三十四話 逆探と二五粍と休暇の喪失

1943年(昭和18年)5月3日、雪風は南方の任務を終え、阿賀野、夕雲、秋雲、そして第一航空戦隊所属の空母・瑞鶴、瑞鳳と共に、トラック泊地を出港した。


 艦内は帰国への安堵に包まれていたが、伊豆涼介少尉の胸中には、戦地からの一時的な離脱という現実と、休暇という束の間の夢とが複雑に絡み合っていた。


 「やっと……呉に帰れるんだな」  後部甲板で潮風に当たりながら、涼介は肩を落とした。


 雪風は南東方面海域を転戦し続け、幾度も死地を潜り抜けてきた。救助活動、輸送任務、敵機からの執拗な空襲。そのすべてを生き抜いたのは奇跡としか言いようがなかった。


 5月8日、雪風は呉軍港に到着。防波堤の向こうに懐かしい本土の山並みが姿を現すと、艦内には静かな歓声が広がった。


 「おい涼介、おふくろに会うのか? 妹さんも元気かね」  古参の砲術長が茶化すように言う。  「ええ、きっと甘味土産を楽しみにしてるでしょうよ」  涼介は穏やかに微笑んだ。


 だが、その安堵も束の間だった。5月11日、雪風は呉を出て、大分沖へと移動。大和、榛名、雲鷹、沖鷹の護衛任務が始まった。翌12日、榛名、大和を呉に護衛して帰還。


 本来であれば、ここで一時の休暇が与えられるはずだった。だが、アリューシャン列島アッツ島の戦況が急速に悪化し、連合艦隊司令部は緊急に北方出撃の準備を命じた。


 「また……か」  涼介は艦橋で命令電を読み、拳を固めた。    雪風は木更津沖に移動し、第一航空戦隊の護衛として北方海域への出撃準備に入った。補給物資、寒冷地装備、弾薬の補充。整備兵たちが走り回り、艦内には張り詰めた空気が漂っていた。


 だが、5月29日、アッツ島陥落の報が届く。  「全滅……か」  艦橋に静寂が走った。


 北方への出撃は中止。雪風は横須賀へ回航され、6月1日、改装のため再び呉に入港した。


 呉港の空は梅雨入り前の曇天だった。港湾施設では作業員たちが忙しなく走り回り、艦艇の砲身には錆が浮き、戦争の長期化を静かに物語っていた。


 雪風は工作艦の脇に接舷され、整備が始まった。まず実施されたのが、25mm三連装機銃の増設だった。艦橋付近と後部甲板の左右にそれぞれ設置され、これまで以上の対空火力が加わる。


 「これで、また少しだけ生存率が上がる……ってやつか」  涼介は新設された機銃に手を当てた。


 次に施されたのが、電波探知機の装備だった。最新式の逆探(電波探知装置)である。


 「これが、敵の電探を逆探知するという代物か」  電測員が誇らしげに答える。  「はい。敵のレーダー波を拾えば、こちらも探知されてる可能性が高いという警告になります。潜水艦や艦隊の接近を、視界より早く察知できる時代になったんですよ」


 時代は変わっていた。


 これまで“艦長の勘”や“煙の匂い”で敵艦を探していた時代から、目に見えない“電波”の時代へ。    「……でも、いくら装備が近代化しても、俺たちが乗ってるのは結局、浮かぶ棺桶さ」  古参の機関兵が煙草をくゆらせながら吐き捨てる。


 その夜、艦内の士官室では、涼介と砲術長、航海長らが軽く酒を酌み交わしていた。


 「結局、また休暇は流れちまったな……」  「妹さんには手紙、出したのか?」  「ええ。『今回は戻れなかった、ごめん』って」


 涼介は湯呑みの酒を口に運んだ。    「……だが、今はそれよりも、この船を守ることが第一です。俺たちが沈めば、誰も帰れない」


 呉の夜は静かだった。だが、その静寂の奥に、次なる嵐の気配が確かに忍び寄っていた。

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