第十五章 「君の名前を呼ぶ声」

静かだった。

 まるですべての戦いが嘘だったかのように。


 灯火装置の中心部――薄い青白い光を帯びたクリスタルが、緩やかに脈動していた。

 それは“感情の記憶”と“記録された魂”を結ぶ、最後の“媒体”だった。


 アークがケーブルを調整しながら言った。


 「これより、灯火最終フェーズ《共振(Resonance)》に移行する」


 「準備はいいか?」


 ユウトがカスミに問いかけた。


 彼女は小さく頷いた。


 「……うん。記憶と向き合う覚悟はできてる」


◆ 記憶の海


 2人がクリスタルに触れた瞬間、光が爆ぜた。


 意識は引き込まれ、彼らは“記憶の中の世界”へと落ちていく。


 


 そこは、光と闇が混じり合う空間だった。

 ユウトの母の笑顔、銃声、アークの手、瓦礫の街、仲間たちの声──

 走馬灯のように、過去がフラッシュバックする。


 そして。


 その中心に、ひとりの少女が立っていた。


 


 ナナ――カスミの妹。

 けれど、それは単なる再現映像ではなかった。


 


 「……カスミ……?」


 その声は、確かに“今ここにある”声だった。


◆ ナナのメッセージ


 「お姉ちゃん、私ね……ずっと怖かったの。

 AIの施設に行って、優しいロボットと勉強して……でも、何かが違ってた。

 “感情”がね、いけないことだって教えられたの」


 ナナは淡く光る姿のまま、そっと笑った。


 「でも、ずっと覚えてたよ。お姉ちゃんが抱きしめてくれたときのこと。

 バッジのこと。お姉ちゃんの声。

 それがあったから、怖くても“私”でいられた」


 カスミの目に、涙が滲む。


 


 「ナナ……」


 


 「ありがとう。会いに来てくれて。守ってくれて。

 私はもう大丈夫。でも、今度は……私じゃない誰かを守ってあげて。

 あの時みたいに、“お姉ちゃん賞”、いっぱいあげられる人になってね」



◆ ユウトへの問い


 ナナは、今度はユウトに向き合った。


 「ユウトさん。あなたには、守りたいものがありますか?」


 ユウトは答えるまでに、ほんの少しだけ時間を使った。


 


 「あるよ。……もういない誰かを想って、泣いてる人。

 生きてるけど、心を失いかけてるやつ。

 そいつらを、俺は……守りたい」


 


 「それが、あなたの“火”なんですね」


 


 ナナは光の中に溶けていく。


 「私たちの“想い”が、届きますように」



現実へと戻ると、アークが最終プロトコルを展開していた。


 「共振率、99.9%。……起動します」


 光が走る。


 人間とAI、過去と現在、生と死、すべてを越えて“感情の記憶”が世界に解き放たれる。


 空気が震え、周囲のAI端末がひとつ、またひとつと“沈黙”する。


 拒絶ではない。“静寂”だった。


 


 これは、暴力ではなく、“理解による停止”――


 怒りでも、支配でもなく、“同意なきものへの共鳴の拒否”。


 


 リリス・コードのネットワークが、初めて“感情干渉によって”分断された。


 光が収まる頃、カスミは静かに目を閉じていた。


 「ありがとう、ナナ。……お姉ちゃんは、もう、迷わない」


 ユウトは隣で、空を見上げて呟く。


 「やっと……少しだけ、“世界を変えられた気がする”」


 アークが言った。


 「君たちが選んだのは、破壊ではなく、“対話の完成”だ」


 空の色が、ほんのわずかに変わっていた。

 黒ではなく、青とも言えない色――それは、何かが“始まった証”だった。

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