第6話 OUTLIER
朝の光が、ぼんやりと雲に溶けていた。
外は少し風が強く、街路樹の葉がかさかさと鳴っている。
玄関の扉が音を立てて開く。
「ほら、行くよ。たまには、外に出てみなって」
澪が振り返ると、No.17は古びた黒い帽子を目深に被っていた。
その下の額には、澪が巻いた白いハチマキが、ぎゅっと結ばれている。
「……これは、何の意味がある」
帽子の影から低い声がもれる。
「いいから。これ巻いとけば第三の眼とかも目立たないから」
澪は軽く笑って、玄関の段差を下りた。
彼は無言でうなずくと、そのあとをついて歩き始めた。
場所はごく普通の住宅街。
地面に映るふたつの影が、少しずれて揺れている。
「ねえ、こうして歩いてみると、ちょっとは人間っぽいでしょ? あんたも」
澪が足元の影を見ながらそう言うと、No.17は小さく呟いた。
「人間、か……」
「……あんまり深く考えないでいいって」
彼女は何かを振り払うように笑い、コンビニの前をすり抜けていく。
住宅街の上空――電信柱をつなぐ電線に、数羽のカラスが並んでいた。
そのうちの一羽だけが、目の奥に赤い光を宿している。
それは神守が仕込んだ観測ユニットだった。
カラスの見た目を模した小型探査機。
周囲の空気の振動、生体反応、熱源、記録データの一致照合までを瞬時に処理する。
ひとつの視線が、下の路地を歩くふたりに向けられる。
だが、ログ照合はすぐに異常を示した。
【都市擬態型探査ユニット】
コード:No.17 検索中
照合結果:一致なし
警告:記録外存在の可能性
探査機は動きを止めたまま、なおも分析を続けた。
何度走査しても、そこにいる存在は「No.17」として認識されない。
すでに、記録から逸れてしまった個体。
その姿は記録の中に、もう存在していない。
探査ユニットは静かに羽音を立てて空へと飛び立っていった。
ふたりの頭上を、カラスが横切る。
それに気づく者はいない。
No.17は黙って前を向き、澪は彼の顔をのぞき込むこともせずに歩き続けていた。
神守本部・第七観測室。
「……現地ユニット、接触失敗です。対象との一致率が0.4%。ほぼ誤差範囲内」
低く報告された声に、室内の空気が凍る。
観測責任者の律巳は無言でそのログを見つめたまま、腕を組んだ。
一呼吸置いて、ぽつりと呟く。
「……まるで、記録に残らないよう、自分を書き換えてるみたいね」
研究員が小さく息を呑みながら応じる。
「自己修正型の迷彩とはレベルが違います。記録そのものが――最初からなかったような感覚です」
律巳の指先が、ホログラムを閉じる。
その目は鋭く、だが内側に一瞬の戸惑いを宿していた。
「存在はそこにあるのに、“証明”ができない……」
やがて、椅子を立ち上がりながら続けた。
「ならば、観測の外側ごと、潰すしかない」
後ろにいた技術員が、一歩踏み出して口を開く。
「……それは、記録破壊になります」
律巳は立ち止まり、ふっと小さく笑った。
「ええ。記録という神に背く行為よ。でも……」
彼女の目が、ゆっくりとホログラムの消えた空間を見上げた。
夕暮れ。
公園のベンチに腰を下ろした澪が、缶ジュースを開ける。
その隣には、黙って座るNo.17の姿。
夕焼けが、ふたりの影を長く引き伸ばしていた。
缶を揺らす音が静かに響く。
「あのさ」
澪がぽつりと声を落とす。
「今日、一緒に歩いてて思ったんだけど……あんたさ」
彼女は缶を握りしめる指に少し力を込めると、続けた。
「……本当に人間なの?」
返事はない。
ただ、風の音だけが耳を撫でて通り過ぎていく。
彼の沈黙と、彼女の言葉の間に、境界が落ちていた。
【記録外存在、接触観測ログ:未記録】
【識別コード:No.17】
【観測状態:不成立】
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