第6章 露路と怜
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ここで、時は二週間ほど遡る。紗百合と瑶子が踊子として旅をしている真最中に、富貴邸では一悶着が起こっていた。
事の始まりは、如月家の当主たる露路が近いうちに訪問するとの報せであった。
これを聞いて大喜びしたのは、若子と母の辰代。
「如月家の当主って、まだお若いんでしょう。当然、結婚もまだなんでしょう」
「ええ、確か今年じゃなかったかねえ、当主の位を継いだのが。勿論、奥様なんてものは貰っていらっしゃらないだろうよ、そんな噂はひとつだってなかったもの」
「それならお母様、私への結婚申し込みのために訪問する可能性だって、十分あるわけだわね」
母はそんな娘をたしなめるどころか、一緒になってはしゃぎ出す始末。
「きっとそうに違いないよ、お前! 他に用事なんぞあるものかね。そうなると、新しい着物や宝石が入用だね」
「そうねえ、お母様。今あるものでは、やっぱり見栄えがしないし」
そういうわけで二人は、一応一家の長である利男におねだりに行った。利男は「またか」とでもいうように、渋面を作った。……実際、妻子の浪費により家計は火の車。村民から徴収する金では到底賄えない。所謂「処刑」と称して富裕層の財産を生命もろとも奪ってきたものの、この頃ではその分も消費し尽くしてしまっている。新たに「処刑」を行おうにも、もう大方の金持ちはいなくなり、後には、殺しても何にもならない庶民が残っているだけ。……こんな有様で、どう金の工面をすればよいのか。
頭を抱える利男。しかし、妻子は彼の様子には一向無頓着である。それどころか、左右から、至近距離でがなり立てるのだ。
「あなた、うちは由緒ある子爵の家ですよ。お金なんかいくらだって作れるはずじゃありませんか」
「そうよ、お父様。またおばあさまの古物でも売り払えばいいわ」
「それで足りなけりゃ、お義兄さんのものをこっそり売ったって、わかりゃしませんよ」
「瑶子が養女になる時に持ってきたものの中にも、珍しいものがあったはずだわ」
その時、若子がふと思いついて顔を輝かせる。
「そうだわ、おばあさまが残した文箱があるじゃないの。ほら、例の、家宝とかって自慢していたやつ」
「そ、それだけは売ってはいけないと……」
利男は、初めこそ怒鳴ったが、その声は急に萎んで最後には消え入ってしまった。妻子の前では、彼の奮い起こす勇気なんていうものは全く無に等しかった。妻子は、彼の言葉など聞かなかったことにして、勝手にどんどん話を進めていく。
「若子や、よいところに気づいておくれだね。あの文箱は中々するだろうよ」
「そうでしょう。うちはあの埃っぽい古物と、最先端の着物や宝石を交換できるんだから、よいことづくめだわ」
「折角、如月くんだりから若い当主様がいらっしゃるんだから、せいぜい立派なものを拵えなくちゃね」
「当然よ。相手は侯爵家の血を引いているんですもの、瑶子みたいなみすぼらしい身なりでおもてなしなんかできやしないわ、ホホホホ……」
利男だって、よくわかってはいた。結局のところ妻子は、贅沢がしたいだけなのだと。しかしながら、その贅沢の建前に我が家の体面を持ち出されると、彼とてもうずうずしてくる。小心者のくせに、プライドだけは高いのだ。
たまりかねて利男は、執事を呼んだ。
「お前、例の文箱を売り払え。できるだけ高くだぞ」
命令は数日と経たないうちに実行され、すぐに相当の金が富貴家に舞い込んだ。それは瞬く間に、若子と辰代の衣裳代に消えてしまった。
その後程なくして、一家は如月家当主、露路の訪問を受けた。
若子は、玄関に立ち現れた眉目麗しい青年の姿を目にして、すっかりのぼせてしまった。涼しい目元、通った鼻筋、柔らかく引き結んだ唇。背は左程高くはなかったが、すらりと均整の取れた身体つきで、仕立てのよい背広がよく似合っている。殊に、白く長い指にはまったダイヤモンドの指輪が、若子の目を捉えて離さない。
「若子や、せいぜい愛想よくするんだよ。うまくいけばお嫁入りできるんだから」
母に耳打ちされるまでもなく、若子は自分でも最上級の媚を浮かべて接待した。女中が途中まで運んできた茶を取り上げて、自ら応接間に運んでいったり、しなを作って「他に何か御用は」と聞いてみたり。
「いいえ、大丈夫ですよ、お嬢さん。すみませんが、暫く私と富貴さんの二人にして下さいませんか」
「ええ、ようございますわ。では、失礼を」
ちょっとばかり残念そうな表情を眉間に漂わせて、応接間の外へ立ち去る。……と見せかけて、実際は、閉じた扉の陰でじっと耳を澄ませていた。自分の望み通りの話が聞こえてくるのを、若子はほくそ笑みながら待ち続ける……。
茶碗を置く音が微かにして、露路の穏やかな声が響く。
「……実は、富貴さん、折り入ってご相談をしたいと思い、今日は参ったのでございます」
「はあ。私達だけでしなければならない話でしょうか」
利男は、もしや自分と央間道鷹の企みが露見したのではないかと気がかりでならない。娘が浮き浮きとしているのに引きかえて、彼はそわそわと腰が落ち着かない風である。
「ええ、できればご当人のお耳にも入れたいと思うのですが、先に、ご主人のあなたにお話ししておくべきかと考えまして」
「はあ。では、伺いましょう」
扉の外の若子は、胸を躍らせた。愈々、彼の口から自分の名が呼ばれるものと思い込んで……。
「あの、富貴さん。私は是非、あなたの姪にあたられる瑶子さんと、婚約を交わしたいのです」
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