第7話 GLITCH
朝。
空は白い雲に覆われているが、光は柔らかく風は穏やかだった。
図書館の裏口から、澪が小声で声をかける。
「今なら、人いないから」
No.17はうなずき、黙ってその後をついていく。
黒い帽子を深くかぶり、白いハチマキを額に巻いたその姿は、街の景色に不自然さを感じさせながらも、どこか馴染んでいた。
館内は冷房の涼しい空気が漂い、薄暗かった。
「平日の午前中なんて、誰も来ないよ。図書館なんてさ」
澪は慣れた足取りで2階の閲覧室へ案内し、窓際の席に座った。
No.17は壁際の本棚から古い本を手に取り、ページをめくる。
しかし、その目は文字に集中している様子はなく、静かに遠くを見つめていた。
窓の外の風景に、彼は何かを感じ取ろうとしているようだった。
一方、上空では黒い影が飛んでいたが、No.17はその存在に気づかなかった。
彼の意識は、窓の外ではなく、自分の内側にあった。
神守本部・第七観測区。
監視ログのひとつがグレーアウトする。
「図書館周辺の走査が途絶。座標特定できず」
無機質な声が観測室に響く。
「補足不可能。ログ照合も不成立。誤差範囲を超えた喪失です」
律巳は画面をじっと見つめ、静かに息を吐く。
「また……ここだけ記録が歪んでいる」
技術員が報告を続ける。
「過去と現在のログに補完されていない空白があります。
まるで、最初から何もなかったような状態です」
律巳は目を細める。
「……まるで、自ら記録されることを拒んでいるかのようだ」
「ですが、仕様上そんなことはあり得ません。あの個体の設定では、記録から外れることは……」
「仕様外の何かが起きているのよ」
律巳は画面を消し、低く呟く。
「記録されていない存在が、どこかで生きている。
記録されないからといって、いないとは限らない」
沈黙が観測室に降りる。
律巳はわずかに口元を歪めた。
「まるで、神が記録を拒んだようにね」
夕方。
澪はスーパーの袋を手に坂を下りながら話す。
「今日は、案外普通に過ごせたね」
「……普通、か」
「そう。人間らしいっていうか」
小さく笑った彼女に、No.17は立ち止まり、振り返る。
「……何か気配を感じる」
澪も足を止めるが、周囲に人の姿はない。
「誰かいる?」
「違う。人の気配じゃない。何かが、見ている。こちら側を……でも、見えていない。」
No.17は目を細める。
「まるで、誰かが記録の帳簿をめくっている音が聞こえるようだ」
澪は彼の横顔を見つめたが、何も言わずにまた歩き出す。
風が強まり、ビニール袋がぱたぱたと鳴った。
夜。
祖母の家の縁側。
風鈴が静かに揺れ、虫の声が遠く響いていた。
澪は麦茶を手に、外をぼんやりと見つめている。
部屋の中、No.17はちゃぶ台の前に座り、静かに天井を見つめていた。
障子に伸びるふたりの影は、夜の闇にぼんやりと溶けていく。
【記録外存在:未照合個体】
【識別コード:No.17(照合失敗)】
【観測状況:未確定】
【備考:記録者のアクセス権限を超えた存在、発生中】
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