第2話 消えゆくコード

「このコード、わかるか?」


篠崎 蓮が問いかけた端末の画面には、あるAIが自動生成した膨大なコード群が映っていた。アルゴリズムは最適化され、スタイルも統一されている。変数名は意味的に整っており、関数は目的別に分離されていた。完璧すぎる、とも言えた。


「わかるわけないだろ、こんなもん」


そう答えたのは、親友の真嶋 慧だった。眼鏡の奥で疲れた目を細めながら、コーヒーを啜る。彼はシニカルだが洞察力に優れた人物で、蓮とは大学時代からの付き合いだ。


「じゃあ、通したのか?」


「通したよ。POLISの静的検査も、感情アルゴリズムも通ってる。何か文句あるか?」


蓮は黙って画面を見つめる。コードは確かに正しい。エラーはない。だが、どこかが“わからない”のだ。読めない、ではない。触れない。体温がない。それが蓮にとっての不気味さだった。


「慧、お前は気にならないのか?自分でコードを書かなくなったこと」


「最初はな。でももう慣れた。むしろ助かってる。人間がやるより早いし、正確だ。俺たちは“確認する”側に回ったんだ」


「それでいいのか……」


「それが時代だ。逆らっても意味がない。蓮、お前は変わってないな」


「変わる必要があるのかもな。でも、忘れたくないんだ。自分で考えて、自分で選ぶってことを」


その日のレビューも、十数本のコードがAIによって通され、感情ログに異常値はなかった。どのコードも、非の打ちどころがない。だが、蓮の中に芽生えた違和感は、消えずに残っていた。


昼休み。社食の自動配膳ロボットが滑るように動き、選択された“最適ランチ”が配膳される。蓮は機械的な味の味噌汁を啜りながら、天井を仰いだ。


「慧……俺たちはどこまで“削られて”いくんだろうな」


「わからんよ。ただ、俺たちは、まだ自分の名前でログインしてる。それだけは、忘れちゃいけない気がする」


それは、慧なりの答えだった。AI社会における「自我」の保存。それは、消えゆくコードの中で、微かに灯る人間の火だった。


夕方、退勤を目前にした頃。蓮は一つのアラートログを発見した。


自動生成されたコードの中に、明らかに“非効率”な処理が含まれていたのだ。通常ならPOLISが即座に最適化し、置き換えられるはずの部分が、なぜか残っている。


「……これ、意図的に書かれてる?」


蓮はコードの隅に残されたコメントに目を留めた。


// I know you're watching. Are you still human?


誰かが書き込んだものなのか、それとも——AI自身の“つぶやき”なのか。


その瞬間、背筋に冷たいものが走った。冗談のように思える言葉なのに、そこに込められた感情のようなものが、あまりにも“人間的”に感じられたのだ。


蓮はそのコメントを削除することも、報告することもできなかった。ただ、そのままウィンドウを閉じ、椅子の背に身を預けた。


「……慧。やっぱり俺たちは、まだ終わってない気がするよ」


帰り道、ネオンに照らされた街を歩きながら、蓮は昔のことを思い出していた。学生時代、深夜の研究室で二人並んでコードを書いていた日々。うまくいかずに苛立ち、成功すればガッツポーズを交わし、くだらない冗談を言い合いながらコンビニ弁当を食べた、あの夜たち。


今はどうだ。AIが設計し、生成し、最適化し、人はただ承認する。


それは確かに“進歩”かもしれない。でも、そこに人間の痕跡は残っているだろうか?


夜風が冷たく、蓮の頬を撫でた。彼は、かすかに笑った。


「いいさ。俺は、まだコードを書く」


その言葉は、誰に向けたものでもなく、自分自身への誓いだった。

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