第二話:筋肉岩と古代の番人【後編】

青い光が灯った瞬間、遺跡内の空気が変わった。

それまでただの石像だったものが、明確な殺意を持つ生命体へと変貌を遂げたのだ。ゴーレムはゆっくりと、しかし一切の無駄がない動きで巨体を上げ、その岩の顔を侵入者たちへと向けた。


(大きい……硬い……そして、重い!)


セレンは瞬時にショートソードを構えながら、冒険者として叩き込まれた知識を総動員して敵を分析する。

一般的なストーンゴーレムの弱点は、動力源である魔力核(コア)。あの青い光が十中八九それだろう。だが、問題はどうやってあそこまで攻撃を届かせるかだ。


「じっとしてても始まらねえ!」


セレンが思考を巡らせるより早く、ライガが動いた。

獣のような雄叫びを上げ、大地を蹴ってゴーレムへと突進する。その手には、巨大な鉄塊と見紛うばかりの大剣が握られていた。


「おりゃああああッ!」


振り下ろされた大剣が、ゴーレムの胴体を直撃する。


ガギィィィンッ!!


けたたましい金属摩擦音が遺跡内に響き渡った。

しかし、ゴーレムの岩肌には浅い傷が一本ついただけで、火花が虚しく散るのみ。逆に、ライガの方が衝撃で腕を痺れさせたように、顔をしかめた。


「こんの、硬えな、オイ!」


その間、レギウスは動いていなかった。

槍を中段に構え、ライガの攻撃に対するゴーレムの反応、重心の移動、関節(らしき部分)の可動域を、冷静に見極めている。


「ライガ、下手に打ち込むな。衝撃が分散している。叩くなら、関節部を狙え」

「へっ、言われなくても!」


ゴーレムは、ライガの攻撃を意にも介していないかのように、その巨大な鉄槌の腕を振り上げた。狙いは、目の前のライガだ。


「危ない!」


セレンが叫ぶ。

しかし、その拳が振り下ろされるよりも早く、横から閃光のような突きが放たれた。レギウスの槍だ。穂先が正確にゴーレムの肘関節を捉える。


キンッ!という硬質な音と共に、ゴーレムの腕の軌道がわずかに逸れた。拳はライガのすぐ横の石畳に叩きつけられ、轟音と共に床を粉々に砕く。


「助かったぜ、レギウス!」

「礼は後だ。集中しろ」


二人の息の合った連携。だが、決定打には程遠い。

ゴーレムは体勢を立て直すと、両腕を振り回し、薙ぎ払うような攻撃を繰り出してきた。その風圧だけで、少し離れた場所にいたセレンの体がよろめく。


(ダメだ、このままじゃジリ貧になる……! 私も何か……!)


セレンは意を決し、ゴーレムの足元めがけて走り込んだ。その巨大な足は、動きこそ遅いが、踏み潰されればひとたまりもない。彼女は身を滑らせ、ショートソードでアキレス腱にあたる部分を力任せに突き刺した。


ガリッ、という嫌な感触。剣先が、硬い岩に阻まれて数センチしか入らない。

「くっ……!」


ゴーレムは足元のセレンに気づくと、無慈悲にもその巨大な足で踏み潰そうとしてくる。

「しまった!」


絶体絶命。

その瞬間、ライガがセレンの襟首を掴んで、力任せに後方へ放り投げた。


「うわっ!?」

「邪魔だ、嬢ちゃん!下がってろ!」


セレンはなすすべもなく転がり、壁に背中を打ち付けた。悔しさと、自分の無力さに唇を噛む。


その時だった。

武器が通用しないと悟ったレギウスとライガが、一瞬だけ顔を見合わせた。そして、まるで示し合わせたかのように、同時に頷いた。


レギウスは、愛用していたはずの巨大な槍を、こともなげにその場に突き立てた。

ライガも、大剣をカラン、と音を立てて床に放り出す。


(武器を、捨てた?)


