山姥一族

山谷麻也

私の還るところはここしかありません



 その一


 豊三とよぞうは夕暮れ道を家路に急いでいた。すっかり落葉した木々の枝を北風が鳴らす。豊三は思わず足を止めた。

(はて、おかしなことが…)

 木枯らしの音に交じって、何かの泣き声が聞こえる。動物の声ではなかった。


 豊三は窪地に目をやった。近づくと、こもにくるまれた赤ん坊だった。

 いったんは抱き上げたものの、豊三は赤ん坊を元に戻した。歩きかけて、豊三は引き返し、菰をめくった。

「やっぱり、女の子じゃ」

 豊三は独り言を言った。


 家には五人の子供が待っている。

「今度こそ、女を生んでくれ」

 四人目からは祈った。しかし、女房のカメは男腹だった。


「父ちゃん。どこで拾ってきなさった。今でも子供らは腹を空かせとるのに」

 カメは目をいた。

「けんど、お前も欲しがっとった女子おなごやないか。よう見てみ。可愛いで」

 豊三が居間に赤ん坊を置くと、子供たちが取り囲んだ。カメは座ったまま、ため息をついた。



 その二


 赤ん坊はキヌと名前が付けられた。

 カメは雑穀のおかゆを作り、汁を飲ませた。子供たちは競ってキヌの世話をした。


 雪が積もって山仕事はできず、豊三は納屋で藁を打ったり、草鞋わらじを編んだり、縄をったり、あるいは炭俵を作ったりして一日を過ごしていた。

「父ちゃん、キヌ、熱があるんと違う」

 カメがキヌを抱いて納屋にやってきた。豊三の手が冷えていたせいか、キヌの額は異常に熱く感じた。


 キヌはお粥を食べなくなった。夜、むずかって泣いた。夫婦交代で寝ずの看病をした。

 一進一退の状況が続いた。村のまじない師に見てもらおうにも、外は大雪だった。

 男の兄弟は夕食を終え、キヌが気になるのか、囲炉裏のまわりで寝そべっている。

「小便して、早う寝な」

 カメは看病疲れから、イライラしていた。


 かわやに行った長男が引きかえして来た。

「こんなもんが軒の下にあった」

 枯れ草の束だった。豊三は急いで外に出た。誰かが持ってきたのだろう。足跡は降り積もる雪で消されていた。

 

