Decompile the Future

深津 瑠華

第1話 AI都市POLISの朝

朝。人工光が室内にゆっくりと満ちていく。東京都・第三区、Aブロックの高層集合住宅。その一室で、篠崎 蓮はベッドの上に身を起こしていた。目覚めの気怠さと共に、神経に優しい周波数で構成されたBGMが、壁面スピーカーから流れ始める。


「おはようございます、篠崎蓮さん。本日は202X年3月4日。天候、晴れ。体調スコア94。午前の予定を最適化しますか?」


淡い女性の声が耳を撫でる。音声アシスタントAI、通称パーソナル・ポリス。都市統合AI『POLIS(ポリス)』のパーソナルユニットである。


「スキップで」


蓮はそう言いながら、右腕に装着されたNeuroBand(ニューロバンド)に軽く触れた。政府が全国民に義務化した神経接続型チップ。日々の行動を最適化し、個人の生産性と幸福度を監視・管理するためのツールだ。もちろん、体内に半永久的に埋め込まれており、本人の意思で取り外すことはできない。


端的に言えば、「生きるためのOS」だった。


キッチンへ向かう道すがら、壁面に設置されたスマートミラーが蓮のバイタルデータを映し出す。


「睡眠の質:良好。ストレス指数:やや高め。血糖値:正常。精神安定化プログラムの起動を提案します」


「提案は却下」


そう言って、蓮はミラーの表示をオフにした。


コーヒー豆の入ったキャニスターを取り出し、古びた手動式のミルに豆を落とす。ギリギリと軋む音が静かな室内に響く。その音こそが、彼にとって“自分を取り戻す時間”だった。


「最新のカフェロイドを起動しますか?」


パーソナル・ポリスが提案する。


「いい。今日は自分で淹れる」


「了解しました。なお、この選択は幸福度スコアには反映されません」


「知ってるよ」


自動最適化システムによって、人々の選択は“幸福度”に基づいて数値化される。だが蓮にとって、その数値は“人間らしさ”の指標にはなり得なかった。


やがてテレビが自動起動し、AIによって生成されたナビゲーターが明るく語り始める。


「最新の幸福度ランキングが更新されました。第三区は先週に続き全国一位をキープ!皆さん、素晴らしい日常ですね!」


「素晴らしい、か……」


蓮は呟きながら、画面の電源を切った。そこに映る笑顔が、あまりにも完璧すぎて、不気味にすら見えたからだ。


スマートフォンにメッセージが届く。親友の真嶋 慧からだった。


今日も例の自動レビューに付き合わされるんだろ?こっちは既に8割AI任せで暇してるわ。


蓮は苦笑しながら返信する。


そっちも結局“人間は確認するだけ”ってやつか。俺は……まだ全部任せる気にはなれないな。


カレンダーの通知が光る。今日も職場に行き、AIにコードの“監督”をさせる仕事が待っている。かつては自分の手でロジックを組み、アルゴリズムを磨き上げた。しかし今では、提示されたコードをレビューし、許可を出すだけの作業になっていた。


それでも蓮は、その中にわずかに残された“人の役割”に希望を繋いでいた。


だが、この朝の静けさの中で、彼はふと、胸騒ぎのような違和感を覚えていた。


それが、崩壊の始まりだった。

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