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 応接間に二人が現れる頃には、大抵の主要人物は揃っていた。邸の主たる露路、仮面をつけた従者の怜。富貴日出海に、東風邦明、瀬戸恵美子。見知らぬ男が数名いるが、制服姿から警察だとわかる。彼らと相対する位置に座るのが、敵たる富貴利男とその妻子。


「お待たせしましたわね、皆様」


 紗百合はわざと大きな声で言って、艶然と笑んでみせる。その目は素早く、室内に集まる人々を眺め回していた。


(央間道鷹がまだ来ていない……)


「紗百合さん、瑶子さん。こちらへお掛けなさい」

「ええ、ありがとう」


 瑶子を露路の隣の椅子に掛けさせ、自らもその隣に座る紗百合。応接間の人々の視線は、否が応でも、この「明眸の君」と「紅唇の君」の上に注がれた。


 清楚な中にも凛とした輝きを秘めた「明眸の君」。大輪の花の魅惑と健康的な色気を放つ「紅唇の君」。彼女達の美は、眩い宝玉をこれでもかと身に着けた辰代や若子のそれよりも人々を惹きつける。外側をどれほど飾ったところで、内から発散されるものを覆い隠すことはできないのである。良い意味でも、悪い意味でも。


 辰代も若子も、それを本能的に感じはしたが、素直に認めると負けだと思った。二人はどうにかして、瑶子を貶めてやらねばなるまいと、それぞれ知恵を絞った。


「……お久しぶりね、瑶子さん」


 まずは若子が口を切る。微笑にも声にも、棘が含まれている。


「……ええ、若子様も奥様も、旦那様も、お達者で何よりでございます」

「家出して家族を心配させておいて、達者で何より、もないもんだ。それに、いつの間にそんなに豪勢な格好ができるようになったのかえ」


 辰代もそう言ってなじる。答えを求めているのではないと、瑶子にもわかったので、沈黙を守った。応接間の空気は、これだけのやり取りのために、暗く淀んでしまった。恥知らずな母娘だけはこの不快な雰囲気も意に介さず、攻撃し続ける。


「瑶子や、それが主人一家に対する態度かえ。薄情にも程があると思わないのかね。主人の恩を忘れ果てて逃亡した挙句、如月様にご厄介になるなんて、そんなことが許されるとお思いかえ」

「お母様の言う通りだわ、瑶子さん。今日は、あなたが如月様と婚約なさったって報せがあったから、駆けつけてきたのよ。お祝いなんかじゃない。あなたなんかが如月様と釣り合うわけがないんだと証明しにわざわざ来てやったの。いくら着飾ったところであなたは卑しい身分のままよ。その髪飾りも着物も相応しくないのだから、早々に如月様にお返しになるがいいわ。それに、そのダイヤの帯留めだって!」


 母娘の目は、瑶子の服飾品をしか見ていない。露路や邦明が眉をひそめていることも、日出海が怒りに拳を握りしめていることも、視野に入らない。紗百合が勝ち誇ったような笑みを口元に浮かべていることさえも……。


「……富貴夫人、お嬢さん。私にも反論させていただけませんか」

「まあ、如月様。なぜ」

「瑶子さんが薄情であなた方の恩を忘れたなどということは、決してありませんよ」


 露路は強いて笑みを浮かべているらしく見える。


「この帯留めですが、昔お嬢さんにいただいた大切な品だとおっしゃっておいででした」

「まあ、私そのようなものあげた覚えは……」

「ではご存知なかったのですね。元はこのような外見でしたから、無理もありませんね」


 彼は、元の木彫りの薔薇を取り出してみせた。が、若子も辰代も思い出せないのか、木彫りの薔薇と互いの顔とを交互に見やるだけ。


「この中に、瑶子さんが今身に着けていられる帯留めが入っていたのです。そしてその帯留めは、我が如月家の秘宝……」


 父たる前当主が妻のために拵えさせたものであること、よって父と自分だけが秘宝を木彫りの入れ物から取り出せることを露路は説明した。若子達は物欲しそうな表情はするけれども、まだ自分達がしたことへの実感は湧かぬと見える。


「ありふれた木彫りの薔薇……瑶子さんからは、幼少時に『いらないからあげる』とのことで、あなたから貰ったのだと聞きました。その時あなたは、お母君とともに、たくさんのダイヤモンドを手に入れてご満悦だったそうですね」

「ああ、思い出したわ! 私がまだ女学校にいた頃よ。お母様だって覚えているわねえ、ほら、髪飾りやら首飾りやら、たくさんあったのを次々着けてみて、楽しかったわね」

「ああ、あの時の。それで安っぽい木のブローチが出てきたから、屑籠行きになるところだったのよね、ホホホ……」

「ホホホ……」


 応接間に、二人の乾いた笑い声だけが空虚に響く。当然だが、他の者は一切笑っていない。身内の利男は怯えた目で、それ以外は軽蔑や嫌悪の混じった目で、この二人の女をじっとりと見つめている。


 暫くして、当の二人はこの異様な雰囲気に気がつき、おし黙った。

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