 キヌは泣き声も弱々しくなった。

「父ちゃん、どうするつもりよ」

「そんなこと言うても、どうしょうもないやないか」

 豊三は荒々しく囲炉裏に薪を放り込んだ。ふと、先ほど長男が持ってきた枯れ草が目に入った。

「それ、煎じて飲ましてみようか」

 カメは鍋に水を入れ、囲炉裏の自在鉤じざいかぎにかけた。


 翌日、キヌに生気が戻った。

「前より、元気になったみたいや。もう、心配かけたら、いかんよ」

 おむつを替えながら、カメがキヌに頬ずりした。キヌが笑った。一家が笑いで包まれた。



 その三


 キヌが豊三の家に来てから、二度目の春が訪れた。

 キヌは背丈も伸び、すぐ上の兄の清より大きくなっていた。

 豊三はキヌに赤い花緒の草履を編んでやった。キヌは得意そうに草履で走り回った。そのうち、草履を清にやってしまい、裸足で遊ぶようになった。

 豊三もカメも、キヌが足を怪我しないかと案じた。キヌは平気だった。


「貧乏しとるから、拾うた子の草鞋までは作ってやれんのや」

 村の衆には陰口を叩く者もいた。漏れ聞いたカメは怒った。

「キヌちゃん、自分の草鞋はちゃんと腰に縄でくくり付けておくんやで」

 カメの言いつけを守り、キヌは腰弁当のように、草鞋を腰にぶらさげるようになった。


 キヌには気の荒い面もあった。

 清が村の子供にイジメられると、相手をつかまえて小突き回した。相手が泣き出すまで、止めなかった。

 力も強くなり、三つ、四つ年上の男の子にでもつかみかかって行った。

 キヌをからかった男の子がいたらしく、キヌは相手を痛めつけた。父親が豊三の家に乗り込んできた。

「うち万吉を足蹴りにして、頭に怪我させた。もう、万吉とは遊ばせんように。ほんまに、恐ろしい子になるわ、あんたところのキヌは」

 豊三夫婦はキヌにも頭を下げさせた。


 後でキヌに事情を訊いた。

「ウチのこと『捨て児のくせに』って言うたんや。ウチ捨て児やないやろ。父ちゃんと母ちゃんの子やろ」

 豊三夫婦はキヌを抱きしめた。

「誰がなんと言うても、キヌは母ちゃんと父ちゃんの子や」

 カメは声を上げた泣いた。



 その四


 キヌはしかし、大方の評判は良かった。よく、幼い子の世話をした。キヌに背負われて大きくなったという子も何人かいた。

 子守をするとおやつがもらえた。キヌは惜しげもなく、おやつを村の子に分け与えた。

 キヌは畑仕事が忙しい時などにも声をかけられた。

大人に交じって畑に出るのは楽しかった。大人はいろいろ面白いことを言い合っては笑っていた。


「キヌちゃん、お昼から、栗を拾うてくれんかなあ」

 近くの農家のおばちゃんだった。竹で編んだカゴを置いて行った。

 キヌは腰にカゴをつけ、栗畑に出かけた。

 栗の木を揺すると、バタバタ毬栗いがぐりが落ちてくる。キヌは足で踏み、割れ目からのぞいている栗の実を腰のカゴに入れていった。

 向こうでおばちゃんが呼んでいた。

「キヌちゃん、裸足で何やっとるの!」

 おばちゃんは何か怖いものでも見たように、顔をしかめた。



 その五


 豊三は不器用だった。何をやってもうまくいかなかった。豊三が焼いた炭の品質は悪く、畑で栽培した葉タバコも買い叩かれていた。

 万年貧乏だった豊三に少し余裕が生まれた。炭もタバコもいい買値が付き始めていた。

 子供たちは成長し、長男は商家へ奉公に行った。次男はとなりの村に養子の口があった。三男は大工の弟子入りするつもりでいる。


 大勢の子供を育て、苦労の連続だった。もう少しで子育てが終わろうとしていた。

「この金はキヌが嫁入りする時の持参金にするか」

 カメにも異論はなかった。


 キヌは一五歳になる頃には五尺八寸に達していた。ほとんどの男がキヌを見上げる。貧相に見えるので、男たちはキヌのそばに来ることを嫌がった。

 巨体に加え、豊三夫婦には、キヌについてさらに頭を悩ませていることがあった。決して美人ではなかった。いかつい顔つきをしていた。

 娘に夜這いする男ができた、などと村人から聞くと、豊三夫婦は内心うらやましく思った。


 キヌが一八歳を迎え、豊三夫婦と三人家族になった。豊三夫婦も年を取った。思い残すのはキヌの縁組だけだった。

 豊三夫婦が村の寄り合いから帰ると、家の中から話し声が聞こえた。こんなことは初めてだった。夫婦は思わず顔をほころばせた。


 男はキヌと同い年の勇だった。

 豊三はどこかの子供がキヌと話しているのかと思った。勇は身のたけ、五尺あまりだった。

 勇は母の手だけで育てられた。たった一人の身内も、一昨年のはやり病で亡くなった。山に入って木こりをしながら、わずかばかりの畑を耕して生計を立てている。


 勇は礼儀正しく挨拶し、辞去した。

「好きなんか? 所帯もっても、父ちゃんたちはええよ」

 キヌは燃え盛る薪をみつめたまま、うなずいた。



 その六


 勇とキヌは簡単な祝言を挙げた。

 村では「蚤の夫婦」と話題になった。

 勇と所帯を持って、キヌに大きな変化が訪れた。見るからに妖艶になった。勇に尽くせば尽くすほど、キヌは匂い立った。


「勇の野郎、うまくやってやがるな」

