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「……こうして私達親子は、永遠に別れねばならなくなりました。父母は私より先に、例の火刑で殺されてしまいました。なぜ私が一緒でなかったかといえば、未成年の私をダイヤモンド泥棒にするには無理があったからというだけです。代わりに、このあざがあるので、世にも稀なる呪われた存在として喧伝されました。奴らにとっては、殺す理由なんか何でもよかったんです。まあ、そのおかげで私は瑶子様のお目に留まり、命拾いできたのですから、運命とは真に不可思議なものです。……その後私が意識を取り戻したのは、市の病院の一室でした。全身に包帯を巻かれて、清潔なベッドに横たえられて。後になって、如月家の前当主、つまり露路様のお父上が一切の面倒を見て下さったことを知りました」


 悲しい記憶を辿る彼の声は、段々と苦しげなものに変じていく。同時に、彼の告白を聞く瑶子の胸はどきどきと高鳴っていく。


 あの火刑のあった日の夜、鞭の傷を負って床に伏していた自分に、女中達が話していた。若子と辰代夫人がどこかからたくさんのダイヤモンドを手に入れて、はしゃいでいたと。――一方では、精巧な硝子製品が不当に奪われて、その作り手一家の存在すら抹消された事実が横たわっている。僅か一日かそこらで、如月と富貴という大して離れていない村同士で起きた不可解な事象。他人を疑うことを厭う、瑶子のような少女でも、何かあると勘付かぬわけにはいかなかった。


 そして、あの夜、女中が「お嬢様からのお詫びの品」として手渡した、木彫りのブローチ。若子達の得たダイヤモンドが、怜の父母の硝子製品であったなら、そこに混ざっていたというそのブローチも――瑶子は襟元を留めるそれに触れた――、ありし日の一家を偲ぶ、大切なものなのではないか。


「瑶子さん、あなたのお考えになっていることはよくわかります」


 露路が彼女の肩を、優しく抱き寄せる。


「実際、その通りなのです。……怜がポケットに入れていたものこそ、その木彫りのブローチなのです。しかし処刑直前の所持品検査で、取り上げられてしまったのだそうです。あいつらは木片まで盗むのかと、彼はずっと富貴の者を憎んでいました」

「でも、怜さんはあなたと一緒に、富貴家の夜会にいらしたではありませんか。憎んでいたのなら、なぜ」

「目的があったからですよ。一つは、彼を救った明眸の少女を探すため。あの時の身なりや言葉遣いから、庶民の娘とは思えなかったので。二つは、奪われた如月硝子の装身具を、何とかして取り戻せないか確かめるため。……怜の素顔を隠し、また僕も素性を秘匿するために仮面をつけて、富貴邸に乗り込んだわけですが、目的はそう経たぬうちに達せられました。『明眸の君』と謳われるあなたに出会い、帯留めにしていたそのブローチがとても大切に扱われていることを知り得た。……それがどんなに、憎しみに凝り固まった青年の心を癒やしたか。ちょっと想像がつきませんでしょう」

「ええ……」


 瑶子は何と返事してよいかわからなかった。なぜって彼女は、このブローチを、従姉・若子からの贈り物だとずっと信じてきたのだったから。若子の自分への情けの証と思えばこそ、大切にしてきたのだったから。


 それが実は盗品だったなんて。


(そういえば、夜会で、これを若子様から贈られたものだとお二人……仮面の華族様として振る舞っていらした露路さんと怜さんに、打ち明けたこともあったわ。私は何て残酷な仕打ちをしていたんだろう。本来の持ち主に対して、初めから自分のものだったような言い方をするなんて)


 考えれば考えるほど、彼女の罪悪感は募っていく。襟元に手をやったまま、責めるがごとき心臓の拍動を聞く。


 彼女は意を決して、襟のブローチを外し、うなだれる怜のもとに歩んでいった。傍らには紗百合が立っている。それが何故か、身内に勇気を与えてくれる。


「……瑶子様?」

「御免なさい。これはあなたがお持ちになるべきでしたのね」


 彼女は驚く怜の掌に、件の木彫りのブローチを握らせる。その拳に、弾け落ちる涙の粒。


「私、本当に何とお詫び申し上げてよいやら……ご家族の大事な品をずっと我が物顔で専有しておりましたこと、今更ながらに悔いております。申し訳ありません」


 相手の顔を見上げて謝る、彼女の瞳。次々と新しい涙をぽろぽろと零すそれは、怜への罪の意識と、若子の情けを裏切る後ろめたさに引き裂かれ、悲痛な色を湛えている。思いがけない彼女の反応に、怜はおろか、露路までもが慌てた。


