第二話:筋肉岩と古代の番人【中編】

ゴゴゴゴゴゴ……ッ!


セレンの足元に伝わる振動は、もはや単なる揺れではなかった。大地そのものが悲鳴を上げ、足元の小石がカタカタと踊っている。目の前では、二つの人型の山脈が、何千年も大地に鎮座していた岩塊を、その根元から引き剥がそうとしていた。


(物理法則とか、質量保存の法則とか、そういうのはどこに行ったの……?)


セレンは、雨に打たれるのも忘れ、ただ呆然とその光景を見つめていた。自分の知る常識が、目の前でメリメリと音を立てて崩壊していく。それは絶望というより、むしろ一種の爽快感すら伴う、圧倒的な現実だった。


その時、ひときわ大きな轟音と共に、岩が大きく傾いだ。


ゴゴゴゴゴゴゴゴッッ!!!


ついに岩盤の縁が地面から完全に離れ、凄まじい摩擦音を立てながら横へとスライドしていく。巻き上げられた土と苔の匂いが、雨の匂いに混じってセレンの鼻を突いた。


そして、大地を揺るがすほどの音を立てて、巨大な岩塊は完全に動きを止め、その場に新たな窪みを作り出した。


訪れる静寂。

雨音だけが、やけに大きく聞こえる。


セレンは、目の前の光景が信じられなかった。

巨大な岩が鎮座していたはずの場所には今、黒々とした闇が四角く口を開けていた。地下へと続く、古びた石の階段。数千年の時を吸い込んだかのような、かび臭く、ひんやりとした空気が、地上へと噴き出してくる。


「ふぅ……」

レギウスは額の汗(のようなもの)を腕でぬぐい、満足げに息をついた。

「ふむ。全身の筋肉に心地よい張りが生まれた。計算通りの負荷運動だったな」


「へっ、思ったより歯ごたえがなかったな!」

ライガはバンバンと自らの胸筋を叩いている。

「まあ、ウォーミングアップにはちょうど良かったか!」


(軽かった…? ウォーミングアップ…? この人たちにとっては、山を動かすこともラジオ体操の延長でしかないのだろうか)


「……嘘」


セレンの口から、か細い声が漏れた。

本当に、あった。

あの、どうしようもなく胡散臭かった偽物の地図の先に、本物の古代遺跡の入り口が、その姿を現していた。

不運と諦めに支配されていた心臓が、今、トレジャーハンターとしての興奮で激しく高鳴っていた。


「……っ!」


セレンは弾かれたように我に返ると、慌てて背中のバックパックを下ろし、中から年代物のカンテラを取り出した。魔法の光石がセットされた、遺跡探索の必需品だ。


カチリ、とスイッチを入れると、カンテラがぼうっと温かい光を放ち、眼下の闇を照らし出した。階段は、かなり深く下まで続いているようだ。石段の表面は滑らかにすり減り、どれほど多くの足跡がここを通り過ぎたのかを物語っている。


「行きますよ!」


セレンは、カンテラを掲げ、決然とした表情で二人を振り返った。もう、不運を嘆く緑髪の少女はそこにいない。一人のトレジャーハンターの顔つきになっていた。


「罠があるかもしれないから、一歩後ろにいてください! 足元には十分注意を!」


震えそうになる声を抑え、できるだけ毅然と告げる。これが、今の自分にできる、せめてものリーダーシップだった。


その姿に、レギウスは少し目を細め、ライガはニヤリと口角を上げた。


「おお、頼もしいな、セレン殿」

「へへ、それでこそ冒険者だ!」


二人の言葉に少しだけ勇気づけられ、セレンは頷き返すと、意を決して、石の階段に第一歩を踏み出した。ひんやりとした千年の空気が、彼女の全身を包み込む。

レギウス、ライガもそれに続く。三人の足音が、静かな地下空間に吸い込まれていった。


階段は螺旋状に、どこまでも下へ下へと続いていた。カンテラの光が、壁に刻まれた見たこともない文様をぼんやりと照らし出す。それは文字のようでもあり、絵のようでもあった。

どれくらい下っただろうか。不意に階段が途切れ、目の前にだだっ広い空間が広がった。ドーム状の高い天井を持つ、神殿のような場所だった。


「広い……」


セレンがカンテラを高く掲げ、周囲を照らそうとした、その時だった。


空間の中央に、静かに佇む「何か」がいた。

それは、岩でできた巨大な人型。両腕は巨大な鉄槌のようで、その体は、この遺跡を構成する石材と同じもので作られているように見えた。長い年月の間に、周囲の風景に完全に溶け込んでいたのだ。


セレンは息を呑み、カンテラの光をその巨体に集中させた。


――カッ。


まるでその光に呼応したかのように。

岩の人型の、頭部と思しき場所で、一つの青い光が静かに、しかし強烈な意志を持って灯った。


古代遺跡の番人、ストーンゴーレム。

招かれざる侵入者を排除するため、数千年の眠りから覚めた古代の殺戮機械が、ゆっくりとこちらに顔を向けた。

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