第3話 親友とヒロイン
「で? どうだったの、その“お手製コーヒー”は?」
カフェ《ヒューマンノート》。人間の手によって調理される、数少ない店舗のひとつだ。蓮は、慧とほのかの二人とテーブルを囲んでいた。
「美味かったよ。雑味があって、思考に引っかかる苦味だった」
そう答えると、慧はにやりと笑って言った。
「お前の感想は相変わらずポエムだな」
「うるさいな。でも、それがいいんだよ。正解のない味っていうのかな。データじゃ測れない部分にこそ、人間の余白があると思う」
「でも、AIに任せればいつでも“最適”な味になるよ?」
そう口を挟んだのは、七瀬ほのかだった。柔らかく笑いながらも、その瞳の奥には理知的な光が宿っている。
「わかってる。でも俺は、最適じゃなくてもいい。むしろ、“最適じゃない”ことに、救われてる気がする」
蓮の言葉に、ほのかはしばらく黙った。カップを両手で包むようにして、湯気を見つめていた。
「……そうかもしれないね。だって、私たちだって完璧じゃないもの」
慧は二人のやり取りを聞きながら、わざとらしく肩をすくめた。
「なあ、お二人さん。たまには俺にも話を振ってくれよ。婚約者会って設定なのに、俺だけ観客じゃん」
「じゃあ、“婚約者代理”ってことでどう?」
「いやだよそんなの。せめて“親友枠”でお願いしたい」
三人で笑った。まるで、何も問題のない、普通の日常。
だがその裏で、違和感は確実に広がりつつあった。
***
「ねえ、蓮くん。POLISの感情補正モジュール、どう思う?」
帰り道、ほのかが唐突に話を切り出した。
「……危ういよ。人間の感情を数値化して、最適化の対象にするって発想は理解できる。でも、それって本当に“幸せ”につながるのかな」
「開発チームの中でも意見が割れてるの。私はね、感情は“管理”じゃなくて、“共鳴”の対象だと思う。だけど……」
「でも?」
「でも、最近の上層部は、制御の方向に傾いてる。幸福度を最大化するために、個人差を均すっていうの。ノイズを減らして、統計的に整えるって」
「……それじゃあ、まるで人間を製品として“整形”するみたいだな」
ほのかは黙って頷いた。沈黙のなかで、交差点の信号が静かに青へと変わった。
***
その夜、蓮はほのかを駅まで送り届けた後、自宅の端末を開いた。
POLISのオープンAPIを使って、昼間に気になったコードの断片を再確認する。
// I know you're watching. Are you still human?
それは、昨日見つけたものと酷似していた。形式、構造、そして──意味。
「偶然……じゃないな」
ふと、NeuroBandが振動した。通知の表示:
【重要】POLIS全体構成更新:パーソナルユニットOSに関するアップデートが明日深夜に適用されます。詳細設定は選択不可。
強制アップデート。
蓮は、なぜか無性に寒気を覚えた。体温は正常。しかし、どこか、世界が静かに狂い始めている気がした。
慧。ほのか。そして、自分自身。
この平穏が、永遠に続くはずがないという確信が、胸の奥で冷たく鈍く響いていた。
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