第3話 「受け入れて許す」のは今を生きるため
出来事や物事として認識したとき、それはすでに過去になっています。
例えば、階段を下りていて足を踏みはずすとします。足を踏みはずすまでは、そんなことが起こるとは想像もしていません。足を踏みはずしたとき、「あっ」という反応はできますが、「今、足を踏みはずしているぞ」と、落ち着いて考えることはありません。足を踏みはずしきって、ひとまず自分の状況が落ち着いてから、それを認識します。つまり階段を踏みはずすという事故がしっかりと起こったあとで、自分の認識として理解します。
コーヒーカップを倒す、電車に乗り遅れる、うたた寝をするなど、他人から見れば、その経過を見ているので出来事と同時に認識することができますが、自分のこととなると、気づいたときにはすでにことは起こったあとで、ほんの一瞬であっても認識するのはそのあとです。
つまり、人生で自分が体験することは、「すべてが過去の記憶である」ということになります。
過去の記憶は改ざんできても、事実を曲げることはできません。ほんの一秒前でも手の届かない存在です。変更もやり直しも、触れることすらできません。
だからスピリチュアル的な面だけでなく、現実的にも「受け入れて許す」しか方法がありません。
予想して避けられるものは避ければいいですし、上手くできる方法があるならそれを選択することができます。しかしすでに起きたことについては、無かったことにもできませんし、出来事の規模が大きかったり、自分にとって深い意味を持つものになると、無視することもできません。忘れようとしても何かのタイミングで思い出してしまいます。
自分が体験したことを「受け入れて許す」ようにしていれば、出来事のすべてに対して、「こんなことが起こった」と認識することになります。この状態が「受け入れる」ということになります。
そして、自分にとってネガティブなことでも、「しょうがない」というよい意味でのあきらめに心境に至ります。これが「許す」ということです。
日常的にこういう思考パターンになっていれば、すべての出来事に対して、心の底からしっかりと「過ぎてしまったことはしょうがない」という、良くも悪くもあきらめの思考になります。あきらめてしまえば、心残りや未練、後悔などはほとんどなくなります。
そういったことがなくなれば、しっかりと地に足をのついた「今・ここ」を生きることができますし、未来に対しても不安より希望の思考を持つことができます。
「受け入れて許す」のは、現実を認める、ということだからです。
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