「何をおっしゃるんです、瑶子様! 滅相もない……」

「瑶子さん、何も僕らはブローチを返せ、などと言うつもりはないのですよ。寧ろ、あなたに持っていただかなくてはこちらが困ってしまいます。……ほら、これをご覧になって下さい。紗百合さんも」

「ほら見ろ、なんて、まるで子供をあやしているみたいだわねえ――」


 瑶子の気を明るく引き立てようとおどけた紗百合だったが、露路が書物机から取ってきたものを一瞥して、また眉根を寄せる。


「何であんたも同じブローチ持ってんのよ」


 その言葉に瑶子も涙に濡れた顔を、そちらに向ける。露路の手には、確かに、自分が持っていたものと寸分違わぬ木彫りの薔薇。


 一瞬、自分が怜に渡したブローチが、露路の手に渡っただけではないかと疑ったが、そうではなかった。怜の手にもまだブローチが載っていたので。


 一同の眼差しは、それぞれ異なる人の掌にある二つのブローチに交互に注がれた。


「これも、如月硝子の指輪と同じく、父から受け継いだものです」


 露路の父は、妻に内緒で、揃いの如月硝子の装身具を拵えて贈ろうと思い立ち、怜の養父母に相談していたという。それに応えて彼らは、まず試作品のブローチを作って納めた。木彫りの薔薇の意匠を気に入った父は、同じものを作るよう注文したのだが、突然作り手が行方不明になったために、それきりになってしまった。その後彼は、火刑を逃れた怜から、もう一方の薔薇は富貴の者に盗まれたことを知らされる。


「あなたのお父様、さぞお気を落としなさったでしょうね」

「ええ。揃いでつけようと思っていたブローチが、ひとつしかないうえに、もうひとつは永遠に届かなくなってしまったのですから。それも、一番信頼していた職人の手になるものを……。息子の僕が見ても可哀想なほど、当時は悄気返っていました。そのうちに、最愛の母が病で亡くなり、自分も先が長くないことを悟って、初めて僕に秘密を明かしたというわけなのです。その秘密というのが、母に贈るはずだったということの他に、もうひとつあるらしいのです。これは僕も半信半疑なのですが……」


 露路の微笑に、やや戸惑いの色が浮かぶ。彼は、怜の掌に載ったブローチも手に取った。二つのブローチで、彼は何をしようというのか。


 ブローチは、薔薇の花弁と、その下部の花がくまで精細に、彫り込まれている。彼は暫し思案した末、一方の花がくにもう一方のそれを組み合わせ、押し上げた。


「あら!」「まあ!」


 薔薇の花がく部分がそっくり、蓋よろしく持ち上がって、中には、煌びやかなブルーの薔薇が鎮座ましましている。――素晴らしい職人の手になる如月硝子に間違いない。


 怜の手から受け取った、瑶子のブローチも、同様に開くことができた。こちらには、淡いピンク色の薔薇が収まっている。


「父が話していたのです。これはロケットペンダントか何かと同じように開けることができて――よく見ると蝶番があるでしょう――開けるには互いの花がくの一部を鍵代わりにするのだと。つまり、もう一方がなくてはいけないのだ、と」


 硝子の薔薇は、それ単体でもブローチとして着けることができた。――露路の父母は、ブルーとピンクのそれぞれを身に着けて互いの愛を確かめ合うつもりだった。少なくとも、父はその気でいた。彼のロマンチックな願いを、怜の父母が形にした。


 運命に翻弄された美しい薔薇。堅い木の殻に包まれたまま離れ離れになり、それでも大切にされて、今日漸く本当の姿を見せた二輪の薔薇。


「ねえ、瑶子さん。僕は先程、『これはあなたに持っていただかなくては困る』と、申しましたね。このブローチを僕に託した時、父は『もう一方のブローチが見つかり、愛する人に贈ることができるようになったら、是非ともそうしなさい』と言いました。きっと、自分が果たせなかったささやかなロマンスを、息子とその恋人に叶えてほしかったのでしょう。……僕は改めて、あなたにお頼みします。このブローチを、またあなたのお身に着けて下さいませんか」


 瑶子は承諾の意を示した。彼女の明眸には新たな涙が湧き上がったが、今度は誰もそれを止めない。それが喜びゆえのものだと、理解していたので。

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