぱり、私なんかが冒険者になったのが間違いだったんだ……。パーティーなんて組んだら、みんなに迷惑をかけるだけ……)
彼女が、いつものネガティブな思考の渦に飲み込まれそうになった、その時だった。
「おいおい、すげえ波だな!」
隣から聞こえてきたのは、ライガの、弾むような声だった。
「うむ。この水圧、この抵抗……」
そして、レギウスの、知的な好奇心に満ちた声が続く。
セレンが顔を上げると、二人は、絶望する漁師やセレンとは全く違う表情で、荒れ狂う湖を見つめていた。
その瞳は、まるで最高のトレーニングジムを発見したかのように、爛々と輝いていた。
「実に興味深い」
レギウスは、満足げに頷くと、こう言った。
「これほどの環境ならば、我々の筋肉に、かつてないほどの負荷をかけることができるだろう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます