第5話
父や伯父、叔母など、係累にわりと文藝趣味の人が多い感じで、俳句とか短歌を”能くする”というのか、句集を出版したり、いろんなコンクールの入選歴とかあったみたいです。
で、割と幼少時より、歳時記とか家にあるので、よく読んでいた。
昔はまあ、「オトナのむつかしい本」という感覚でめくっていましたが、だんだんにトシを取るにつれて、「自然の景物とかへの懐旧、愛情」そういうものを思い出すというような、もともと正当的に俳句はそうかしれんけど、そういう読み方をする…
一種の現実逃避? 齷齪した世事から離れて、故郷の自然に回帰するような、そういう感覚で歳時記を読む…と、そういう目的のためには歳時記ほどぴったりなものはない、ということに思い当たる。
で、歳時記はふつう5部に分冊されてますが、そのうちの「夏」はやっぱり厚い。
つまり季語が多くて、句の数も多い。のだと思う。
これは、まあ、動物も植物も、生命力全般が活動的になり、”旬”の昆虫やら植物の数が多くて、でまあレジャーも増えるし、夏休みもあるし、季語も多くなるんかな?と思う。
ウィンタースポーツも、冬はひきこもっているほうが多いから、「ウィンター」とつけるけど、オリンピックも夏で、海やら山への行楽も夏が本番。
よく”ハレ”と”ケ”と言って、まあ「お祭り」と「普段」ということですが、夏は季節自体が”ハレ”空間。 で、文藝も趣味だから一種のアトラクション、演し物?みたいなところもあり、で、華やかになるんだろうか。
長塚節の「土」なんていう、農民文学もあるし、プロレタリア文学というのもあった。「蟹工船」が、リバイバルしたのも最近。
日本の文藝はだから、和歌、俳句的なのがまあ、伝統的で、オレも、そっちのほうが親しみある世代というか? 田舎の人だし、なんとなく趣味がダサいでけかな?
俳人以外にも、俳句を詠む文学者は普通に多くて、夏目漱石にも「叩かれて昼の蚊を吐く木魚かな」というユーモア俳句がある。
「むざんやな兜のしたのきりぎりす」(芭蕉)に似てる。どっちも夏の俳句。
「蝸牛そろそろ登れ富士の山」(一茶)もなんか似ている。
「閑かさや岩にしみいる蝉の声」(芭蕉)は有名。
「春過ぎて夏樹にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」は、有名な天智天皇の和歌。
”天皇”なうえに、”天智”までついていてなんとなく惚れ惚れするようないい名前?とか昔から思う。
どういう人やったんやろか?と、お会いしたく思う。w
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