第4話
掌編・『夏』
いつの頃からか、私の意識野に、「常駐」しているイメージがある。
イメージというか、何とはなしの、寧ろ強迫観念のようなもので、常駐していることが
以前にTVを観ていたら、ある公園に、「馬鹿の輪」と名付けられたオブジェがある、そういう中継をしていて、つまり、私の意識野に張り付いているウザい「強迫イメージ」とは、その作者の彫刻家?の意図しているモノと、たぶん同一なのだ…
どういうことかというと、書き表すのが既にして「ウザい」の極致なのであるが、一年の月日が、私の意識野では”楕円形の輪”のように表現されていて、観ている自分視点は夏のあたりの少し上にあり、「今は一年の輪の中のこの辺だな」ということを、絶えず「確認」してしまう…
そのイメージが四六時中浮かび、あまりにも単純でばかばかしいが、逃れられないので「ウザい」のである。
別に色分けがされているわけではない、「馬鹿の輪」で、全く存在の意味も意義も皆無。 あたかもサルトルの書いていた「嘔吐」の対象…マロニエの樹のごとくに「ただあるだけ」のもの。
それが絶対に消え去ってくれない。
一年の循環だけがそういうイメージになっていて、他に、時間の経過とかが視覚化されているということはなくて、日本のピープルにとっては? とりわけ自分にとっては、四季の移り変わりというものがなんらかの重要な意味を持っているんだろうか? とか訝しんで、思索してみたりもする。
暦ができたのは、農業やら穀物の栽培が始まってかららしいが、オコメを作って生きてきたわれわれ倭人一般にとって、やはり、「留魂録」ではないが、「四時の循環」というかそういうんが基本で大事なことの、なんらかの普遍無意識の? 発露かな? 根拠なしにそう思ったりもします…
<了>
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