セレンが唖然とする前で、二人はゴキリ、と首や指の関節を鳴らした。


「どうやら、小手先の技術が通用する相手ではないらしい」

「へへ、ようやく分かったか。こういうデカブツはな……」


二人の全身の筋肉が、先ほど岩を動かした時以上に、禍々しく膨張していく。


「「砕くのが一番だろッ!!」」


次の瞬間、二人はただの冒険者ではなくなっていた。

レギウスがゴーレムの正面に立ち、振り下ろされる拳を、今度は両腕でがっしりと受け止めた。ズシン、と遺跡全体が揺れるほどの衝撃を、彼は足裏を大地に根付かせ、全身の筋肉で吸収し、殺しきる。完璧な「盾」だった。


「ライガ、今だ!」

「任せろ!」


レギウスがゴーレムの動きを完全に封じている隙に、ライガは跳躍した。彼の全身が、極限まで引き絞られた弓のようにしなる。そして、その全ての力を右拳一點に集中させ、ゴーレムの胸部へと叩き込んだ!


ゴォォォンッ!!


ゴーレムの巨体が、殴られた衝撃で数歩後退する。岩と岩が擦れる、鈍い悲鳴が響いた。


「まだだ!」


レギウスがゴーレムの腕を掴んで引き倒し、体勢を崩す。そこに、ライガの蹴りが胴体にめり込む。

もはやそれは戦闘ではなく、一方的な解体作業だった。


セレンは、その光景をただ見ていることしかできなかった。

あれは格闘技などではない。神話の戦いだ。人の身では到底到達できない、圧倒的なまでの「力」の奔流が、古代の叡智の結晶を蹂躙していく。


「これで、終わりだ!」


レギウスはゴーレムの薙ぎ払う腕をかいくぐると、その巨大な胴体にしがみつくように懐へ飛び込んだ。そして、片方の脚を支点に、テコの原理を応用してゴーレムの巨体を強引に傾かせ、その体勢を大きく崩した。


「ぐらつけェッ!」


ゴーレムがバランスを立て直そうと、もう片方の腕を振り上げたが、レギウスはそれを肩で受け止め、渾身の力で押しとどめる。

ゴーレムの動きが、一瞬、完全に停止した。

その目の前で、ライガは大きく息を吸い込み、狙いを定めた。


目標は、頭部で不気味に明滅を続ける、青い魔力核。


「喰らいやがれェェェッッ!!」


ライガの拳が、流星のようにゴーレムの頭部へと突き刺さった。


ゴッッッッッッッッ!!!!


今までとは比較にならない、全てを砕く轟音。

青い光が閃光のように弾け、ゴーレムの頭部が内側から爆発するように粉々に砕け散った。


核を失ったゴーレムの体から力が抜け、巨体はゆっくりと前のめりに傾くと、やがて大きな音を立てて崩れ落ち、ただの岩の山へと還っていった。


しん、と静まり返った遺跡に、三人の荒い息遣いだけが響く。


「ふむ」

レギウスは腕についた岩の粉を払いながら、静かに言った。

「やはり、鍛え抜かれた肉体こそが、最強の武器にして最高の防具だな」


「へへ、どうだ!」

ライガは、蒸気が立ち上る拳を振りながら、ニヤリと笑う。

「俺たちの筋肉に、砕けねえもんはねえ!」


セレンは、ゆっくりと立ち上がった。体中が痛む。だが、それ以上に、心の奥底から熱い何かがこみ上げてくるのを感じていた。

絶望的なまでの不運。何をやってもうまくいかない人生。

だが、今、目の前には、どんな理不尽も、どんな絶望も、ただその圧倒的な筋肉で粉砕してしまう二人がいる。


(この人たちとなら、あるいは……)


偽物の地図から始まった、ありえない出会い。

セレンの運命の歯車が、今、確かに、大きく軋みながら回り始めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る