三十五話 ナウルへの航路、ラバウルへの道
昭和十八年六月十五日、雪風はついに前進部隊への編入を命じられた。再び南方海域への転戦である。整備と補給を終えた雪風は、翌十六日、栗田健男中将率いる第三戦隊の指揮下、金剛、榛名といった戦艦、熊野、鈴谷といった重巡、龍鳳、大鷹、冲鷹ら航空母艦群、さらに五十鈴をはじめとする軽巡や複数の駆逐隊と共に、横須賀を出撃した。
伊豆涼介少尉は艦橋で羅針盤を睨みながら、東シナ海の波のうねりに合わせるように舵を微調整していた。艦はまるで生き物のように応え、指の動き一つで応じてくる。「舵良し。東南、七度微修正。」彼の声に、舵取り班の水兵たちが短く返事をする。
六月二十一日、艦隊は無事にトラック泊地へ到着。その日のうちに雪風と浜風は第四水雷戦隊(旗艦・長良)の指揮下に入り、急遽ナウル島への輸送任務が命じられた。伊豆は艦内の伝声管で艦長の島居大佐の指示を聞きながら、手早く航路図に指示を書き込んでいった。
第一次輸送隊は翌二十二日に出撃。那珂、五十鈴と共に浜風、谷風がナウルへ向かった。雪風は第二次輸送隊として長良と共に二十三日に出撃した。伊豆は操舵室から見上げる空に、ただならぬ気配を感じていた。「敵機の動きが鈍い……。こりゃ嵐の前の静けぇってやつかもしれんぞ。」と、ふと呟くと、後ろで機関科の久保が肩をすくめた。「おいおい、やめてくれよ。そんな縁起でもねえことを。」
六月二十六日、午前四時半。雪風は無事にナウル島へ到着し、陸兵や補給物資を揚陸した。伊豆は甲板上で、大発が物資を下ろす様子を見守っていた。日差しは鋭く、波は静かだったが、その静寂が逆に不気味だった。「こういう時が、一番気をつけにゃいかん。」と呟いた彼の胸中には、常に襲撃の可能性があった。
午前八時四十六分、雪風と長良は浜風と合流し、ナウルを発つ。十時二十分、敵の大艇を視認したが、攻撃を受けることはなかった。艦内には微かな緊張が走ったが、伊豆は静かにハンドルを握り直し、針路を西へ定める。「次は……無事に帰るだけだ。」その一言に、近くにいた若い水兵が頷いた。
二十七日、トラックへの帰投中、対向してくる一隊とすれ違った。駆逐艦・時雨、駆潜艇28号、商船・秋葉山丸。伊豆はその姿を望遠鏡で確認し、「これからナウルへ向かうのか。ご安全にな。」と小さく祈った。
帰投後まもなく、雪風には新たな任務が下った。ラバウルへ向かう重巡洋艦・鳥海の護衛である。六月三十日、雪風は第四水雷戦隊の指揮下を離れ、外南洋部隊へ編入。鳥海、谷風、涼風、浜風と共に再び出撃し、南へと舵を切った。途中、江風が機関故障で離脱するも、雪風らは予定通りラバウルに到着した。
七月五日、ラバウルからブインへ回航中の給油艦・鳴戸の護衛任務が下され、早朝二時に出撃。正午には鳴戸、浜風、谷風と合流してラバウルに帰投した。
しかし、雪風に安息は与えられなかった。同日夕刻、今度は第十一戦隊航空司令部の人員百五十名と物資、大発一隻を輸送する任務が命じられる。鳥海、駆逐艦・夕暮と共にラバウルを出発、七月六日正午、無事にブインへ到着した。
伊豆は、ブインの岸壁に立つ兵士たちを見ながら、胸の奥に言い知れぬものを感じていた。激戦を前にした若者たち。次に再会することはあるのか。あるいは、この任務の中で自分が——。
「少尉、戻りますか?」 声をかけたのは、機銃掃射で傷を負いながらも生還した通信兵・塚本だった。 「……ああ。戻るぞ。俺たちの場所に。」 雪風は再び、南の海へと向かった。その背に、薄く煙る戦雲がたなびいていた。
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