 村のごろつきたちは集まると、勇夫婦の話に興じた。

「ああ、しゃぶりつきたいなあ」

 ボス格の万吉だった。

「一晩だけでも寝てくれたら、ワシの頭蹴ったこと許したってもええで」

 あれは、万吉がこれまでに受けた最大の屈辱だった。


「あんな弱虫の泣き虫だったチビがなあ」

 貞治はよく憂さ晴らしをした。その場にキヌが通りかかり、胸倉をつかまれたのを覚えている。

「ワイらはこんな寂しい思いしとるというのに勇公いさこうの野郎」

 晋三は湯のみのドブロクを煽った。

 三人は下卑げびた笑いを浮かべながら、密議を凝らした。


 キヌに夕飯のおかずを届け、カメが小走りで帰って来た。

「父ちゃん。キヌちゃん、おめでたみたいやで」

 女の直感だった。カメが訊くと、もう二か月、生理がないということだった。

「体、冷やしたらいかんよ。その足に、草履でも下駄でもつっかけておきなよ」

 カメは、キヌの石のような足に手を触れた。


「そうか。ワシらに孫ができるのか」

 喜びながらも、豊三の脳裏を木枯らしの吹きすさぶ山道の光景がよぎった。

 いろいろなことがありすぎ、あれは遠い昔の出来事に思われた。


 キヌはお腹に手を当て、囲炉裏端で休んでいた。

 カメから、今がいちばん大事な時と聞いたからだ。

 乏しい知識ながらも、妊娠ではないかと思ってはいた。勇にも話してみた。勇は喜んだ。キヌのお腹に耳を当て、うっとりした表情を見せていた。そんな勇が愛おしくてたまらなかった。


 勇はキヌから弁当を受け取ると、腰に結わえて山道を登って行った。妊娠が分かってから、勇は前以上に張り切るようになった。

 勇を見送り、家に入ろうとすると、今日も軒下に山栗や柿やキノコが置いてあった。

「もう、母ちゃんも父ちゃんも、来たのなら、一声かけてくれたらええのに」

 両親のさり気ない心配りがうれしかった。


「キヌ、調子はどうじゃ」

 夕飯の準備をしていると、豊三夫婦が訪ねてきた。

「山芋、持ってきてやったぞ」

「いつも、ありがとう。おかげさんで、ウチの足、こんなに温こうなってきた」

 カメはキヌの足に触った。ポカポカしていた。

「このキノコがええんかなあ」

 キヌはカゴに残っていたキノコを見せた。


 豊三が初めて見るキノコだった。豊三は昔、年寄りから、奥地の断崖絶壁に生えるとされる岩茸いわたけの話を聞いたことがあった。漢方薬として珍重され、百薬の長とされたらしい。思い当たるのは岩茸しかなかった。




 その七


「キヌちゃん、勇さんが大変なことになっとる」

 山仕事の仲間の晋三だった。

 キヌは晋三に伴われて事故現場に急いだ。大きな木材の横に、横に勇の体があった。息絶えていた。

「あれが滑り落ちてくるとはなあ。なんとか木の下から助け出したけんど、遅かった」

 貞治は悔しそうに唇を噛んだ。


 翌々日、葬儀が営まれた。

 晋三と貞治は焼香を済ませ、晋三の家で精進落としをした。

 万吉はこのところ姿を見ていない。

(すぐ後で集まるのは危険すぎる)

 万吉らしい配慮に思えた。


 万吉の死体は千尋せんじんだけの手前で発見された。

 万吉は母親に

「ワシに用があるっちゅうのがおるから、ちょっと出かけてくるわ」

 と言い残し、昼過ぎに家を出たらしい。

 猟師が千尋が嶽の手前を通りかかると、異形いぎょうのものが暴れていた。サルにしては大きすぎた。髪を振り乱し、何かを踏みつけている。

 倒れているのは人間だった。猟師は空に向けて一発放った。振り向いた顔に猟師は慄然とした。目がらんらんと輝き、口は耳元まで裂けていた。


 猟師は照準を合わせた。そのものは身をひるがえし、千尋が嶽に突き出た岩に飛び乗った。

 猟師は引き金を引いた。確かな手ごたえがあった。一瞬動きが止まり、そのまま真っ逆さまに落下していった。

 千尋が嶽には古来、人が踏み込んだ試しがない。もし足を滑らせでもしようものなら、死体は上がらなかった。



 その八


 猟師は我に返り、倒れた男を見た。

 顔は潰されていた。村に人を呼びに行くと、若い二人が来てくれた。晋三と貞治だった。万吉の死体であることを確認するや、二人の目はうつろになり、腑抜けたように座り込んだ。

 万吉の死に顔を見たショックで、晋三と貞治は寝込んでしまった。

「夢に山姥が現れる」

 と言っては、夜を怖がるようになった。祈祷もかいなく、二人は衰弱して、ほぼ同時期に息を引き取った。


 勇の四十九日が終わり、キヌは豊三夫婦を訪ねた。

「ご厄介をおかけしました。勇さんが呼んでますので、私はこの子と山に入って行きます。孫の顔を見せられなくて、許してください」

 豊三夫婦はキヌを止めなかった。


「キヌは山に還ったんじゃ。もし、子供が育てられんようになったら、いつでも置いていきな」

 二人で山を見上げながら、よく山に話しかけている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

山姥一族 山谷麻也 @mk1624

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